東京より愛と密を込めて

今、檸檬と漢字で書けばあの歌の事だろう。
十余年前の私にとって檸檬は梶井基次郎の著作であり、自分と仲間が作るZINEの名前だった。
並ぶ本の上にそっと檸檬を置くみたいな過激に憧れたし、今もちょっとある。
(勿論、本は大切にしましょう)
さて2020年。今回のABTTは東京もんのやばい密を送り込むというミッションとして取り組んだ。紙を縫うという表現で絶対伝わってない自信があるけど自分の中では時事ネタである。(ちなみに密なのは表紙と裏表紙で、中はさっぱりしたもんだ)会期中に観に行けたらいいなと思っていたが、現状かなえることは出来ない。春の時点では「事態が収まったら宇宙の果てまで一人旅がしたい!それが無理なら本場の菱刺しを学びに青森に行きたい!」と毎晩ソウルフルなお気持ちを表明していたが、どちらも当分行けそうにない。年単位かな、もっと?ゴールの先にも道が続くってほろ苦く良い話だと思っていた。現実はだいぶ嬉しくないやつだ。疎と密についてよく考える。何処からニアリイーコール0とするか。会えないのは死んだのと一緒。逆も然り。蜜が表面張力で玉を為すまでに幾つの花を巡り集めるのだろう。人ひとりが発症するのに必要十分なヴァイラスの数。宇宙のひみつはちみつなはちみつ。ホットゾーンの、検体の付着した剃刀の刃が皮膚に吸い込まれていく場面が繰り返しちらついて脳にブレーキをかける。あれは怖かったな。そんな風に、ぱたんと本を閉じれば終わる悲劇に救われる事もある。本じゃなきゃできないこと。きっとあの町の大通りからちょいと入って広いけどわりと道の脇が凸凹で自転車の車輪が取られそうになるあの通りの、看板が出ているのを確認して階段を上りガラス扉を開ければ、風変わりな本の形をした世界が86個並んで待っている。行ける人は見に行ってほしい。私も本当は観に行きたい。片道切符を握りしめて、ロケットに乗って。

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