見出し画像

ワーホリの思い出②~マーガレットリバー~

20歳くらいの時、大学を休学してオーストラリアにワーホリにいった。その時は若さと熱意に溢れていたと思う。

現在、社会人になって10年以上たつ、日々の業務に忙殺される中、当時の熱意を思い出す為、ワーホリの思い出を書いてみたくなった。

※15年以上前の話なので、今とは違うかもしれないし、人の名前、町の名前、距離感等うろ覚えです。

ドイツ人3人とマーガレットリバー山中のコテージに住みつつ、ブドウの枝切り(プルーニング)の仕事をすることになった。マーガレットリバーは西オーストラリア州パースから車で3時間くらいの田舎町だ。

コテージの寝室はツゥインベッドが二部屋あり、リビングやキッチンは共同だった。二人組で旅をしていたロイとヘンリーがひと部屋使い、もう一部屋をヨークと自分で使うことになった。

コテージの生活は朝5時30分に起き、軽く朝食を食べ、ブドウ畑に行き、枝切りや、枝を柵に結びつける仕事をし、コテージに戻り夕食を4人で食べ、テレビを見て、寝るという生活だった。

そして、土日は空き時間なので町に買い出しに行ったり(コテージの周りは店もなにもなかった)、車で洞窟や海等の観光スポットに遊びに行ったりした。

いきなり、山奥のコテージにドイツ人3人とすむことになり、不安MAXだったが、「不安も旅の醍醐味だ。なんとかなるだろう」と思える出来事があったので書いておく。

細かい状況は忘れたが、その日は送ってもらい、ヨークと二人で海に行った。海といってもビーチではなく、山中の高台から、絶景を眺めるかたちだ。

昼過ぎに行き、二時間程度、音楽を聴きながら絶景を眺めていた。不安MAXだった自分を鼓舞するように、「Carry On」とか「real Emotion」とか「READY STEADY GO」をループして聞いていたと思う。

日が沈み始めたので、帰ることになったが、帰る手立てがない。バスや電車もこないようなところに送ってもらい、帰りは適当に帰ってきてねという感じだったと思う。(そういうのが、その場所では普通だった)

そう、コテージに帰るにはヒッチハイクしかない。その場所では普通かもしれないが、自分にとっては人生初。

人生初のヒッチハイクがオーストラリアの田舎町。そして、慣れないドイツ人との生活やブドウ畑の仕事、言葉がうまく通じない環境での寂しさや不安等々が交ざり、心が折れそうになっていた。

その時、隣にいたヨークが

「It's too fun!」

と言った。

それを聞いて、ドイツ人はなんてユーモアに溢れていて、前向きなんだろうと思った。ヒッチハイクをしてなんとか帰らないといけない状況なのに、それすらも楽しもうとしている。

なんか、心が折れそうになっていた自分が、ちっぽけに感じてきた。自分は何を不安がっているのだろう。旅には不安が付き物だし、それこそが旅の醍醐味ではなかろうか。

心が軽くなり、なんとかなるだろうという気持ちになれ、ヒッチハイクも無事成功し、コテージに帰ってこれた。

その日の夜、ヨークにあの言葉良かったよと言ったら、何言ってるの?あれは「It's too far」と言ったんだと言われた。

完全に聞き間違えてた。というより、自分で良いように解釈していた。確かにtoo funという言葉はないだろう。でも、その時は皮肉を込めたユーモアかなと思った。

ただ、その聞き間違えのおかけで、前向きになれたのは確かだ。とんでもなくありがたい、聞き間違えだった。

言葉の真意はどうあれ、前向きになれ、その後のドイツ人との生活やブドウ畑の仕事も楽しくなってきた。

しかし、1ヶ月経ち、ヨークとロイとヘンリーがそろそろ次の場所に旅立つと言ってきた。

長くなったので、また今度。