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夕焼けノスタルジア,群青日和

誰かを思い出しそうになる夕陽が、未だに疼く古傷を焼いた。物理的にも精神的にも痛むそれは、自傷跡だったり思い出だったりする。
いつも脇役ばかりの人生だから、帰り道くらいはこっそり主人公になりたくて、『遠ざかる茜色の空へ 胸が懐かしくて走り出す』という歌詞に合わせて走ってみたりした。イヤホンを外すと、茅蜩の声。瓶ラムネの中のビー玉をオレンジ色の空に翳していた手は、ハイボールの缶を持つようになった。そういえば私の好きな人は、お酒を全然飲まないらしい。

いい女は化粧品を全てCHANELで揃えているに違いない、と昔の私は思っていた。しかし、最強にいい女が、ベースメイクはDior、目元にはADDICTIONのラメ、唇には3CEを乗せ、極め付けにNARSのモデルに起用される、なんてことをやってのけたので、何が正解か分からなくなってしまった。
醜形恐怖症の権化として生きてきたが故に、正直何を身に纏ったところで、気持ちの悪い皮でしかない。もはや可愛いくなりたいとかそういう次元の問題ではなく、前提も結論もキモいの3文字なんだけど、分からないよねぇ。二重瞼にしても小鼻を細くしても人中を短くしても終わらない、ある種の呪詛のようなものなので、もう早くのっぺらぼうにでもなりたい。
が、そう簡単にパーツを剥ぎ取れるはずもないので、せめてものマナーとしてお化粧をするわけである。本当に、こんな顔の人間が公共の場に出てすみません…という気持ちだけで。人様に不快感を与えないためにと色を重ねているけれど、どうせなら、ほんの少しでも強くなれるものを使いたい。大好きなあの子とおそろい。という御呪いと、醜形恐怖の呪いの争いを経て、鏡を割る回数はかなり減ったように思う。如何やらnoroiはいつも、紙一重のようだ。



誰かのことは勿論だけど、本当は私のことも傷つけたくないと、それはずっと思ってる。



「別れる男に花の名前を一つ教えてやりなさい」とは川端康成の言葉だ。この言葉は「花は毎年必ず咲きます」と続く。
ぽつりぽつり落ちる雨だれに染められた、アジサイの花。紅蓮の華。花開く前に踏み潰されてた、瓦礫の隙間に埋めた種。餞に贈る鮮やかな花束。向日葵の丘。一か八、薔薇の道ゲーム。少しずつ開いたつぼみ。空を見る一輪の花。などと、あまりにもありふれている花を教えてくれたり、或いは敢えて名前を言ってくれなかったりする悪戯のせいで、いつでもキミのことを思い出してしまうよ。



それでも、思い出したように夕立ちが降る。『新宿は豪雨 あなた何処へやら』と口遊みながら歩く、田舎の畦道。

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