大事なことは全てゲームが教えてくれた。起動編

ぼくがゲームと出会ったのは小学2年生の頃だった。親がゲーム嫌いなため、家でやることはできなかった。
そのため、友人宅でのゲームはなんとも格別だった。もちろんコントローラーにすら慣れてないから弱い。大乱闘しても必殺技ばかり出して避けられる。ルールもイマイチ分からん。攻撃が当たらない。負ける。それでも楽しい。

小学4年生のクリスマス、ぼくはサンタさんにゲームボーイSPとポケットモンスターエメラルドをお願いした。朝、届いたのは当時流行っていたブレイブストーリーのDVDだった。
そのDVDは何度も見た。正直良い映画だ。泣けるしあつい。出来が良いだけに嫌いにはなれなかった。

しかしこの時、人生で初めて諦めの感情を抱いた。

「期待しても意味ないんだ。」

サンタなどいないのは、勿論知っていた。
父親に歯向かっても無駄なことは過去の経験で知っていた。口論して勝っても「大人だから正しい」の一言でねじ伏せられた。

だからこそサンタに願ったのに。

願いすら叶わないのか。
期待した自分を惨めに思う虚無な感覚と、期待を裏切られた悲しい気持ちで布団にくるまり泣いたのを今でも覚えている。

"もう期待はしない。"
こんなに辛くなるなら、最初から期待しなければ良いのだ。そうすれば裏切られることはない。もう絶対に信じない。他人など信用しない。裏切られたくない。

ここから僕の人生哲学は始まっている。
その日から少しずつ親に対して自己主張するのをやめた。もともと苦手だったけど、諦めた。
そんなことして否定されたら辛いじゃないか。

お前らのことなんか大人になったら見捨ててやる。しょうがないからそれまで我慢してやるよ。そう思うぐらい投げやりな気持ちだった。

それでも小学生時代はまだ良かった。
サッカーしたり鬼ごっこすれば乗り切れる。
勉強も割とできる方だし、死ぬほど困ることはなかった。

中学生時代、通じなくなった。
継続して勉強はできる方だったし、部活にも打ち込んでいたので学校生活に飽きることはなかった。クラスメイトにも恵まれて、そこそこ仲よかった。一緒に過ごす時間が楽しかった。
ただし、少しずつ会話についていけなくなり、ただ愛想笑いする人に成り果てていったことにメンタルが削られていくのも感じていた。

我が家ではゲームだけでなくアニメや漫画、バラエティー番組も禁止されていた。
正直友人が話してる内容の7割は意味わかんない単語だったが、わかったフリをしていた。
そうでもしないと居場所がない。
会話に入れない。
とても辛かった。

なぜかうちの親はインターネットには寛容で、小学5年生の時からリビングにパソコンが置いてあった。最初のうちはニュース系サイトやタイピング練習ソフトを教育用として使っていた。

中学生になった僕はパソコンの使い方もこなれてきて、ゲームサイトに辿り着いた。
そしてフリーゲームに多くの時間を費やした。非常に楽しい経験だった。
(今思えば、技を覚えたモンスター3匹で勝ち抜き戦するなどと版権的にヤバそうなのもあった)

親がいない時間を見計らいアクセスした。
途中からなんとかフィルターなるものでアクセス制限もされたが、回り道して突破した。親が帰宅した時何をしてたか聞かれても、嘘をつくようになった。
辻褄合わせの嘘が少しずつ上手くなった。

"本音など言わない。"
本当のことなど誰にも言わない。
言っても無駄だから。

そうして磨いていった技術は自分にも刃を向け出した。
辛い時、自分にも嘘をつくようになった。
実はこんなかっこいい理由があるから全然辛くないんだ(^O^)と、受け入れ難い現実にも妄想で対抗した。自分を騙して追い込んだ。

"誰にも弱味を見せられなくなった。"
捌け口を持てず、友人の会話についていけない劣等感だけ膨らんでいった。

そして中学3年生の11月。
爆発した。戦った。そして勝利した。
なぜ父親に打ち勝てたのかあまり分かっていない。勇気を振り絞って、溜め込んだ感情をそのまま吐き出したのを覚えている。

以前に勝負を挑んだ4年生の時の方が確実に論理的だった。落ち着いていた。説得力もあった。謎だった。
(様々な本を読んだ今思い返すと、人を動かすのは論理でなく感情・情理なのだと妙な納得感はある。)

親に感情をぶつけた次の週末、ワクワクして買いに行った。近くにあるイオン(当時はジャスコ)で購入した。
最初に購入したゲーム機はPSPだった。

箱を握り、自室に篭る。
充電器につないで、スイッチを探す。
音が鳴り本体が少し熱くなった。

つづく。

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