見えているものだけでは・・・≪前編≫
今日は、まずはじめに、
讀賣新聞2014年8月3日の
日曜版より引用させていただきます。
---------------------ここから---------------------
浜田広介『泣いた赤おに』(1933年発表)
ドコマデモ キミノ トモダチ
心に刺さる離別の悲しみ
水田が広がる地域に、
島のように浮かんだ相森山。
浜田広介は
山形県高畠町での子ども時代、
この小さな山でよく遊んだ。
木々に囲まれた猫の額ほどの頂には古い社が立つ。
今にもおにが出てきそうな雰囲気だ。
物語の結末はせつない。
山の一軒家で暮らし村人と
仲良くなりたいと願う赤おにのため、
青おには一計を案じる。
自分が村でわざと暴れ、
それを赤おにが退治すれば、
村人は赤おにを見直すはず――。
計画は成功した。
だが、2人の本当の仲が
村人にばれるといけないと考え、
青おには二度と戻らない可能性もある旅に出る。
青おにが残した貼り紙には旅立つ理由と
別れの言葉が書かれ
<ドコマデモ キミノ トモダチ アオオニ>
と結ばれていた。
貼り紙を繰り返し読み、
赤おには涙を流す。
青おにの友情も胸を打つが、
自身の望みと引き換えに
仲間を失った赤おにの悲しみが心に刺さる。
(後略)
※全文のウェブ版は⇒こちら
---------------------ここまで---------------------
『泣いた赤鬼』のストーリーについては⇒こちら
さて、青おには村で暴れたわけですが、
行動に至る背景を感じ取ったときに
青おにについてどのように感じましたでしょうか?
次に、卓球選手に四元奈生美さんという選手がいますが、
彼女はけっこうカラフルなユニフォームを使用して有名ですね。
私は、以前、そんなチャラチャラしたユニフォームを着て
目立つのではなく、もっと練習に励み、
勝って注目を浴びなさい、と思っていたのですが、
ここで、
テレビ情報誌『ザテレビジョン』2011年2月12日号より
引用させていただきます。
---------------------ここから---------------------
人は、支えられて、生きていく。vol.69
拝啓、私を支えてくれたあの人へ
四元奈生美 編
私のターニングポイントは、
松本竜介さんとの出会いです。
大学卒業を控え、
進路に悩んでいた私に
「プロになれよ」とおっしゃってくださり、
それで「その道があったのか!」と
ひらめきました。
中学生の頃、卓球部だと言うと
「地味だ」とか「暗い」と言われて、
そのイメージをどこかで変えたい、
今までにない卓球界のスタイルってないのかな、
と考えていた私に、
プロになって卓球のイメージをもっとよくして、
メジャーになるような活動をしたらどうかと
アドバイスをしてくれたんです。
竜介さんに出会わなかったら、
現在のような活動ができているか
分かりません。
竜介さんの「志を高く持て」という
アドバイスも印象的でした。
「志というのは何があっても変わらない。
例えば、つらいことがあったとしても、
それによってやめたりするようなことはないものだ」
ウエアの改革をずっと続けてこられたのも、
その言葉のおかげかもしれません。
「ウエアの改革は卓球界にとって
絶対に大事なことだ」という確信があったので、
何を言われても志を曲げずに
進んでいけば大丈夫だと思えました。
この先、私がデザインしたユニフォームを着た選手が
オリンピックで活躍してくれたら
うれしいですね。
プロになって自分のサインが必要になったとき、
竜介さんに「サインを考えてください」と
お願いしたんです。
サインには“四元”なので
四つ葉のクローバーの絵を入れているのですが、
竜介さんいわく
「その人に幸せがくるように、
クローバーにしなさい」ということだったので、
その思いをちゃんと込めて、
たくさんの人にサインを書いていけるように、
これからも志を高く持って
頑張っていきます。
---------------------ここまで---------------------
これを読んだときに
卓球部というと「地味だ」とか
「暗い」とか、ネクラなスポーツと言われていた
そのイメージをどこかで変えたいという理由で
やっているんだったら、理解できるわぁ~と
四元さんへの見方が僕は変わりました。
次に日刊ゲンダイ2014年8月1日号より
引用させていただきます。
---------------------ここから---------------------
「今あるのはあの人のおかげ」
清水ミチコ⇒永六輔
私がひとりでお笑いを始めたのが
渋谷のライブハウス、ジァン・ジァン。
新人が出る日曜日に永六輔さんがいらしてたんです。
永さんはジァン・ジァンでプロデュースもしていて、
新人が出る時などは、たまに見にいらしてたらしくて。
終わった後、永さんから話しかけてくれて、
「芸はプロだけど、生き方はアマチュア」と注意してくれた。
私、ネタの最後に照れちゃって
「じゃ、これで……」とお辞儀もせず帰っちゃって。
「お辞儀がちゃんとできてこそ芸人だから」と言ってくれました。
それから私、家でお辞儀の練習したことある(笑い)。
「場数が足りない」と、その後、
ネタをやる場を提供してくれたんです。
永さんの「24時間しゃべりっぱなしライブ」に出してくれたり、
永さんが地方のお寺で講演される時も
「ここでちょっと芸やりなさい」と呼んでくれて。
私をまったく知らない人たちの前で
芸をやるのはすごく怖かったし、勉強になりました。
そのころ永さんが発掘した新人も呼ばれてた。
マジシャンや民謡歌手も。
古舘伊知郎さんもフリーになられてこれからって時期に、
永さんに呼ばれてライブで30分くらいしゃべっておられました。
今は考えられないよね。
永さんは50歳くらいだったかな、
背が高いし、声も大きいから怖いんですよ。
真実を突く人でしょ。
私のマネジャーになった女の子が
ちょっと遅刻しそうになって本番ギリギリに来たら、
「君、これから清水さんのマネジャーをやっていこうって人が
こんなことじゃダメだよ」と。
その女の子は
「目を見て叱られたのって生まれて初めて」と言ってました(笑い)。
その人のことを親身に思って叱るって、
今はなかなかできないですよね。
それからは「笑っていいとも!」のレギュラーが
決まっていったりしたから、
永さんに場を与えていただいた時期は
短期集中の下積みですね。
面倒見たタレントが売れてくると
「あいつは俺が面倒見た」と言う人いるでしょ。
でも永さんは逆に離れていったというか。
自分が好きでやってて、
感謝されたいわけじゃないって感じでした。
私が無名の時にやさしくしてくれて、
売れてきたら距離を置くなんて
「江戸っ子ってカッコいいなぁ」と思いました。
ハガキでダメ出しをしてくれてたこともありました。
私も、当時の永さんくらいの年齢になったら、
ライブハウスで新人のネタを見て
「こういうとこ直したらいいよ」「場数を踏みなよ」と言って
プロデュースするオバサンになるのかな、と思ってたんだけど、
50代になってもそんな余裕まったくなかった。
自分のことしか頭にない(笑い)。
「人をプロデュースするって、
すごい親切なことなんだな」と実感しました。
久しぶりにお会いしたのは去年。
ピーコさんのライブに私がゲスト出演した時です。
ピーコさんが「今日、永さんが見に来るわよ」と。
ご家族に囲まれてニコニコでいらして。
ご病気の時期だったのに、
遠出してくれるってすごいですよね。
久しぶりに私のネタを見てくれて、
「すばらしい!」って褒めてくれたんです。
すごくうれしかった。
本当に感謝しています。
(聞き手=松野大介)
※ウェブ記事は⇒こちら
---------------------ここまで---------------------
これを読んで分かるように、
永六輔さんは清水ミチコさんが嫌いになって
距離を置いていったわけではないですよね!?
僕は永六輔さんをプロファイリングしたことがないのですが、
どうも永六輔さんと僕はタイプ2のウィング1と
まったく同じようなんです。
また、“ハートのラブで教える”手法で
6名の世界チャンピオンを育て上げた
ボクシングの名トレーナー、エディ・タウンゼントさん。
彼の名言の中には
『勝った時には友達おおぜいイッパイ出来るから
ワタシいなくてもいいの。
誰が負けたボクサー励ますの?
ワタシ負けたボクサーの味方ネ』
『勝った時は会長がリングで抱くの。
負けた時は僕が抱くの。』
エディ・タウンゼントさんも
僕はプロファイリングしたことはないのですが、
僕とは行動や考え方は似ているところがあります。
で、エディさんに育てられた6人の世界チャンピオンに
「エディさんに一番愛されたボクシング選手は
誰だと思いますか?」という質問をすると、
誰もが自信満々に「それは僕です」と答えているのですが、
たぶん、エディさんは
“目の前にいる人が一番大切な人”と思って、どの人へも同じように
愛情を持って接しただけだと私は思います、余談でしたが・・・。
さて、エディさんと永六輔さんは
同じタイプかどうかはわかりませんが、
2人に共通しているのは
結果がでていないときには近くにいて、
結果がでているときには少し離れてという感じでしょうか!?
たとえば僕は錦織圭選手について
成績が停滞していたときには
けっこうツイッターなどで話題にしたりして
盛り上げてきたけど、
最近はみんなが注目して応援するようになったので、
僕は少し距離を置いてもいいかなぁ~という感じでいます。
たぶん、またマイケル・チャンコーチでは
対応の限界が見えたときに
自分で関われることがあるかもと見守ってはいますが・・・。
たとえばAKB48も
大島優子ちゃんや前田あっちゃんなどが中にいる頃は
特に僕は必要ないかな~という感じだったので
スルーしてきたのですが、
今は少し関わらないとダメかも~という感じで僕はいるので
勝手に自分のできる範囲で応援しているけど、
また強いメンバーが増え、
安定期に入ったら距離は置くと僕は思っています。
※但し、結果が出ていても、
たとえばさっしーこと指原莉乃さんは
アンチが多いので僕は勝手に絡んでいますし、
逆に結果がでてなくても
結果が出にくいプロセスを歩いていたり
手を抜く人に対しては
距離を置いた対応もしています。
(これはいちいち報告することではないので今後も割愛しますが・・・)
で、話を戻しますが、
目に見える僕の行動だけを追って判断している人は
たぶん間違った見方をしていると私は思っています。
これは僕に対してだけの話ではないのですが・・・。
『肝心なことは、目に見えないんだよ。』
という言葉を残したのは
Antoine de Saint-Exupery氏。
目に見える物事を通じて
その先にある目に見えないものまで感じ取れないと
見誤ってしまうことも多いのではないでしょうか!?
来週ぐらいにアップ予定の後編は、
何かと誤解されやすい指原莉乃さんや、
『仕事は天使でプライベートは悪魔だね!』と言われることもある
井上真央さんなどについて
自分なりに感じている世界を書いていきたいと考えております。