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身体操作を取り戻せ①

足のはこびやうの事(足の運びは)、つまさきを少しうけて(浮かせて)きびす(かかと)を強く踏むべし。

足づかひは、ことよりて(場合によって)大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし。

宮本武蔵『五輪書』

日本人の身体操作を取り戻せ

明治以降の近代化によって、様々な文化的なものが日本人から奪われていったように思えます。(日本人だけでなく世界中でも。)

今も続いている伝統文化や習慣は多少はあると思いますが、特に戦後の高度成長期からは加速度的に日本の伝統文化はどんどんと崩れていき、失われてしまいました。

それは意図的に奪われたのか、それとも自然に消えていったのでしょうか。

私の印象としては、自然と調和したものというものは食べ物にせよ、音にせよ、習慣にせよ、何か意図的に私たちから遠ざけ、あえて不自然なものに置き換えられてきたような印象があります。

昔の日本人の身体感覚である「腰肚文化」も生活様式や着物から洋服への変化と共に失われていったものの一つです。

かつて、江戸時代を通じて、武士や農民、その他の力仕事に従事する者の身体操作には、人間本来の合理的な動きがありました。

(江戸の町人達は突っかけ草履などの影響でつま先立った軽快な歩き方で、武士の身体操作とは違った動きだったといわれていますが。)

武士は戦いの中、相手に隙あらば瞬時に打ち込み、またどんな時も敵からの攻撃に対処するために、つま先で地面を蹴らないように常につま先を上げていました。

これは今も残っている剣術である「柳生新陰流」にある身体操作の一つ「風帆(ふうはん)の位」といわれるもので、風を受けた帆かけ舟が水の上をすべるが如く、踵を地面につけ、足を上げずに歩く方法であり、古武道の合理的な身体遣いです。

ただしこれは斬り合いで命のやり取りをする場合の足使いであって、剣の達人でもない限り普段からつま先を浮かせて歩行することはなかったかもしれません。

ただ、草履や下駄なら鼻緒(前坪)を足の指でつまむ状態になるので、どちらにせよ、つま先で地面を蹴って歩くことはなかったでしょう。

つま先で地面を蹴らず、踵を踏んで体を運ぶ歩き方が、着物を着ていた日本人にとって合理的であり、またこのような歩行は体のねじれが少なく、省エネだったと思います。

私たちが通常立った状態から、一歩前に踏み出すとき、まず踵が浮いて、つま先で前に身体を押し出します。

そして普通は、つま先よりも後ろに重心があるため、つま先で身体を押し出す場合には重心をつま先より前に移動させる「予備動作」が入ります。
(そうしないと後ろに倒れてしまうので。)

この予備動作には必要以上の筋力を使います。

踵で押し出す場合には、重心は基本は踵より前にあるため、自然と重心が前に送りだすことができます。(下の図参照)

これは自分でやってみると、体感できると思います。

踵で押し出す場合、予備動作は必要ない

剣術の足の運びは合理的な動作によってなされます。

歩行について

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