福島第一原発汚染水の海洋放出の正当性について


放射線防護の体系

放射線に関する法令

放射線による被曝を考えるに当たってまずは法令上でどう扱われているかを把握することが大事である。まずは原子力基本法で「民主」「自主」「公開」の三原則が定められている。

福島第一原発の炉内からくみあげた汚染水をALPS処理した「処理水」の海洋投棄が始まったときに「予告無く流せばいい」「流した振りをしてみればいい」などの暴言がSNSで見られたが、それはこの原子力基本法の原則から乖離したもので唾棄されるべきものである。党派的な思惑のために科学を振り回すことは結局はそれへの信頼を低下させることにしかならない。

第二条 原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

e-Gov 原子力基本法

この原子力基本法の元に放射線利用について定められた法令がある。日本における放射線利用については国際放射線防護委員会(ICRP)が勧告として刊行してきたものを法令に取り入れている。このICRP勧告での放射線防護体系は下の三つの一般原則に基づいている。

この中で重要なものは一番目の「正当化」である。放射線利用によるベネフィットがリスクを上回ることで正当化されるという考え方で、これは医薬品や医療機器などでは常に議論となるものであるが、それに限らず世の中のあらゆる技術に当てはまるものである。いくら効果があっても副作用の強い薬は認められないか使用するにしても条件が付けられるなどする。
これら三原則を含めたICRP勧告に沿って定められた国内の放射線防護については原子力規制庁委員会の下にに設けられている放射線審議会でまとめられた資料「放射線防護の基本的考え方の整理」を読むと分かりやすい。

放射線防護におけるLNT仮説

LNTに関しては改めて説明する必要はないが資料からいくつかの記述を紹介しておく。

LNTモデルを採用する限り、いわゆる安全と危険の境界を定めることはできない。健康影響の有無ではなく、影響発生の可能性を定量的に評価し管理するリスクベースの考え方が必要になる。

原子力規制委員会「放射線防護の基本的考え方の整理-放射線審議会における対応-」

公衆被ばくの実効線量限度(1 mSv/年)
計画被ばく状況の公衆の線量限度は、自然放射線被ばく線量(ラドンを除く)の変動に注目したときに地域間の差に相当する線量レベルであり、さらに、低線量・低線量率において高線量率の疫学データからの知見が適用できると仮定して過小評価にならないように計算された結果から、この線量率で生涯にわたる被ばくが続いたとしても、十分に小さいリスクであることから設定された。公衆の制限値として国際的に利用されている。LNTモデルを前提としていることから、しきい線量の意味合いで勧告されてはいない

原子力規制委員会「放射線防護の基本的考え方の整理-放射線審議会における対応-

線量限度について

線量限度についても。

線量限度は、管理の対象となるあらゆる放射線源からの被ばくの合計が、その値を超えないように管理するための基準値です。線量限度を超えなければそれでよいのではなく、防護の最適化によってさらに被ばくを下げる努力が求められます。このことから、線量限度はそこまで被ばくしてよいという値ではなく、安全と危険の境界を示す線量でもありません

環境省「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料

これに関する話として私の体験を記す。私は長年放射線業務従事者として放射線を利用した研究を行ってきた。管理区域内で作業をするがきちんとした対策をして作業をしていたため基本的には被曝はほとんどなく毎月の個人線量計による測定値はずっと0.0mSvと報告されていた。しかしある月に線量計のデータが0.1mSvを示したことがあった。このときは所属する組織の放射線取扱主任者から連絡が入り、この0.1mSvという予定外の被曝について何か心当たりがないかいつもと違った作業をしていないかなどあれこれ尋ねられた。結局は明確な原因が見つからなかったので、その後の健康診断をきちんと受診するように釘を刺された。0.1mSvでも予定外の被曝があればこうしてきちんと作業手順に問題がなかったか確認されるのが放射線利用の実務である。ちなみに予定外の被曝が大きい時には事故扱いとなり原子力規制庁への報告義務があり5mSvを超えるものがあれ原子力規制委員会のWebで社名公開される。
ネットであれこれ資料をみて20mSvまでとか100mSvまで被曝しても問題ないかのように発言するものが少なからずいるが、それは実務を知らない半可通による勝手解釈に過ぎず、ここまで読んでくればそれが間違っていることは理解できるはずである。

kikumacoによるnoteの問題点

ここからはkikumacoによるnoteの問題点を指摘する。すでに上で必要な根拠を挙げているので簡潔に記したい。

「風評加害」という妄想

以前から国や東電に親和的な意見を出している勢力はメディアや政治家が「風評」を作り出して「加害」しているというよく分からないことを言い出している。どうも住民の不安を伝えることを問題視するためにそういうことを言い出しているようである。それぞれの不安については理由があり記事ではきちんと説明されている。汚染水の海洋投棄にしても実際に魚介類の取引がなくなり将来を心配する人も多くいるのは事実である。しかし彼らはそれを「処理水」の「安全性」の問題が理解されていないことに矮小化してしままう。「処理水」の問題点を指摘するメディアが不安を作り出しているかのようにいうが、しかし事実の誤りを指摘することはまったくできていない。大手メディアで事実に基づかない報道はほとんどないし、仮に見つかればすぐに訂正されている。
そもそも「風評」というものは作り出せるものではない。たとえば中古車販売店で不正が行われていたことが明らかになったが、事件そのものは「事実」だしそれを報道する記事は「論評」である。その報道あるいは論評をみた消費者が他の中古車販売店でも同じようなことがあるのではとこれまで気になっていなかったリスクを認識して足が遠のくことで他の中古車販売会社の売り上げが減少するのが「風評被害」である。たとえば回転寿司店での調味料への悪戯が動画で広まった事件も同じである。コンビニの商品に異物が入っていた事件も同じである。海外から輸入していた食品に農薬が入っていた事件も同じである。そこで「加害」は誰が起こしているのか。経済的「被害」を直接引き起こしているのは金を落とさなくなった消費者であるともいえる。回転寿司店の事件ではまだ客離れが起きているかどうかも分からないうちに株価が下落した。これはまさに「風評被害」である。しかしその消費者離れを作り出した責任を事件を引き起こした当事者でなく報道したメディアになすりつけているのが「風評加害」論者のおかしなところである。せめて「風説」と「風評」の使い分けをきちんとできるようになってから出直してほしい。ついでに言えば、世の中の多くの人ががメディアに騙されているから「風評」が作られることを賢い俺たちが見抜いているという中二病的世界観はみっともないということも指摘しておきたい。

放出基準について

実際に海に放出される処理水はALPSで再処理して、トリチウム以外の放射性物質(代表的にはセシウム137やストロンチウム90)の濃度が「告示濃度限度比総和が1未満」になるように放射性物質を除去したものです。この意味を平たくいうと、処理された水を毎日2リットル飲み続けても平均の年間追加被曝量が1ミリシーベルトに達しないということです。もちろん誰も飲まないのですが、「飲んでも安全」なレベルまで除去するわけです。

kikumaco「僕はどうしてALPS処理水海洋放出を「完全に安全」と言うのだろう

上で述べているように1mSvは「飲んでも安全」なレベルではない。リスクはあるので、それを受容できるだけのメリットがあることを示さないといけない。それは個人レベルでも無意識のうちにやっていることで特別なことではない。

僕たちは自然界に存在する放射線や食べ物に自然に含まれる放射性物質で常に「自然被曝」しています。処理水放出による追加の被曝量はこの自然被曝と比較すればいいでしょう。日本人は平均で年間2.1ミリシーベルトの自然被曝をしています。また、世界平均は2.4ミリシーベルトです。つまり、上の最悪想定による年間被曝量は自然被曝の地域差の1/10程度でしかないことがわかります。これは「誤差の範囲」です。

kikumako「僕はどうしてALPS処理水海洋放出を「完全に安全」と言うのだろう」

ここでkikumacoは暗黙のうちに自然放射線では何も起こらないのだからそこにそれより少ない被曝をしても無視できるような仮定をしているように思われる。しかしLNT仮説を素直に使えば生涯で自然放射線によって100mSvや150mSvの被曝をしていて影響が何もないというのはありえない。一定のリスクを受けながら生活していると考えるべきである。一部で反原発派にたいして自然放射線と人工放射線の区別をするなと揶揄する意見を出す勢力がいるが、自然放射線を区別してリスクをネグっているのは彼らの方である。今回の「処理水」投棄により想定される被曝について個人として「完全に安全」と思うのは自由だけど、誰もがそう思わなくてはいけない理由はない。その点を大きく勘違いしている。

問題点

今回の放出の問題点は以下のようなものがある。

  1. 被曝の正当化が十分に説明されていない。

  2. 放出基準を満たすだけでは不十分で被曝低減の余地があるのにやらないのは不誠実である。

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