『夢みる小学校』の卒業生が思うこと
さてはて、今日は『夢みる小学校』のお話をしようかな。
映画『夢みる小学校』って知っていますか?
夢見る小学校に出てくる子どもの村学園は私の母校。
小5〜高3まで通ってた。
昨日ね、名古屋で友だちのお母さんがこの映画の上映会をしてくれて、その上映後の卒業生トークショー(っていうと大袈裟に感じるけど)に呼んでもらったから行ってきたの。
映画自体を見るのは3回目で、ちょうど1年くらい前と、去年の8月と今回。
トークショーに出るのは2回目。
卒業生から見て、この映画どう?
この学校に通って何がよかった?
卒業してから周りとのギャップあった?
受験は大変だった?
親から離れて寂しくなかった?
なんでこの学校に入ろうと思ったの?
自分で入りたいって言ったの?
等々・・・
たくさん質問いただくけど、これはどこに行っても聞かれると思う笑
ひとまず、私が最初にこの映画を見た時に一番最初に出てきた感想は
「ホームビデオだな」ってこと。
この映画を見てくれた人はきっと、すごくキラキラした学校で、子どもたちが生き生き伸び伸び育っている、素敵な学校なんだ!って感じるんじゃないかな〜と思うの。(こういう教育に賛同してくれる人はね)
それは、私もそうだなと思う。
私はこの学園に通えて本当に良かったなと思ってるし、楽しかったことはいっっっっぱいある。ここに居たから今のわたしが在る。すごく良い学校生活だったの。
だけどね、映画に出てくることが全てだとは思ってほしくないなって気持ちもある。
親が撮ってくれたホームビデオとか写真ってさ、寝顔だったり、どこかに遊びに行った時だったり、運動会で頑張ってるところとか、そういうしあわせいっぱいの、キラキラした瞬間が多くない?
何かしちゃって親に本気で怒られてる時とか、反抗期真っ盛りでバチバチに喧嘩してたり、反抗してる時の動画ってあまりなくない?
そういうことだと思うんだよね。
私はあの学校に行けて良かった。
楽しかったし、充実してたし、しあわせだった。
本当にいい経験をしたなって思う。何にも変えられないもの。
そう思える理由の一部があの映画にまとまっているなって感じる。
そしてその一部っていうのは、外から学校を見たときに分かりやすく普通じゃなくて、素晴らしく見えるような様子の時ってこと。
例えばプロジェクト(体験学習ベースの子どもの村メイン授業)とかね。
けど、人が特に気付きや学びを得る時ってさ、壁にぶつかってめちゃめちゃ悩んで考えて試行錯誤したりした時じゃない?
もちろんプロジェクト中でもそういう思いはたくさんしてるんだけど、そうじゃない時間でも、人間関係だったりで色々学んで、考えて成長していってると思うの。
そしてそれぞれの考え方とか、関係性とかがあって、さらにプロジェクトに対する想いとか色んなことが相まって、プロジェクトの時間はもっと充実する。その背景にある色んなことから得られる学びだってかなり大切なんじゃないかな。
家庭でも、反抗期の子どもには頭抱えて、時にはムカついて、子どもと喧嘩して、親も子どもも反省する時はして、、、でも、そういう時間があるからこそ新しい発見ができたり、どこかでより幸せを感じたり、より愛おしく思う瞬間がくるんじゃないかなぁって。(全ての家庭がこうだとはもちろん思ってないけどね)
それと似てる気がするんだよね。
当たり前だけどあの学校に居たって誰かとぶつかることだってあるし、四六時中みんなで笑ってるわけじゃない。
みんながみんな主体性を持って、自発的に人前で意見をバンバン言える子に育つか、視野はすごーく広くなるのかと聞かれても100%そうなるとは言えない。
あの環境に長く居てもそういう事が苦手な子だっているから。
たまに学校が合わなくて辞めちゃう子だっている。
子ども同士で問題が起こることだっていっぱいある。
なかなか大きい問題の時もある。
だって多くの子は寮生活なんだもん。
「おはよう」から「おやすみ」までずーっといっしょ。
そりゃあ不満の1つや2つだって出てくるよ。
でもそういうことの含めて、学校だなと私は思うの。
それでいいと思うの。
子どもの村学園が、教育の正解だとは思わない。
絶対的正解なんてないから。
絶対に上手くいき続けることなんてない。
(し、それはそれでむしろ問題だとも思う笑)
時代や、環境や、そこに居る人たちによって学びの形は常に変わる。
そう思うからこそ、この映画をみて、こんな教育は素晴らしい!!
”この学校”をもっと増やそう!!とは思ってほしくないなあって。
あくまでこの映画は、こんな学校もあるんだよっていうだけ。
そしてそんな面白い学校の、ホームビデオ、キラキラしたところだなって。
今の日本にとってね、こういう学校があるんだよって伝える手段が映画という形でできたことはすごく良かったなと思ってる。
でもね、必ずしも、
子どもの村が正解なんじゃない。
公立の学校が間違いなんじゃない。
私はどっちもあっていいと思うし、もっと別のものがあっていいと思う。
それぞれの学校や、学びが、もっとたくさんあるべきだと思う。
今の教育の”当たり前”の形が嫌なとき、子どもの村みたいな学校が”選択肢のひとつ”になればいい。
いろんな学校がある、思い描く学校がないなら作っちゃえばいい。
教育は学校の中だけじゃなくて、家とか、地域でもしたっていい。
学びは教科書だけじゃない。
一分一秒の暮らしや、疑問が学びになる。
もちろん教科書の中のことだって、学び。
だけどそれだけじゃない。
私は、学校で”勉強”だけしてたんじゃない。
それはどうなの?って大人(先生)や学校の対応に思うこともあった。
だけど、そう思ったなら、そう伝えたらいい。
変えたいなって思うルールがあるなら変えればいい。
そういうことを、できる場所だった。
視野広いなあ、すごいなあ、ああ、そんな考え方もあったのか!って思える事を言ってくれる友だちとか、大人がたくさんいる。
尊敬できる人がたくさんいるところだった。
生き方を学んでたとも言えるのかなあ。
学校を卒業してからも、どこに居たって日々が学びになるし、ずっと成長は続くけど、そういうこと自体にも気づかせてくれたと思う。
たくさん縛りがある場所は不自由かもしれないけど、自由すぎるのもまた不自由なのよな。それが良いんだけどね。
大人(先生)は私にとって無条件の愛をくれて、一緒に大きくなった友だちがいて、学校はいつでも帰れる場所。
それってすごく尊いことだなあと、ふと思うことがある。
堀さん(学園長)が作ってくれた学校であり、子どもと大人たちが作り続けている学校。
これからどうなっていくか楽しみだな〜
あ、ちなみにね、子どもの村に入ろうと思った理由は楽しそうだったから。
(だと思う。)
わたし元々は地元の公立の学校に通ってたんだけど、小3の時に学校行くの嫌になって、しばらく不登校からの保健室登校をしてたの。
そんな時期に母親が偶然子どもの村の事を知って、見学に言って、ここに行きたいって思うようになった。
きっとみんなが楽しそうにしてたからだと思う。
あと宿題がなかったてのも大きかった笑
公立にいた頃、本当に宿題嫌いだったの。
なんでかは覚えてないんだけど、とにかくしたくなかった笑
学校行ったら宿題出さなきゃいけないから休んでたのかな?笑笑
ただいくら寮生活とはいえ学校までかなり距離はあるし、(後から知ったけど)父はずっと反対してたらしい。
でも私は1年くらいずっと行きたいって言ってたから、入れてもらえた。
本当にありがたいなと思う。
かなり心配だったんだろうけど、でも両親的にも家庭的にも、私が子どもの村に行ったのは良かったなって今は感じてる。
もっと思ってたことあった気もするけど、もう眠くて思い出せない。。。
いつもよりいっぱい書いたな〜
まあまた、書きたくなったら追記しよ
頑張って文章で伝えようとしたけど、よくわからんとか、さらに質問とかあったらできる範囲でお答えします🙆♀️
よし、寝よ
昨日は一緒に上映会でた子たちと久しぶりで朝まで話してたかそりゃ眠いよね笑
子どもの村の子は自立してるとか、大人っぽいとか視野が広いとか、すごいって言ってもらえることもあるけどね、私は苦手なことだってあるし、まだまだな部分がいっっぱいだし、たまには朝までわいわい喋ったりもする。
でも褒めていただけるのは嬉しいし実際そういう部分もあるんだと思うからね、そこは胸を張ってまあまあ誇って、でも驕らずに、明日からものんびりゆったり、たまに走って行こ〜っと。
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