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【観劇メモ】The Mysterious Stranger - ザ・ミステリアス・ストレンジャー


7/22(土)13時、公演初日、初回の公演でした。

きっかけ

白石隼也氏のファンで、ホリプロのマネージャー日記更新メールで今回この作品が上演されることを知りました。

元々観劇が好きで白石隼也が出る作品は絶対に観に行きたいと思っていたのと、ドラマだと見るのが続かないタイプだったので、また舞台が観れる!と知ってとても嬉しかったです。
それがまさか、出演だけでなく、脚本・演出とは……最近noteを始めて、いろいろとチャレンジしているらしいことは漏れ聞こえていたので、勝手ながらに感慨深く思っていました……彼が“やりたい”と思ったことをカタチにして、それを見せてもらえることに感謝…



劇場について

【浅草九劇】
浅草寺の北西くらい、浅草花やしき近くの浅草ひさご通りの中にある、収容人数約100人の小さな劇場。
行きは都営浅草線・浅草駅で降りたので、観光客の波に揉まれつつ、ひさびさに浅草の空気を感じながらちょっと歩きました。Googleマップによると15分くらい。

アーケード街であるひさご通りの街並みに馴染んでいて、事前にキャストさんたちのSNSでレンガ造りの外観であることを知らなければスルーしていたかもしれない……いや、1階がオシャレなカフェで、目を引いたのでその延長でちゃんと見つけられていたかもしれません。
(カフェは、観劇後、半券を持参するとドリンク100円引きのサービスが受けられるとのこと)

ある程度予想はしていたものの、非常にコンパクトで、客席と舞台の距離も近く、舞台上もこぢんまりとした印象。
背もたれが木製の椅子なので、長時間公演だとおしりや腰が痛くなるやつだ〜!と思った一方で、席番号が座面と背もたれの境界に書かれていたので自分の席が見つけやすくて助かりました。

館内、冷房がかなり効いていて、私は基本暑がりなので&日焼け対策で夏場でも薄手の上着を羽織っているので、ちょっと涼しいな〜程度だったけど、冷房苦手な人は羽織るものや膝にかけられるものなどあると快適かもしれません。



ストーリーと感想

以下、ネタバレを含みますというかお話の流れをざっくり思い出しながら書くので、ネタバレの塊です。時系列はぐちゃぐちゃです。

原作(マーク・トウェインの同名小説)はノータッチで鑑賞しました。
原作があるタイプの舞台に行く時いつも迷うんですが、劇場の生の空気で、初めて情報を取り入れる時のワッと何かが喚起されるような瞬間が好きなので、結局いつも舞台初見になるんですよね……(小説読む習慣と時間がないとも言う)


簡単にあらすじをまとめるならば、
オーストリアの中心部、山に囲まれた小さな村に暮らす少年・テオが、謎の人物・サタンと出会い、彼の不思議な力で、変わっていく人々・知らなかった世界の一面を見聞きすることで、モラルや善悪など、サタン曰く人間だけが持つ無駄な部分について向き合い、苦悩し、答えを見つける物語。
といった風になるのかなと思いました。

開幕、静かに淡々と、スポットライトを浴びて語るテオ。
表情と、演じる斉藤莉生くんの顔立ちと相俟って、淡白で無感動な印象。小説の導入らしくてこれから何が起こるのか、ワクワクする感じ、最高ですね……世界から遠い村、村の慣習だけで生きてきた彼らが何かを知っていく物語なのだなあと想像が膨らみました。
初めの教会のシーンで、直立した状態で会話をするテオとマーゲット、身振り手振りもなく話す二人に少し違和感を抱いたんですけど(違和感というかシュールな感じ)、中盤から、テオの表現の豊かさに度肝を抜かれることをこの時の私は知らないのであった——

ちょっと話は逸れるんですが、今回の舞台上のセットは、ステンドグラスにもマーゲットの家の窓にもなる窓付きの壁が1つと、シーンによっては普通の壁として扱われる牢屋の鉄格子、机と椅子、そしてオルガン、というシンプルなものだったんですが、物語が教会から始まるので、てっきりただのステンドグラスかと思っていたら、ステンドグラスに見えるよう色のついた照明を当てていたんだなとわかったところで、劇場版ウィザードのメイキングで晴人とコヨミに見立てて太陽と月のステンドグラスにしたら?と言ったのが通ったと嬉しそうに語っていたシーンを思い出して(完全に記憶だけで書いてるのでなんか違ってたらスミマセン)、ステンドグラス……舞台装置(?)として最高だな…と一瞬思い出に浸りました。以上、本当にしょうもない蛇足。

自称天使ことサタンの登場シーン、とっても丁寧に不思議な力を持っている、人間ではない何かということを説明するパートでした。テオとマーゲットの無言が作る間が絶妙〜に良かった……
そしてなんとなくちょっと怪しい喋り方をしている白石隼也、薄幸そうなニートとかモラトリアムが似合う人って認識だったんだけど、謎の人外もものすごく似合ってて良いな……と噛みしめました。

「君が呼んだんじゃないか」どう見ても呼んでないテオの反応。何言ってんだコイツ感がすごい。
一方が困惑していてもう一方だけがわかってる前提で勝手に話を進める流れ、洋画っぽい雰囲気で非常〜〜に好きなシーンでした。
これわかりやすい伏線で、後々テオがサタンを呼んだってわかる話が出てきたりするのかな???とずっと頭の片隅に残していたんですけどたぶん出てこなかったのでサタンのクセなのかなと自己完結。
クセ、というか……人間とは違う因果関係をつけて話をする人だったので(恐らくは未来を知っているが故に)、結果的にテオのためになったサタンという存在と初めて出会ったこのシーン、結果を知っているからこそテオにはサタンが必要だった、つまり「君が呼んだんじゃないか」ということなんだろうなあと深読みしているんですが、もうこの一言とサタンという存在の謎だけで小一時間考え込んで楽しめるなと思いました。

以降、テオとマーゲット、サタンの3人の交流が続くかと思いきや、アグネスという猫をサタンが連れてきたことから物語が徐々に悪い方へ転がり出す……そんな予感がするサタンの力の使い方、明快で良いなと思いながら観ていました。
この種類の猫はアグネスと決まってる、というセリフも意味がわからない人外感で好きです。人間には理解できない法則なんだろうな感。

それにしても、アドルフ神父(坪内さん)大変だなあ!
最初の人形のところも、あ!あれ神父様だったの!?と思ったのに、★それだけじゃなかった——!
サタンが猫ちゃん連れてきたシーン、笑った方が良かったですか!?笑いそうだったんですけど!!
サタンがカエルのおもちゃでアグネスじゃらして遊んでるシーンは完全に笑いました!!!!!
ひとしきり部屋の中を猫らしく一周したアグネス、そのまま鉄格子すり抜けて外出てったけど大丈夫なの…?と思っていたら、シーンが変わって囚人の姿に……だから縞模様の服だったのか……

サタンがテオにいくつかの世界を見せるシーン、急な暗転が入って場面転換したかと思うと、話自体は続いている……背景をすぐ変えるのが難しい舞台モノでも何かしらの工夫でよくこういう急な場面転換は使われると思うのだけど、暗転とセリフだけで、自然に、ただただ唐突に移動したことを示すの結構珍しいな〜と感じて、指パッチンとか要らないんだ〜って思ったんですけど、指パッチンなく会話の途中で、アハ体験よりは断然わかりやすいけど「然もありなん」という風に自然に変わるの、シュルレアリスムみを感じてとても好きでした。
漫画だったら「パッ」って書き文字が入っているやつだけど、それすらもなく、サタンのセリフだけで「ここは〇〇だよ」と、場所が変わっていることを知るの、とても良かったです……「ここは〇〇だよ」じゃないが???

そして、テオがマーゲットに推薦状を書いてくれるようアドルフ神父に頼みに行った結果、逆にマーゲットに魔女の嫌疑がかけられていると知ってしまうシーン、その理由が稼ぎのないマーゲットが定期的に買い物をしていることを訝しまれたことにある、つまりアグネスの持ってくる銀貨のせいだと気づくところ、徐々に回り回ってサタンのしたことが悪い方に働いていることを感じてゾワリとしました。
あと魔女狩りの時代か〜〜〜いいねいいね〜〜〜ってワクワクしました。

慌ててマーゲットの家へ走りアグネスを追い出すテオ、そして追い討ちをかけるようにマーゲットの家にいたサタンから、こうなることを最初から知っていたこと、マーゲットがサタンにキスをしたこと、を告げられて、激昂する流れ、感情的なテオの行動ラッシュ怒濤すぎて情緒ぶっ壊れるかと思った。
マーゲットを助けたいと言ったくせに、サタンに取られるくらいなら彼女が傷ついても構わないと思っている、という矛盾を指摘されるところ、““人間””だ〜〜〜!!と一人盛り上がって静かに拳を握り締めていました。
人の目を気にして怖くて何も行動を起こせない人間が陰でやることとしての描写が、本当にリアルで、これが人間なんだよなってしみじみ思ってしまうんですが、一方でさっぱり興味ない風で聞いてんだか聞いてないんだか、なサタン。
サタンが指摘したテオの言動の矛盾は、サタンが人間ではないから言えることというわけではなくて、人間であってもそう指摘できる人は少なからずいると思うんですけど、モラルなんて要らないものに縛られているからだと人間を嗤うことで、人間を観察しているサタンの人外みが強調されているなあと感じました。

このあたりから、アドルフ神父もテオも、怒りや葛藤を大声で表していて、落ち着いた口調からの緩急のつけ方が上手いなあ〜〜〜!とゾクゾクしながら見ていたんですが、特にテオのおとなしい陰キャっぽい無表情からの激昂、叫び出す前の手や口元の震えがリアルで、途中からずっと気にして目で追ってしまっていました……終演後、SNSで彼が舞台版ハリポタに出演していて熱心なファンも多い役者さんなのだということを知りました……斉藤莉生くん、本当に良いお芝居を見ました……

教会のシーン、サタンが現れる時毎回鉄格子をぬるりと通って出てくるの、壁をすり抜けてるんだと思うと、ちゃんと人外だな〜〜〜と思えてニヤニヤしてしまいましたね……
空間に突然現れているのかもしれないけど、鉄格子を生かして壁すり抜けてる設定だといいなって個人的に思っています。

マーゲットは、強かで芯があって打算的で、個人的には一番人間らしい人だったなあと思いました。そして髪型がとてもcuteで、所作が常に可愛い。
ちょっと歴史と政治に弱いので滅多なこと言えないんですけど、女性であるというだけで不利な時代を生きる人として、終盤、推薦書を巡るアドルフ神父とのやりとりはとても強かで、でもそれを武器にして生きるのだなあとストンと落ちてくるのでした。
ピーター神父が狂ってしまってショックを受けつつも、両親の願いのためにウィーンへ向かう姿。シーンとしてはあっけない印象だったんですけど、だからと言って、狂ったピーター神父の隣に居続けるのは彼女らしくないし、あっけないからこそのやるせなさがすごい……

というか、ショックを受けて意思疎通ができない狂人になる展開、ものすごく好きなんですけど、ピーター神父はサタンに人としての心を取られてしまって、ああなってしまったんですね。
いずれにせよ、自我をなくして支離滅裂なことしか言えない、そんな状態を幸せと呼ぶサタンと、それが理解できないテオの対立も中盤あたりから強調されてきた、人間の持つモラルや善悪の判断ということに対する問いがうろついていて、今思い返してもどちらが正しいのかとか、正しいなんてないんじゃないかとか、いろいろ考え込んでしまいます。

対立と言えば、私は対極だったりそういったものの対比だったりを感じるのがものすごく好きなんですが。
ピーター神父の再審で、アドルフ神父に真実を語らせたサタンのデウス・エクス・マキナ的な働きと、ピーター神父の心を奪って狂人にするという2つの行動は、サタンはわからないと主張する善性と悪性が表裏一体となったような描写だなと思いました。
そして物語の結末も、人間は最初からどんな人生を生きるか決まっていると運命論を語るサタンに対して、「ゆくゆくは人権を得る」と未来を知るサタンから聞いて、人間は少しずつでも変わってきているんだねということを確認するテオの対比。

サタンは人間ではない存在としてこの物語に登場しているとはいえ、結局は原作者のトウェインが人間に対して投げかけている問いなのだと思うと、テオの出した答えがサタンにどう刺さるのか、そもそも受け止めているのか、というところが非常に気になるところなんですけど………テオの言葉をサタンはどう受け止めたのか、締めのテオの語りは結局まだこの村がテオたちにとって“楽園”であった、というのがどういうことなのか。
少々、どころかたくさん余韻が残っているので、できる限り記憶を保ちつつ、帰路に図書館で原作「不思議な少年」と「人間とは何か」を借りたので、読みつつ振り返りつつ、また思考してみたいと思います。

もう早速2度目の観劇に足を運びたいと思っているんですが、日程的に難しいので、陰ながら全日程無事の公演を祈っております!
そして、ぜひまた脚本・演出作品が見られますよう!!!!!!未来を楽しみにしております!!!

(思い出したり書き直したくなったりしたらちょいちょいいじります……)


なお、観劇直後の感想。


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