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壜詰めの天国。柔らかい陽が差す窓際に寝そべっていたら心まで光が溜ってくれるだろうか、などと。外では家族連れが燥いでいた。泣いてしまった理由を見ていたネット配信が良すぎた所為にして、羨ましいという気持ちを仕舞った。私だってあんなふうにしたかった。家族で笑いあったり遊んだり、愛されたかった。
でも、今ちゃんと幸せだ。たくさんのことを貰ってばかりで迷惑をかけてばかりの2年間だったのに、ずっと見放さずにいてくれる人がいた。

いつも戦っていた気がする。戦ったって勝てない母親と、戦ったって変えられない過去と。そのうち明日の自分にまで勝てなくなってしまった。声をあまり出さなくなって喉の奥が締め付けられた、そうしているうちに悲しみが肺を満たした。天井を見上げても空を見上げても同じで、何を突きつけられても、突き刺さりそのまま刺し殺されていくだけだった。

どうしてもっと早く逃げなかったのか。あんな風に学校にも行き、どんなに理不尽に殴られても家に帰っていたのか。一度警察に裏切られたトラウマ?せっかくここまで耐えたのだからという変なプライド?きっとそんなのちっぽけに思えるほどの何かに縛られていた。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の海野藻屑を自分と重ねた。痛みを与えられることが私の存在意義だったのだろうし、逃げるなという呪いからは逃げられなかった、ある種の依存だったように思う。暴力を振るわれることに依存するなんて変な話だよね。普通の人には理解され得ないだろうけど、幼少期からそんなだと脳が麻痺する。学校に行き、家に帰り、詰られるしか能のない人間なのだと、母に定義づけられた私を私で演じていたのだろうから自業自得。もういいよ、全部、洗脳されちゃった私が悪かった。


いつだったか、「守ってあげるから逃げてきていいんだよ」と言ってもらったとき、崩れ落ちそうになるのを堪えるのに必死だった。本当は、ずっとずっと逃げたくて助けて欲しくて仕方なかったんだ。


花びらの降らない春。欠けた私が全てを懸けたところで何になるだろう。


頑張りたいだとか期待だとかは、油断するとすぐ恐怖や不安に侵食されていくから、もう苦しみを表現するのはやめようと思う。そう決めている今だって死んでしまいそうなほど苦しいんだから、諦念と忘却を上手に利用して、狡く綺麗に欺いていくよ。頑張る。


私は他人よりも辛いことやしんどいことをたくさん知っているから、みんなより幸せを見つけることができるって。嬉しくて、貰ってからずっと大切にしてきた言葉。縋ってばかりじゃダメだけど、きっとこれからも私はこの言葉に支えられて明日を見るんだと思う。 



気が狂いそうな毎日の中だったけれど、ずっと知らないまま憧れていた、安心できる場所や優しい温度を教えてもらった2年間でした。

愛をありがとう。

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