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勝つためにプレーする。 - ジョゼ・モウリーニョ - Coaches' Voice

ジョゼ・モウリーニョ

チェルシー, 2004-2007

未知のものを常に楽しんでいたよ。

この質問の: 私は新たな競争というだけではなく、新たな国において、来るであろう全ての困難を圧倒出来るのか? 

イタリアで、イングランドで、スペインで勝つには - 適応する柔軟性が求められる。競争やクラブの現実に合わせて、時々自身のアイデアに反してでも成功するための正しい方法を選ぶ。社会的にも、全員が必要としているもの、目的、そしてモチベーションを理解しなければならない。

私はこのような経験をたくさん得られてラッキーである。だからこそ今、私は新たな国や新たな競争への扉を閉じてはいない。

私からはたった1つしか要求はない。仕事を必要としているということだ。

私は勝つためにプレーをしなければいけない。

私はこれにとても病的である。誰かが私に素晴らしく、信じられないほどの、驚くような10年契約を提示し、"チームの目的は、リーグの上位半分に留まることだ。だから、7位、8位、9位で終えれば、完璧だ。" と言うとする。それは私には向いていないのだ。

勝つためにプレーしようという感覚のあるプロジェクトが必要だ。私は勝つために競争する。その後に、私が勝つか勝たないかは、私の問題になり、選手やクラブになる。しかし、私にはそのようなプレッシャーのあるプロジェクトが必要だ。

これが私の性質である。

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それが私が2004年に最初にチェルシーに来た理由の1つだった (上写真) 。そして、クラブはすでに成功まであと少しであった - リーグでは2位で終わり、チャンピオンズリーグでは準決勝まで進出していた。

しかし、トロフィールームの無いビッグクラブは存在しない。だから任務は、チェルシーを次の次元へと連れていくことだった - プレミアリーグの優勝である。

それは私のメンタリティー: 勝ちに行く、ということにとてもふさわしい任務であった。

我々の最初の試合は、ホームのマンチェスター・ユナイテッド戦。勝つことがとても重要だったので、我々の言葉と選手、我々の野望と結果の間には矛盾は無かった。もし、"今シーズンはチャンピオンになりたい" と言うとして、最初の試合で2、3-0でホームで直接的なライバルに負けるとなると、1歩下がってしまう。

我々はあの日、1-0で勝った。1歩前進したのだ。

“守備的には、我々は驚異的であった。そして1度前に行けば、トランジションで相手を殺す能力があった。”

あの試合では、プレシーズンで我々がチームにもたらそうとしていた事と大きく関係する内容を見れた: メンタルの強さ、コンパクトさ、戦術的規律。そして、我々のアプローチの中でとても野望的であることだ。私はそれを 'オールイン' アプローチと呼んでいる; 試合へ全てを出さなければいけない。試合の1分1分全てに。1秒1秒全てに。

質、フィジカルのパワー、攻撃性、感情制御、全てが含まれている。

ユナイテッド戦のあの試合は、その 'オールイン' を感じられるいくつかの試合の内の1つだった。90分だと感じた試合の1つだった - しかしそれが900分で彼らが得点をしないこともあり得る。我々が常に試合に勝つのだ。

あのシーズン、我々は9月からリーグの首位に立っており、9月の間はメディアや全ての人が "クリスマス前にはこけるだろう" と言っていた。その後も、"クリスマス前にはこけるだろう" と言っていた。また "クリスマス前にはこけるだろう" と続けた。そしてようやく "イースターにはこけるだろう" となった。

しかし彼らはこけなかった。我々はこけなかった。

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時々、特に今、私は人々は本当のことを隠そうとしていると考えている - データやコメントやPRを使って。目的に達することが一番大事なことだというのが私にとっての現実である。そして、あのシーズンでは、プレミアリーグを優勝することだった。

じゃあどのようにやるかは重要なのか?

重要だ。

我々は素晴らしく圧倒的なフットボールをすること示した。守備的には、我々は驚異的であった。たくさんのゴールも決めた。そしてそして1度前に行けば、トランジションで相手を殺す能力があった。我々は完璧なチームだった。

実際にほとんど負けなかった。ただ誰も我々に勝てないという意味ではなく、我々が全員に勝っていたという意味だ。

“義務感を感じる。 – クラブやオーナー、選手に限らず、人々にもだ  – 全てを与えるために”

次のシーズンは、最初から我々のプレミアリーグであると感じられる良いシーズンだった。

我々はとても強かった。チームはいつ守備的になり、いつポゼッションをして試合をコントロールし、いつトランジションの中での重要な局面で相手を殺しにいくのかを知っていた。我々が前線に行くたびに、こういった感覚を持っていた: 試合は我々のものだ。

我々は、相手の中にあるちょっとした恐怖感を感じとれた。相手は攻撃したがっていたが、彼らは我々がトランジションで殺せることを知っているが故に恐れていた。相手は低いブロックで守りたがっていたが、彼らはボックスの中にディディエ・ドログバ (下写真) のような選手がいる時に入ってくるクロスは難しいと知っていた。そして、相手は多くのセットプレーがあれば、我々が得点することを知っていた。

とても楽しかったよ。

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私が去る頃には、チェルシーのファンと良い関係性が築けたと感じていた。それが良いのか悪いのかはわからないが、これが私がクラブに行く時のやり方だ。義務感のようなものである。

これらの人々への義務だ。クラブやオーナー、選手に限らず - 人々に、全てを与えるために。彼らが欲しがっているものを与えるために。そしてそれをする唯一の方法は、良いプロフェッショナルになるだけではない。彼らの一部になるのだ。

もちろん、ファンが求めているもとを知るのと同じように、クラブが求めていることを知ることも重要だと思っている。そしてそれを提供するように努めるのだ。

“時々, 単純さは天才であり、複雑さはあなた自身が十分ではないことを隠す”

インテル・ミラノにて、私と彼らとの同意は、最初のシーズンはイタリアフットボール界での圧倒さを保とう - 3連覇を果たそうというものだった。しかし同時に、チャンピオンズリーグへのニーズも埋めていくことだった。

2つ目をするためには、チームを次のレベルへ連れていく必要があった。

あの最初のシーズン、マンチェスター・ユナイテッドにチャンピオンズリーグで敗れる瞬間まで待ち続けた。あの瞬間に、私はオーナーとスポーツダイレクターに言ったんだ: "私にとって、これが我々に必要なものだ。"

我々は、守備的に低い位置でブロックを引いた時には驚異的なチームだった。しかしそのラインを20m上げ、高い位置からプレスをかけ、よりチームが圧倒する必要があった。それを助けるために、我々は速いセンターバックが必要だった - それが欠かせなかった。

クラブがあの夏に行ったことは驚異的だった。

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時々, 単純さは天才であり、複雑さはあなた自身が十分ではないことを隠す。インテルでは、クラブに単純な仕組みがあったため、私の即座の選択肢である、リカルド・カルバーリョは不可能であった。彼らは完璧な解決策を見つけたのだ: ルシオだ。彼はとても速かった。彼は我々が求めているものそのものをもたらしてくれた。

その後、中盤でのパスの質を向上しなければいけなかった。我々には素晴らしい選手がいた: ハビエル・サネッティ、デヤン・スタンコヴィッチ、サリー・ムンタリ。しかしもっと圧倒的になる必要があった。よりコントロールするために。

そのためには、我々は違うものを必要としていた。ウェズレイ・スナイデルは我々にとって鍵となった。

アプローチはとてもシンプルで、チームは本当に適応していた。セリエAを圧倒し続けるだけではなく、ヨーロッパのベストなチームに対しても強く、冷笑的で、賢く、現実的でいられるチームだった。

“私が最初にフットボールチームを分析し始めてからは、40年以上も経っている。”

約50年ほどインテルはヨーロピアンカップやチャンピオンズリーグを勝ち取っていなかった。インテルで世界中のほとんどのトッププレーヤーがプレーしていた1980年代や90年代に戻っても、それを成し遂げることは出来なかった。そこにはぶち壊さなければいけない心理的な壁があった。 

鍵となる瞬間はベスト16のチェルシー戦に来たと感じている。スタンフォードブリッジに行き、そこで勝った時から人々が信じ始めていた。優勝できるチームであったと感じ始めていた。あの瞬間はチームが必要なスイッチだった。 

心理的な壁が砕かれ始めた瞬間だ。

チャンピオンズリーグの優勝は素晴らしい功績だった。簡単な道のりではなかった - 抽選もラッキーであったとは言えないだろう。しかし、我々は競争に野望とクラブが求めているものを提供できるとんでもないチームで臨んだのだ。

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私が最初にフットボールチームを分析し始めてからは、40年以上も経っている。今日のようなコーチングスタッフではない時代の父親のチームから始まった。当時、そこには監督とおそらく1人のアシスタントのみだった。 

あのような日々からは多くの変化が起きている。しかしゲームの哲学的な一面に行くと、全く変わっていないことが1つある: それはより多くのゴールが決めたチームが勝つということだ。そしてそれが、私にとって、試合の基本的なポイントだと思っている。

それをするために様々な方法がある。正しい方法は、私の意見では、プレーする競争の可能性と手元にある選手である。

“ボールを持っていることが快適なチームは、持っていない時に何をするのか、もわかっていなければいけない。”

多くの人々は、より多くのポゼッションをしているチームがより圧倒しているチームだと信じている。しかしそれはどのように見るかである: ボールを持っていないチームもまた試合をコントロールすることが出来る。

ボールを持つことは、自尊心に影響を与えることである。何人かの監督にとって、私はそれはよりPRやイメージの問題だと思う。

しかし、ボールを持っていることが快適なチームは、持っていない時に何をするのか、もわかっていなければいけない。

同じように、もしチームがボール無しでただそこにいて守備をするだけで、奪い返した時に何をするのかを知らなければ、それはただの守備的なチームであり、あなたの運命は相手に委ねられてしまう。

私にとって、ベストチームは、これら全てのゲームの局面で圧倒する。

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そしてベストな監督?完璧な人になるには、3つのものを持たなければいけないと信じている。1つ目に、学術的なフォーメーション。2つ目に、その経験からくるゲーム理解。最後にはタレントだ。

この最後の部分が最も重要だ。フォーメションからは生まれない: それは血液の中にあるのだ。それは遺伝的だ。DNAにある。タレントを持っているか、持っていないか。

ただ全てを持っても、常に質問がある: 私は勝てるのか?

しかしそれは私が好きな未知なことへの感覚だ。私は常に持っている。


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