J-HOPE "MORE"を考察したい

2022.07.01 13PM "MORE" MV公開

公開とともに言及された「映画オマージュ」説。


まずはこのいきなり届く箱のシーン。

参照するために時間も一緒にスクショしてます

箱と言えば…とか範囲広すぎて言及できないけど、後々分かってくる「ファイトクラブ」オマージュが本当ならば同監督の「セブン」を連想したっていいはず。
「セブン」では物語を決定づける最後の仕掛けとして「宅配で届く箱」が登場します。その中身は…後々言及します。

というか、このマンションの一室というのも「ファイトクラブ」ですよね??

画的に「ファイトクラブ」オマージュは決定じゃないかとして、考察したいのは「Outro:EGO」との繋がりと、映画「セブン」との繋がり。

ここからはモロに映画のネタバレするので初見の人は、まず映画を見てください!!

「ファイトクラブ」の真骨頂って”自分の別人格”と”克服したと思ったら結局…”な展開の部分だと思うんですけど、いかがですか?(虚空に語りかける人間)
主人公は最後の最後まで名前が明かされずただ「僕」として存在します。最後のクレジットも「ナレーター」とかなんとかだった気がする(2年以上に鑑賞したきりだからうろ覚え)。
あらすじはWikipediaまで。

彼は自分が生きているという実感を持てず不眠症に陥りますが、難病患者の集まりに参加することで、逆に自分の生を実感し不眠症を克服します。
次に彼が行きついたのは「暴力」。これもまた自分の生を実感できるコンテンツでした。
そして親しくなった「タイラー」は自分の理想を詰め込んだ別人格だったというオチ。
そんな彼と決別したかに見せかけて、最後はタイラーの計画通りの爆破が遂行され完結します。

ここで考えたいのは、EGOで語っていた”「チョン・ホソク」と「J-HOPE」は別人格である”とする流れをMOREも汲んでいるのかということです。

문득 스쳐가는 제이홉이 아닌 정호석의 삶
ふと過ぎるJ-HOPEではないチョン・ホソクの人生
희망이란 없고 후회만 가득했겠지 till I die
希望なんてないし 死ぬまで後悔で満ちていただろう

https://ameblo.jp/xxx95z/entry-12572403653.html

「タイラー」がJ-HOPEだとすれば、「僕」はチョン・ホソクになるわけで。
彼はまさにJ-HOPEになることで水を得た…。

そして「セブン」に向けてもオマージュしているならば、あの箱には七つの大罪の内の「嫉妬」「憤怒」が入っているんです。

でも映画と違うのは、彼は箱の中身には流されず蓋を閉めるということ。
J-HOPEが求める「MORE」の感情に対して、少しだけ悩んだのちに蓋を閉める…。
歌詞の中でわざわざ言及もしているけれど、「トロフィーやグラミー」に対しての「MORE」に蓋をしたかったんだと私は考えました。

彼の持つ「MORE」はふたつあって、ひとつが「チョン・ホソク」として、もうひとつが「BTSのJ-HOPE」として。BTSとして大きくなるために、もっともっとって貪欲に求めてきたけど、それに流されていないだろうか…チョン・ホソクとして生きているのだろうか…そう考え、今回の曲を書くに至ったのではないかと思いました。
これが本当かどうかは分からないけど。

「セブン」では、嫉妬の対象はブラピ演じるミルズであり、憤怒するのもミルズです。妻との幸せを歩み始めるミルズに嫉妬したジョン(犯人ですが本名も経歴も全く素性の分からない人物です)、妻をジョンに殺され憤怒するミルズ…。

「ファイトクラブ」では、名前を明かされない「僕」のような、世間見渡せば現実に喘ぐ人はどこにでもいるよと暗に諭されているような気分になりますが、チョン・ホソクもそんな風に現実の無味乾燥具合に喘いでいる内の一人なのかなと勝手に思いを馳せ…。
「セブン」のように、箱を開封するホソクさんを壁際でじっと見つめる人物にジョンを重ね、「どこの馬の骨とも分からない人からの勝手な嫉妬」に晒されるホソクさんに思いを馳せ…。
こんな解釈が合っているのか間違えているのかさえも分からないけど、ホソクさんはBTSを通して得たエネルギーを否定せずに、そこで得た全くのお門違いな嫉妬に対しての憤怒には目を向けず…な姿にやっぱり尊敬するなと思いました。

話がまとまらない。
というか、随時追記しちゃう気がする。笑
ホソクさんって本当に「沼」だなあああああああ。

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