うちに帰るまで[2]
前回の続き。母が入院・入所中の私と父の動きについて。
母が倒れた後、私はとりあえず実家に戻った。父は家事などをしないタイプなので、衣食に困るだろうと思ったからだ。母不在の上、父まで体を壊したら、私にとってはダブルパンチである。同時に、実家の引越しについても考えていた。
当時両親は古い団地の4階に住んでいた。医者の今後の見立てを鑑みても、その生活を続けることは難しい。車椅子になったとしても住める家を、母が帰って来るまでに用意しなければならない。
しかし、問題があった。
うちはあまり裕福ではない。家賃が破格の団地暮らしも30年近い。今更、高額のバリアフリー住宅になど入居出来るのだろうか。
私が実家に戻り家賃を一部負担すれば、まあ出来なくもないのかもしれない。そう考え、今後必要な手続きなどを調べつつ、日々を過ごした。
住居の確保、介護認定、介護サービスの開始…母が退院するまでにどうスケジューリングするか…
私の頭は現実的な問題で一杯一杯で、今考えるとやや先走っていた。
対して父はのんびりしていて、私がやいやい言ってようやく動き出すのだった。
私はわからない事態に対して不安が大きかったので、関連する本を読み、これから住む住居について調べまくり、焦りまくっていた。父がのんびりしている分、段取りをつけないと安心できない。
いたずらに不安を煽る情報ばかり得てしまう。
しかし、今後の介護のキモになる介護サービスについては父のツテで解決した。父は自分で何かを調べることはなかったものの、周囲に問題をオープンに話していたため、勤め先からの紹介でケアプランナーが見つかったのだ。一番わからなかった分野の問題だったので、これはありがたかった。
あとは住居である。
バリアフリー住宅といっても、どの程度なのかを推しはかる必要がある。
段差がありませんでは足りない。車椅子の生活が出来る幅、戸口、手すりが用意されているところは案外少ない。エレベーターもいる。外にスロープもいる。
いいなと思うところがあっても、空室がない。
健康な人が住むのを前提として建てた家に、あとからバリアフリー要素を入れると、住めなくはないが不便な家になる。
割とそういうものは多い。工夫と努力がいる。工夫と努力と介護。考えるだけでしんどいワードである。
脱線した。
理想とは遠い物件しか見つからず、気分も萎えていたころ、運の良いことに完全バリアフリーの新築マンションが入居募集をかけていた。入居時期も、母が戻る頃と被る。しかし、家賃が団地の倍以上。父は渋っていたが、母と暮らすにはここしかないと納得し、思い切って入居を決めた。
こうして、現実的な問題は運良くことが運び、母を迎えることができた。今考えても、天の采配のようにうまくいったとしか言いようがない。なので、大変だったが、肝心なことを苦労せず済んだことを本当にありがたく思っている。
まだ書き足りないので、次回もお付き合いください。
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