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不連続な道程

 『夏の夜会』という推理小説を読んだことがある。学級文庫の本全てに手を出さずにはいられない子どもだった頃の話だ。読後感が悪いから、とミステリにはあまり食指が動かないのが常だったのだが、「この物語の主人公は記憶だ」と書かれた帯に惹かれて夢中で読んだらしい。結末をきちんと覚えてはいないが、”思い出”なるものの不確かさ、そして都合の良さを教えてくれる物語だったようだ。


 わたしは連続的な記憶を持たない。

 
 時系列のわからないショート動画のような断片が、ごちゃ混ぜになって箱に入っている。これが自分の持ち物らしいことは分かっても、どのように整理して良いかは分からない。だいたいそんな感じである。
 わたしが足を踏み入れた学問領域が、この状態をどう説明するであろうかは既に知っている。残念ながらそれが役に立つとは思えないが。

 「その状態って自己の一貫性あるの?」と、好事家が聞いてくる。答えようがない。なくても困らないんじゃないんですかね~、と心の中で思う。
 筋道立った記憶が全然残っていなくても、客観的情報を知っていれば特に不都合なく生きてはいける。何なら、鮮烈な断片を基にストーリーを推測して組み立て、誰かに話すことも可能。細かい日々の動静を知らなくても歴史小説が書けるのと似ているかもしれない。
 ただ、自分がどこで何をして、どんな風に過ごしていたのかは全然わからない。おそらく今後も知ることはできない。「わたしの地面だけ、ぐらぐらゆれてる」と話すどこかの漫画の主人公の気持ちが、ほんの少しだけど分かる気がする。バランス感覚が良いから立っていられるけれども。

 時折頭の端に浮かぶ不鮮明なイメージはわたしを解放してはくれないのに、大切だったと推測される切れ端は毎日どこかに飛ばされていく。
 あなたに会えたことを覚えていられなかったらどうしようね、勿論どうしようもないんだけどさ?
 「まあ今を生きていくしかないですからね」と尤もらしいことを言われたから、そうですね、と答えておいた。
 書くことはだいたい添え木である。これまでも、これからも。

 

サポートエリアの説明文って何を書けばいいんですか?億が一来たら超喜びます。