無題

とある日にギンヤンマを見ました。

ギンヤンマは突然急に目の前にわたしを2秒見つめて飛んで行きました。伝言を伝えられました。

太陽は水たまりの脈絡をうつしだしました。その水たまりから獲物を狩る鋭い目つきの太陽が揺らぎながらゆっくり覗き込んできました。長年ひとりぼっちだった甲高い声の生き物たちが一生懸命に生きた証を残そうとしていました。空はうっすらと月と一緒に見守り続けています。声を聞いて美しいと感じました。

用事を済ませ散歩をしていたらキアゲハが飛んでいました。とても小さくひらひらとひとりきりで飛ぶ、飛ぶと斜めに横切る姿を目に透されて生きることは死ぬためにある。と数年前に書いたnote を思い出した。自然に住む生き物は眩しいくらいに輝いていました。

数日後、何をしても物事の流れが上手くいきませんでした。そういう日なのだと受け入れようと階段を上がっていたらセミ爆弾を受けました。簡単に受け入れようとしたらお叱りを受けました。 良い夏の思い出です。

月末にお別れをして月初に1ヶ月間を生き延びるにはさよならの始まりとお別れの終わりを受け入れる準備を続けます。だいぶ前に悲しい出来事があり体が壊れそうなギリギリな極限状態を維持して生活すれば良いと思い込みをして体を壊しました。壊した体から生き急いで死にたいの?と言われてしまいました。療養生活をしながら1秒1秒湧き上がる気持ちを大事に大事に零れることなく大切に胸に刻んで回復生活をしています。

病院が終わり待ち合わせの時間まで本屋さんで新しい未知の発見を探していました。ドラマ半沢直樹の原作が陳列したりして話題の本や店員さんがお勧めする本が、いりぐちとでぐちにあります。エアコンの空気の流れが耳を裂き、すとんと強く集中させてくれました。何もなく全てがわからなくなる無音の真っ暗で目の有形をのぞき込むと本屋さんの風景が見える部屋が見えます。すとすと歩いたらビジネスコーナーに本の帯に書かれてある言葉たちが意気揚々と楽しそうに見栄(映)えていました。本の帯の言葉たちから一文字が浮かび上がりました。芸術美術アートは無。ビジネスは法。と聞こえました。目を閉じて待ち合わせ場所に向かいながら人は善悪があり善と悪の水平に維持しないと気づかないうちに誰かを傷つけてしまう。傷つくのが怖くて不安だから人に勝る何かを素材にして嫉妬をしたり優越や独占から三毒が生まれることをしているのかなと考えると引きずり込まれるので悪性を丁寧に思いやりを込めて扱うようにしようと思考を終了してドタバタした出来事を片付けました。

人と少しずつ触れ合いながら         人の気持ちにつけ込まれない優しさを持ち続けてここからこれからを生き延びます。      おやすみなさい。

最後までお時間を割いて読んでくださりありがとうございます。生活するきっかけになれたならとても嬉しいです。