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トウキョウ・イチラン・ナイト

 
 <明日の夜中暇?とか言ったら怒りますか>
<23時くらいに寮を出て池袋の一蘭に行くんですけど> 
<22時半まで仕事だけど、その後で良ければ>
<ウケる、じゃあ東口で>
<いやなんやねん  いいよ>

  37番出口は人の波で、ぼくは窒息しそうになっている。文脈”みたいなものが存在しない場所で、誰かを見つけられるかはちょっと怪しい。
 誘ってくれたきみは多分東京に慣れていないだろうし、もしかしたら東口(南)とかに行っているかもしれない。一応写真を撮って送ると「なんか南にいたわ」と連絡が来たので(やっぱり)暫く待機する。
 「いぇーい」5分くらいして、にゅっ、と横から金色の頭が現れた。「染めた、いいでしょ」「チャラい」「えー」「じゃあ行くか」

   「道分かります?」にうっかり首を振ってしまったため、きみに先導されて歩く形になった。ぼくの方がずっと長く住んでいるのに。
   知り合った時に大阪の中学生だったきみは、春から東京の大学生になった。時の流れって凄いんだな、と月並みなことを思う。
 きみは新しく入った寮の話をしている。どこかの文豪も住んでいたらしい体育会系の寮で、意外にもそれなりにうまくやっているみたいだ。
 あまり言わないけど、きみの取り留めもない話を聞くのは結構好きだ。少し前に会った時は「推薦入試の面接前日にサッカーの授業があって、みんなに冗談で『怪我させるぞ』って言われたけど結局自分でコケてケガした話」で、その前は「友達と夜中に家を抜け出して繁華街を自転車で走り、ファミチキを買って一緒に食べる話」だった。
 ユニークな寮生活の話がちょっと羨ましくて、きみはやっぱり時田秀美っぽいよね、と言った。「誰だっけそれ」 あれだよ、『ぼくは勉強ができない』の。「あー山田詠美か」 今度読むわ、と返されて、まずいことをしたな、と思った。3つ下のきみにこれ以上本を読まれると、ぼくはもうそろそろ敵わなくなってしまう。

 一蘭の行列が見えてきた。混んでるね、と言うと「なんば店はこんなもんじゃない」だそう。なんなんだその意地は。
 しばらく並び、中に入る。横のサラリーマンっぽい客がひたすら風俗店の話をしている。ここは味集中カウンターだぞ、味に集中しろ。
 辛い物が苦手なので、真ん中の赤いかたまりは抜いて注文した。どうも「秘伝のたれ」というらしくちょっと後悔。味玉もつければよかったかな、とかぐるぐる考えていると、迷うな、とばかりにラーメンが運ばれてきた。
 熱々の麺を口に運ぶ。自分ってとんこつスープが好きだったんだな、と知ったのすら結構最近で、麺の硬さの好みは未知だ。今日はオーダー用紙の「基本」に〇をつけたが、かなり丁度いい気がする。メソテース最強。
 きみは迷わず「かため」を頼み(もちろん?秘伝のたれもつけて)、ちょこちょこ話しかけてくる。二度目の「ここは味集中カウンターだぞ」をブローカ野にしまい、二外の話なんかを聞くことにした。大学生活が楽しそうで何よりだ。
 「そっちは今何やってんの」と聞かれ、やや迷いながらギフテッドの研究をする予定だと答える。「俺さ、幼稚園の頃IQ180 とかあったらしい」という謎のカミングアウトを受けて、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。「知能検査ってどんなのあるんだっけ」ウェクスラー式とビネー式かなあ。「あー、田中ビネーの」 ……何で覚えたか良く分かる返答だな。
 中学生だった頃のきみをふと思い出した。いつか一緒に研究の話をする時が来るんだよ、と言ったら、高2のぼくは信じただろうか。

 そろそろ帰ろうか、と外に出る。目の前には「I♥池袋」という看板を掲げる怪しげなお店。I♥NYって誰だっけ。「 ミルトン・グレイザー……なんかキモいな自分」いや凄いと思うけど。「だってなんかキモいじゃん」まあそういう美学は分かる、ごめん。
 夜の街には何となくワクワクする空気が漂っていて、正直このまま探索してみたいとも思う。だからこそきみに「危ないから早めに帰りなよ」なんて言ってみたら、それはこっちのセリフだ、と返された。「俺身長何cmあると思ってるんですか」と言われて、見上げる格好になっていたことに今更気づく。張り合っても仕方ないけど、逆転されちゃったのはちょっと悔しいな。
 有象無象の動きを背景に、交差点では短調の「とおりゃんせ」が流れている。「これラップパートあるらしいよ」と聞こえて顔を上げたら、「嘘、引っかかるな」と笑われた。「張り倒すぞ」「無理だろw」「うるさい」 
 いつのまに信号は青になっていて、きみを追いかける形でぼくは走った。良く分からないけどとても幸せで、家に帰ってたっぷり眠ろうと思う。
 
 10年後のきみとも食べに行けたらいいな。味玉くらいならつけてあげよう。


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