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⑧私が手術台の上で『みなさん、よろしくお願いしま〜〜す』と大きな声で言った日の前後のはなし=その⑧

少しあいてしまいました。
すっかり梅雨も明けたので、急ぎます。

退院の日も決まり、手術の傷痕を覆っていたテープを主主治医が剥がすと言い出し、傷は塞がっているのか?何かが本当に出てこないのか?
怖い退院に向けた準備が始まっていきます。


テープを剥がす時が来た

予告通りに、大学の講義の後に主主治医が病室に登場し、
主主治医「さぁ、ひっぺ剥がしますよ」(半笑)
テープを剥がすときに、その縫い目はほどけないのか?という(あるはずもない)疑問不安しかない私の脳内をよそに、剥がすよね。

喧しい私用?に形成手術後に使用するテープを新たに貼ってくれました。
(確か2、3センチのテープを傷に沿って貼り合わせてくれる感じで)
私「先生、これいつか自分で剥がすんですか?(恐怖)」
主主治医「このテープは粘着力が強いから、そのまま貼ったままで端っこから勝手に剥がれて来たら取ったらいいですよ」
私「え〜そのままで?」(恐ろしい事故が起こらない様に大切にこのテープを維持することを決意)
主主治医「傷痕、綺麗になれ〜とを込めながら貼っておきますね」(半笑)と、半笑いながら念をこめて貼ってもらったけれど、、
入院中は傷痕が綺麗と褒められていた優秀な若手の私のお腹でしたが、ケロイド体質だったようで、4年経った今でも傷痕のケアは必要で悩みの種になっています。残念。これは永遠?

傷痕の一箇所がチクチク痛いところがあって、トゲが刺さっているような痛さが数日前からあったので、念を込めてもらっている時に聞いてみた。

私「この辺りがチクチクしてるんですけど、糸とか出ていませんか?」
主主治医「(指で傷痕をなぞりながら)大丈夫ですよ、今は出てないです」

なんですって!!??今は!?今は!?

私「先生、後から出てくる事とかあるんですか?」
主主治医「たまにありますよ」
私「出て来たら?」
主主治医「出てきた糸は溶けることができないので、先の鋭いハサミなどで切ってください?」
私「え!自分で!?」(やかまし過ぎ)
主主治医「外来に来てもらったら、誰か居てるので切りますよ」(半笑)
私「わかりました」(行ける?糸出てきました!先生、切ってくださいって。子供じゃなし)
実際、しばら〜〜〜く後に出てきました。針金の様な糸をイメージしていたけど(な訳ない)、端がフワフッワの柔らかい糸が5ミリくらい?自分で恐々ハサミで切りました。
そして、一年ぐらいしてからかな?ポロッと異物が傷痕の端から取れて、、ああ、これは糸だな、と。この頃には傷痕から内臓が滲み出てくる様な(アホみたいな)不安はもう消え去っているので、余裕で受け止める事ができました。

退院までに聞いておきたい

退院が決まったら、もうお客さんみたいな雰囲気です。
起き上がりや歩くことに不便(これはとっても不自由でしたが)は、あっても、自由に院内を行動できる。
今にして思えば、、そう、まさに余暇を楽しんでいる感じでした(笑)

余暇を楽しみながらも私はある疑念を拭えずにいた。
それは、執刀してくれたのは本当に教授なのか??(だって見てないし)
私は“お得意か?”を確認した上で(笑)教授に執刀をお願いして、教授からも「では、私が、、」と返事はもらったけど見てない(笑)

私が「皆さん、よろしくお願いします〜〜〜」と手術台の上で放った時には
まだ教授の姿はなく、目が覚めた時にはICUだったし、手術翌日に教授は説明に来て下さったけど執刀ナウは見ていない(当たり前)
手術後、説明を受けた家族の皆さんたちに、その時の教授の様子などを聞いたりしたけれど(笑)、どんな出立だったとか(笑)、
しかしイマイチ確証は得られないままでした。

でも、こればっかりは聞けなかった。
だいたい無事に手術自体は終わっているわけだし、ご本人に聞けずとも主治医や主主治医に「ところで執刀したのは??」って聞いたところで、そんなことは終わってみたらどうだって良いこと。

この旅は疑問や不安は持ち越さないことが、
私の中の大切なことだった、この疑問だけは??が残るけれど、
自分の中では無かったことにしている。
無かったことにできるのは、後日の病理検査の結果で癌化はなかったとなったからで、もしその後も闘病が続いていたら、なんらかのタイミングで多分冗談めかして探っていたと思う(お得意)

果たして誰が切ったのか??は聞けなかったけれど、
手術前に放った言葉が聞こえていたか?をプクプク君(主治医)に聞いたら
「聞こえていました。皆さんがほっこり笑っていました」と。

それでいい


別れの時は握手がポリシー

退院の日になりました。
主主治医と教授先生は学会のためご出張ということで、最後の日にご挨拶ができたのはプクプク(主治医)君のみ。
私は節目にはしっかりと表現したい人です(そして、その時にはだいたい泣きます)入院前の最終出勤日には職場の皆さんと再会を誓い握手をし勇気をもらい、ハグもして、なんなら嘱託のおじさん(お二人)にも軽くハグして(欧米かっ)、皆さんに見送られ泣きながらエレベーターに乗り込んだほど(全て本当)の人です。

別れの時
入院中に大変お世話になったプクプク君に感謝の言葉を延べ、握手を求め、退院記念写真を求めたら、プクプク君はなんとピースをしたので、私もピース(笑)二人満面の笑み。

そして、7月1日私は退院しました。
さようなら、日額加算一万円の個室生活。。入院日数、12日間。

ずっと、入院中お腹は壊していた。
食事を食べるたびにお腹が痛くなる(これは、1ヶ月以上続きました。特に油脂分を取った時、一度に食べられる量も1/3ぐらいの量しか食べられませんでした)

食欲はあまりない、一回にたくさん食べられない、座って食事をすることも辛い、寝返りもままならない退院後の生活がスタートします。
退院後、しばらく実家にお世話になりましたが退院の日、父はお赤飯を買って私の帰りを待ってくれていました。
お腹の傷の痛みに耐えながらタクシーに揺られ、やっとの思いで実家に着いたら、お赤飯。

気持ちは嬉しかったけど、食欲ゼロ。

次回を最終回にしよう。



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