なまえとわたしの虐待の話
私は幼少期自分に起きた事を特別な事だと思っていない。
両親も揃っていたし、何不自由なく五体満足で育っていたし、きっと誰しもが大小何かしらの虐待や虐めを負ってきているのだろうと思う。
だから私は普通に育っている。
でもひとつだけ、自覚して持っている傷がある。
とても小さなもので、人に言えば、なんでそんな事が? と言われそうな、私だけが気にしている傷だ。
それは、名前に関する事。
小学生の時、自分の名前について調べようという授業があった。
私の名前は『お婆ちゃんから一字もらって、平凡にならないように漢字を少し変えたもの』そして『長男が生まれるずっと前から考えていたものなんだよ』と、父から教えてもらった。
愛されてつけられた名前だと、思うべきなんだろう。でも私は別の事を思った。
「私はこの名前をつけられる為だけに生まれてきたのか」
父が女の子がどうしても欲しかったと言うのは知っていた。女である私が生まれるまで3人も産まされた、と母は表現していた。
きっと、長男が女の子だったら彼が私の名前をつけられて育ち、私は生まれなかっただろう。私が男だったら兄弟が増え、妹が私の名前だったはずだ。
重要なのは性別で、私で無くてもよかったんだ。
私で無くても。
私は生まれても生まれなくても、どちらでも良かったんだ。
自分で選択出来るはずの、『生まれた意味』と『生きている意味』が無くなった気がした。
くだらない、取るに足らない事だけれど、私にはこれが一番の傷だ。
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