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オーストラリアワーホリの思い出

20歳くらいの時、大学を休学してオーストラリアにワーホリにいった。その時は若さと熱意に溢れていたと思う。

現在、社会人になって10年以上たつ、日々の業務に忙殺される中、当時の熱意を思い出す為、ワーホリの思い出を書いてみたくなった。

※15年以上前の話なので、今とは違うかもしれないし、人の名前、町の名前もうろ覚えです。

20歳くらいの時、誰しも、みんなと楽しくやりながらも心のどこかで、自分は変わってる、何者かになれると思っている節はあると思う。ある人が「大学生はみんな、自分は変わり者だと思っている」と言っていた。確かにそんな年頃だし、そのアイデンティティーが熱意に変わるのかもしれない。

振り返ると自分もそんな学生だった。みんなと楽しくやりながらも、なにかみんなとは違う経験を通して、何者かになりたいと思っていた。だから、ワーホリに行った。最初はパースの語学学校で3ヶ月過ごした。

パースは西オーストラリアにある、オーストラリア第4の都市だ。第4と言っても、日本の都市とは違い、海辺の街という感じ。また、世界の中でも住みやすい都市とのことで、様々な国の人達がいた。そんな街で、昼は語学学校行って、夜は日本食レストランでバイトする日々を過ごしていた。

3ヶ月経ち、そんな生活にも慣れてきたころ、せっかくのワーホリなので、もっといろんな人にあって、様々な経験がしたいという思いが湧いてきた。

オーストラリアの主要都市には世界から来るワーホリの人達に仕事を紹介する、仕事紹介エージェント会社というのがある。そのエージェント会社でブドウの枝切り(プルーニング)の仕事を紹介してもらった。場所はパースからバスで3時間程のマーガレットリバーという田舎町。

いつも思う、冒険は見たり、読んだりしてるからワクワクする。やってる本人は不安しかない。チャップリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」とはものすごく的を得てると思う。

かくいう自分も、行くと決めるまでは冒険の主人公だが、行く日が近づくにつれ、不安に襲われ、パースを離れるのを後悔してきた。しかしここで諦めるわけにはいかない。「やらない後悔よりやった後悔」「不安6割、ワクワク4割が最高」と自分に言い聞かせ当日を迎えた。

オーストラリアでできた友達に別れを告げ、不安MAXの中、昼過ぎにバスで出発し、夕方にマーガレットリバーについた。夕方で薄暗く、人も少なく、田舎町で寂しさは最高潮だ。

エージェントの人に言われたのは、ちょうど3人のドイツ人が仕事を探しており、車も持っている。その人たちと合流し、一緒にコテージに住み、車でブドウ畑に行くといいとのこと。

バスを降り、3人のドイツ人と合流した。1人はヨークという同じ年(20才くらい)で、一人旅をしているとのこと。もう2人はロイとヘンリーという2人旅をしている男性だった。歳は25才くらい。

ロイとヘンリーが車を持っていたので、中心部から車で30分くらいの山奥のコテージに向かった。

山奥のコテージはセンターというところで、お菓子くらいは買えたが、食事の提供はなし。部屋にはトイレはついてたが、シャワー室は別棟という感じで、もちろん周りは林。車がなければ、どこにもいけないどころか、その場から脱出もできない場所だった。

そんな場所で、ドイツ人3人との生活とブドウの枝切りという、初めて経験する仕事が始まった。

長くなったので、続きはまた今度