Coffee Talkの感想(ネタバレ有)
寒いですね。何年か前なんでこんな寒いのか?と母に尋ねたことがあります。冬だからだそうです。とか書いたんですけど長いこと書きさしのまま放置してたら寒いって言い飽きてきた上に言うほど寒くなくなってきました。Playlistのポストちょっとずつ書き足してますが、コーヒートークやったらポストクレジットシーンに関する感想がキモになっちゃったのでこれはネタバレ抜きに書けません。日常系エンタメとしてはそこさえなければ…という感じでしたが、もう一つのテーマとなるイデオロギーの表現方法として見ると成功しているかもしれません。
よく言われてますけど、実際VA-11によく似たゲームでした。適宜飲み物を出しながらお客さんとの会話を読み進めていくという数時間規模のADVです。
こちらはバーでなくカフェ、サイバーパンクでなくファンタジーの種族が入り混じる世界観、展開する話もサイバーパンクじみた大事が起こるわけではなく親子喧嘩やら痴話喧嘩やらで順当に面白い、みたいな感じ。
開発者の想定通り、温かい飲み物とともにリラックスした雰囲気を味わうというような体験がしっかりできる楽しいゲームでした。雰囲気よく出てます。また、材料をいくつか組み合わせて飲み物を作るシステムも思ったより機能しており、人狼用の特効薬を作る話は特にチャーミングでした。
人間に吸血鬼、人魚にオークなどなどが登場する中でも、特に宇宙人のニールがお気に入りでした。怪しすぎて警察に追われてるっぽかったりとネタ枠寄りの面白キャラなのですが、任務のためとか言いながらがんばって地球人とのコミュニケーションを理解しようとしてるのが健気で推せます。
さてそんなニールですが、エンドロール後にカッコいい地球人の姿になって登場します。詳細は省きますが、ここで起きている前述の「エンタメ的失敗」を三つ挙げます。
まず一つ目は単純にニールのキャラ崩壊。彼の明かすところによると、キャラ作りも半分演技だったのでしょう。伏線は貼られてましたし、個人的な問題ではあるので非難に値するかはわかりません。健気に頑張った結果流暢に言語を操れるようになったとすると親目線でまた推せる。
二つ目は急にびびらされるせいで他がぼやける問題です。感情のコントラスト的にここが際立ってしまって、肝心の本編の好ましい雰囲気や余韻がすっ飛びます。
三つめはメタフィクション構造をもつことの唐突な開示です。VA-11におけるジルのような存在がなくて最初にプレイヤーの名前を入力させること、主人公の容姿が表示されることのないほぼ完全な一人称視点であることから本作がプレイヤーという存在を高次的に認識して主人公そのものに仕立て上げている…的なのにはうすうす気づいていましたが、「この時系列が~」みたいな話を最後にやりだすの普通にいらん!何より主人公に「(ルート分岐点)で~するフリをするのを忘れてしまってね」とは言わせないでほしかった。純粋に客との会話を楽しむゲームの主人公のロールプレイをしていたはずが、そもそもそんな主人公など存在しなかった(主人公自身もタイムトラベル能力を使ってプレイヤーと全く同じロールプレイをしていた、つまりプレイヤーと主人公は少なくとも本質的には同一の存在)となると、無意識的に楽しんできたロールプレイは崩壊し、全ての客との関係は上位存在目線にならざるを得ません。魅力的な日常系の一部分であった会話への参加に、傍観者としての演技という側面が頭をもたげてきます。
そんな感じで雰囲気、エンタメ的にはちょっと台無しにされた気分ですが、もう一つのテーマの表現方法とはどういうことか。
この作品がさらに表現しようとするものとして、開発チームが住むインドネシア的な「多様性の中の統一」があるようです。さまざまな種族が出てくるさまはお祭り感がありますが、これこそ多様性の象徴というわけ。例えばエルフとサキュバスのカップルは結婚を家族に反対されていたり(当然種族の違いを理由に)、フレイヤが「人間しか登場しない小説とかどう?」と言ってそれはヤバいと言われたりとこの世界ではいわば種族差別問題が根深いようですが、これを現実世界の多様性に読み替えることで、例えば「あえて一人も黒人黄人を出さない映画」と言ったらとか考えてみると、それがそれはヤバくね?と言われるレベルではラディカルな考えであることが実感できます。
こういう、フィクションの内容を現実世界について考える糧とする「読み替え」のプロセスは、たとえそれが求められる作品であっても基本的には鑑賞者に委ねられるわけですが、本作ではそのプロセスすら描かれるという点が興味深いです。ポストクレジットで明かされるメタフィクション構造こそがそれにあたるもので、これによってフィクション自らがフィクションの世界と現実世界とを結びつけています。
ニールは多様な種族の中でも特に異質なもので、宇宙人という設定やずれた言語感覚といった描かれ方はギャグっぽくこそありますが本作の描きうる最も極端な異分子であることを表します。カフェの客が隣の席の宇宙人にぎょっとしながらもうまく付き合おうとするさまは誇張された「多様性の中の統一」を見ているようです。
そして最後の最後、ニールとバリスタは同じ種族であること、そしてバリスタとは現実世界のプレイヤーと同一の存在であることが明かされ、作品中に描かれる種族差別問題だとかコミュニティの中で異分子になりうることだとかは、他人事ではないというようにより強固なメッセージとなります。ありていに言えば、メタフィクションは読み替えのプロセスという抵抗器を取り払うことができるので作品の持つメッセージを直接伝える役割も果たせるのではないでしょうか、という結論になります。
またこうなると本作にフィクションの世界とリアルの世界という対比構造も見えてきますが、すると登場人物のモチーフがファンタジーの種族である理由もわかる気がしますね。