人生は常に回り道の連続

おはようございます。

よしぽんです。

人生は、予定調和でいる方がいいという人もいますが、自分は偶然性が生み出すことの大切さを感じています。

セレンビリティ、偶然性、偶発性。それは宗教的なものではなく、本当にあると思っています。

今ここにいる瞬間、今働いている場所、知り合った友人、家族など、偶発性によって左右されていると思っています。

もちろん本人の努力によって得られているものもありますが、努力などを行い、偶発性に身を委ねる。

偶発性の最大の障壁は何かそれは「動かないこと」だと思っています。

お金は障壁かもしれません。ですが、お金に関しては、自分の力で、変えることができる因子です。つまり、「動かないこと」が最大の障壁です。

コロナ下によって、リモートワーク、人と直接会わない、会うとしても、知っている人。コロナ下のマッチングアプリ、批判するつもりではないですが、アプリを作っている会社に予定調和のように引き合わせられているような気がして、自分はやろうと思えないです。

偶発性、偶然性、それは本質的に自分が能動的に動き、かつ、何かコミュニティを提供されている場でなく、自分たちが作り上げていく場。

今のコロナ下ではすごく偶発性を取りに行くのが難しい社会です。

ですが、読書や映画、家であったとしても、できることはあります。

コロナでコンフォータブルゾーンが家となり、偶発性でなく、予定調和に居心地が良くなりそうだからこそ、偶発性について再考したいと考えています。

そんなに習慣習慣って習慣が大事でしょうか。

安定安定って安定が大事でしょうか。

世の中そんなにつまらなくして、習慣や安定って機械やAIと何が違うのでしょうか。

なんていうことも感じている次第です。

もちろん人の意見の個人差があります。

決してコロナで飲み歩けという話ではないです。


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