「あなたの精神削って書いた文章からしか得られない栄養素がある」

って言われた。
私はそういう言葉を愛だと思って一生ついていくタイプなので、カルガモみたいにトコトコ歩きながらこのnoteを書いている。

「極限まで追い込むと良いものが生まれる」みたいな思想って元々は結構好きじゃなくて、そういうのに頼らないといいものが出てこない、って言っちゃったらそれは自分には才能がありません、と同義だよな〜と勝手に思っているんだけど、それはそれとしてギリギリの状態で作られたものの凄みとか輝きとかを否定するほど嫉妬に狂ってはいないつもりだし、自分の言葉がそうなったらいいと思わないわけではない。

前半生……と言うと大袈裟だがそこそこ長い間、わたしは何を感じてどう考えたかを誰かに話さない子どもだった。物語のことを無料で別人を生きられるチケットだと思っていて、「貪るように」という表現がぴったり嵌るくらいに本ばかり読んでいたにもかかわらず。
その結果として今、自分の言葉で他者とつながる喜びを遅まきながら味わうことになっている。同時に、書き連ねることが何かを修復している、ということも感じているのかもしれない。

正直に言うと、文章なんて必要としない方が幸せだと思う。精神削って書く出来事は普通にない方がいいし、物語がなくても生きられる人生だって多分沢山ある。それでも書かないとどこにも行けないから仕方なくそうしてきて、ごく稀に誰かに届いているらしい。贅沢な事だ。

「エッセイは毎日の切り売りだから長続きしない」と小さい頃にどこかで読んだのに、自分の内臓ばかり露出しているこのnoteは未だにネタ切れの気配がない。
私は文筆家でもなんでもないけど、精神を削っている限り「死ぬ気で……殺す気で書く」(好きな漫画の名台詞だ)は合っていて、というか何か書いている限り精神は多少なりとも削られるもので、ペンの(この場合は、画面の)向こう側と差し違えて倒れるくらいの覚悟でいたいよな、とかちょっと思ってしまう。

いや普通にサステナブルでいたいかも!わからん!

全部が分からなくなってきたので、ともだち何人かに言われた言葉で締めます。

こゆきが精神削って書いた文章って実質かき氷だよね。

サポートエリアの説明文って何を書けばいいんですか?億が一来たら超喜びます。