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脈窠

02.23
望みが絶たれた状態のみを絶望と呼ぶのなら、たくさんの友人や趣味に囲まれながらも他人の人生を生きているようだった毎日は何と定義されるのだろう。

コンビニに寄るようにふらっと超越した瞬間だって、なんてことない、ただその瞬間が存在していたという事実と中途半端に壊れた私だけを残してきっといつかは消えていく。
諦念と羨望とほんの少しの期待をぶら下げて情けない顔で笑った。錆びついた体も全部愛してくれるかな。

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自傷行為、メンヘラか構ってちゃん の二つに分けられがちなのだけれどそんなのではなく、このままでは他人に害を及ぼしかねないという制御できそうもない破壊衝動の蠢きに気づいた時、それやっちゃったら母親と全く同じでしょ、だからタナトスとして自己へ向ける方法しか残ってないだけなんだよな。わかる?あ、わかんないよね、ごめん。ストレス発散というかとにかく周囲に当たり散らさないように自己完結しようとしているんだけど、ただ、

ほんとは、誰かのことはもちろんだけど、自分のことも傷つけたくないと、それはずっと思ってる。 

メンヘラだとか病んでるだとか相手のこと表層の数ミリしか知らないままに指さしてるお前、自分が理解出来ない事柄に対して適当に名前を付けてカテゴライズしないと不安になるその精神の方がお前の言うところのメンヘラに近いぞ。

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心臓の痛みで眠れない夜、過呼吸で何度も目が覚めて迎えた朝、どうせ乗り続けられないからすごく早くに乗る電車、日に日に酷くなっていく頭痛も吐き気も、どうしても普通と比べてしまって悔しいけれど、本当に苦しいのに苦しみを表したら非難されるそんなもんだから、大丈夫、平気だと言うのが口癖になった。嫌われないための防御線として。暗闇があってこその閃光だと言い聞かせて苦しみから目を逸らしているうちに、水中で水を求めるようになってしまって喉が嗄れた。

それでもそんな嗄れた声に気づいてくれて、自分ですらも許せなかった苦しみを、優しい色に変えて返してくれる人がいた。脈窠に結晶が生成されるように、数え切れない幾つもの空洞をキラキラで埋めてくれたその温もりや言葉こそが、私にとっての絶望の対義なのだと思う。


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