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たいかいいかがさまですか?

 少し大きめのワイングラスに、塩水を注ぐ。濃度は0.5%程。3cmしかない幼体を観察するのに丁度良い。


 初めは書斎だった筈のこの場所は、小さな水道を付けてしまったせいで、作業の道具や趣味の物が乱雑に置かれた、しかし居心地の良い、秘密基地の様な場所になった。

「早く元気になれよ」

 そっと、細心の注意を払い物音一つさせずにワイングラスをテーブルに置く。
 蒼色のドレスを纏った姿がグラスの底と水面に反射する。
 ひらり、と長い裾がそこに無いはずの水流を生んで、パールが等間隔に並んだ側線が優雅に揺れる姿は届かぬこちらの世界に音楽を生む。刺激しない様にと絞った光源は、余計に幻想的な演出を深めていた。
 こうしてじっくりと人魚を眺める事が出来るのは役得だなと思う。

「なんだニヤニヤと、気持ちの悪い」
「なんだとはなんだ。お前こそ、勝手に入ってくるなよ」
「ん? そいつはどうした?」
「治療中だ。病気は重く無かったんだが、どうも元気がなくてね」
「ああ、塩浴中か。淡水人魚は群れなくてもいいから治療がスムーズでいいね」
「海水人魚は一人にするとそれだけで弱るものな」

 互いの苦労を溜息混じりの薄い笑いで慰めあって、入ってきた男に椅子を出してやる。この秋山と言う男は確か年下だった筈だが、恰幅の良さと白髪頭のせいで私の方が若く見られる事が多い。と、思っているがどうだろうな。社交辞令かもしれない。
 秋山に趣味の一つであるコーヒーを入れてやる。下手の横好きなのか、誰にも美味いと言われたことは無い。
 しかし、秋山は見た目に気を使わなすぎだな。身嗜みなど仕事に関係ないなんて言っているが、そんな事はない。人付き合いだって必要だろう。私から全ての情報を得ようとするんじゃない。

「おい、須賀よ。なにか失礼な事を思っているだろう」
「失礼な事などないさ。ただの愚痴だ」
「なんだ? 言ってみろ」
「いつもお前がカミさんに言われてるそのままだよ」
「ああ、ならいい。どれかは分からんが」
「いったい一日に何回愚痴を言われているんだか」
「両手で足りたらその日は静かだ」

 やはり軽口を叩ける相手は気が楽になって良い。普段命を扱う仕事をしているせいで、知らず知らずに肩が凝っている。
 遣り甲斐があるから辞める気はこれっぽっちも無いが。

「そういえば、遂にオロチが見つかったんだって?」

 そう秋山が切り出す。そうか、今日はそれが聞きたかったのか。

「なんだ、水棲種専門の癖にドラゴン種にも興味があるのか」
「ドラゴンはロマンだな」
「大概にしとけよ。その年で」
「お前こそ昆虫種に手を出してただろう。水棲種専門の癖に」
「私のは食いっぱぐれない為だよ」
「物は言いようだな。それで、オロチの情報はないのか」

 ワクワクと、少年の目と言えば聞こえがいいが。出来れば私以外にもこういう話をする相手を作って欲しいものだ。

「ドラゴン種の中でも龍に分類されるやつだが、今回出てきたのは三叉頭尾だな。八つじゃない」
「あー、まぁいきなり新種発見には至らないか」
「そりゃあね。秋山は龍の方が好きなのか」
「せっかくなら有翼種が良い」
「なんだそりゃ」
「まぁドラゴン種は憧れの範囲を出ないな」

 秋山の目線がワイングラスに注がれる。
 そうだろうとも。やはり人魚の美しさには敵わない。

 コーヒーを飲み終えたら、直ぐに広い養殖用の水槽に戻してあげよう。

 この子は特に美しい柄が出たから是非とも生き残って欲しいものだ。元気になったら白くて腹ビレの細い雄と掛け合わせるんだ。

 我々はどうしようもなくこの美しさに囚われている。

【大海如 何様ですか? 終】

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