嵐と歩んだオタ人生

ジャニオタになったのは、約10年前。それこそ嵐が10周年アニバーサリーとして勢いを極めていた時。

初めて生身の人間のファンというものになった。

あこがれの人だった。

でもどこか現実身がなくて、漫画のキャラ同様に考えていた。

ライブDVDを狂ったように見た。うちわやペンライトをもっているわけではなく、ファンクラブにも入れず、実際に現場に行きたいという気持ちこそわいてこなかったが、それはそれで楽しかった。田舎住だし、いまいち実際に会場に赴いて応援するというのは想像することができなかった。それでも毎週毎日のようにCMやレギュラー番組で彼らを見かけ、家族や時には友人と感想を共有することが楽しかった。

そんな楽しいゆるオタ活ではあったが、ずっとジャニオタをしていたわけではない。生活スタイルとかによって冷めていた時期は正直あった。疲労困憊で帰宅し、録画容量の確保のために溜まっているレギュラー番組を必死に消費するも、飽きて寝てしまったり、そもそも何を見ていて何を見なければならないかを把握するのが面倒になった。新曲情報もひどいときはニュースのエンタメコーナーで知り、そして新曲のCDを初回盤だけそろえて、MVを見て、あとは本棚の肥やしに、ライブDVDは時間があるときに流し見程度になってしまった。

それでも彼らは安定して活躍していた。毎日毎回ではなくても何かしらの功績を残して、それがニュースで取り上げられるとうれしかった。なぜか周りには常にジャニオタが少ない環境で生きていたからそれ以下でもないがそれ以上でもない、みたいな状況がしばらく、6年続いた。


そんな中、唐突に初現場を踏むことになる。よく覚えてる。untitledの初日公演。セトリも演出もサッパリ分からない初回公演。


現場ってこんなにわくわくするんだ…

それがこの現場の感想である。

ライブに着ていく服を考えたり、アルバムの曲を履修しなおしたり、交通手段はどうしよう、宿泊はどうしよう、グッズは?そもそもいつ現場に入る?次の日の観光は?

もちろんライブ自体は楽しかったが、その過程全部ひっくるめて現場なんだと思う。

夢のような1か月を過ごした。

初めてファンクラブに入会した。

会報が届くようになり、会員証が届き、財布にあのグレーのカードがある優越感に浸る日々であった。

このころの生活の変化も相まって、周りに嵐ファンが多くいる状況が生まれていた。楽しかった。趣味の話を共有できることほど楽しいことはないと感じた瞬間であった。

残念ながら、自名義初申し込みライブは全滅であった。悲しかった。でもそれ以上に、いつか現場に自分の名義で入れる日が来るという実感を得て、うれしくなった。今後も今までのように毎年アルバムをだし、毎年ツアーをしてくれると信じていたから。


でもその甘い幻想はいとも簡単に壊れてしまった。

忘れもしない、休止発表、記者会見。

時が止まったように感じた。

冷静に受け止めている気がしたが、やっぱり気が動転していて次の日は学校を休んだ。(大学なので許されたい。)

5×20、後半50公演、幸運なことに自名義が当選した。

4月、二度目の現場を踏んだ。

泣いた。ひたすら泣いた。現実みがなかった休止も、半ばまだ存在を確証しきれていなかった彼らの姿も、ライブを楽しみにしていて、休止を悲しいと思っている大勢のファンのことも、全部全部本当なんだ、現実に存在するのだ、と気づいて泣いた。

12月、ライビュが当選したので、オーラスを映画館で見た。

田舎の映画館だったが、満席だった。いろんな人がいた。ブラストのバッグを持つ人、loveのツアバで来る人、いつのかも分からないようなペンラをかざす人。ファンは現場のあるような都会にだけじゃなくて本当に田舎にもいるんだなと確認した場だった。

このときの大野さんの挨拶はあまりにも有名。DVDにもなった。お涙頂戴のテレビ番組は大嫌いで嫌気がさすが、こういうこころのそ底から出たような言葉は嫌でも重く受け止めてしまう。泣いた。このときは現場の時とは違って、静かに泣いた。

夢だった、国立の現場はいろんな状況でなくなってしまった。

人間はわがままな生き物だから、一度楽しい空気を知ってしまうとそれを思い返さずにはいられないので、国立配信は楽しかったけど物足りなさを感じていた。




そして、本当に来てしまった2020年12月31日。最後の日。

夢のような様相を呈した配信ライブ。

びっくりした。ここに至るまでに嵐以外の配信も何個か見ているけど、満足度が桁違いだった。考え抜かれている。飽きる箇所が一つもない。わくわくする。手に汗握る。一番現場の空気に近いものを感じた。しかも全然止まらないし。配信環境についてはさっぱりわからないが、こんなに安定していい画質で見られた公演がなかったので、単純にそれだけでも満足度が高かった。もちろん、他のグループがいまいちだったというわけではない。

バックにはたくさんJr.が並んだ。予告なしの登場だったので全Jr.担はさぞかし度肝を抜かれたことだろう。ちなみに私もその一人。世代交代、というかジャニーズはまだまだ行くぞ、という気概を見せつける演出だったのではないかと思う。嵐はここで一区切り。長らくジャニーズ事務所のトップとして、アイドルとして、芸能界の先頭として突き進んできたところを後輩に譲る、というよりは託す、という感じでたくさん出してあげたのだろうな、と思う。年末から年明けすぐにかけてのジャニーズ事務所のドタバタ具合は半端なかったが、そんなものどうでもいいと思わせるほどの魅力や威力があの配信にはあった。

何回思い返しても、あのライブを超えるものを見れる気がしない。というか超えられても困る、というのが正直なところ。

いろんな経緯で嵐以外のジャニーズにもまあまあ詳しくなり、これから私の心身や金銭面が追い込まれていなければこれから何度か現場を踏むことはあると思っている。

そんな中でも、やっぱり初現場は一生忘れないかけがえないものだし、休止発表してからのライブは脳にこびりついてるし、休止前最後の配信ライブを超えるものは見れないし、私の人生のきっかけはいつだって嵐がくれていたことを忘れたくないなぁと改めて思う。

休止してからも、個人仕事のお知らせメールが来るのを見て、あ、嵐は現時点で存在していないんだなって強く思ってしまって悲しくなるけれど、その痛みさえ今は愛しく感じてしまう。

どうか、あの配信を超えるものを、

次は現場で、

5人の嵐をもう一度見られますように。

そう思いながら、掛け持ち先を応援する日々。

改めて、嵐の皆さん21年間お疲れ様でした。

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