『真剣な生き方』というお話をシェア☆

僕が卒業した横浜市立下末吉小学校の
昭和51年度 卒業記念のアルバムから
当時の学校長であった角田浩校長先生の
『真剣な生き方』を引用して紹介したいと思います。
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真剣な生き方

                 学校長 角田 浩

昔から「艱難(かんなん)汝を玉にす」という言葉があります。

これは、人間は多くの辛苦や難儀を経験して、
はじめて玉のような立派な人間になる、

ということなのですが、
いまの日本には一般的に考えて、
辛苦や難儀の機会が非常に少ないように思うのです。

つまり、磨かれる機会が少ないので、
よい玉になれないということなのです。

最近は、「シラケ」という言葉が流行しているようです。

たとえば、戦国時代にシラケたといっていたら、
それこそすぐにでも殺されてしまったでしょう。

戦国時代が決していいとは思いませんが、
そういうことを考えれば、今の世の中は
「真剣な生き方が足りない時代」、

いいかえれば、
そんなに毎日毎日を真剣に生きなくても
何とか生きていける時代だということでしょう。

幸福な社会のように思えるが、
決して好ましい状況ではないと
いわなければなりません。

私は小学校一年生の時は
藤沢市に住んでおりましたが
学校までの距離は片道五キロで
通学のためにバスに乗ることは
許されていませんでした。

昔は冬になるとよく雪が降って、
三日間ぐらいは白い雪の中を、
あとの二日間くらいは泥まみれの道を
一週間も長ぐつをはいて学校へ通ったものでした。

冬の朝でも七時頃には家を出なければ
学校におくれてしまうのでした。
六~七歳の時ですから
片道一時間はたっぷり歩いたものでした。

学生時代には不幸な戦争にぶつかりました。

日本がだんだんまけいくさになってくると、
日本の食糧事情は極端に悪くなってきました。

米のメシは一日三食分で
オニギリひとつぐらいしか食べれない
苦しい時代でした。

ですから私は道ばたの草でも
食べられる草はほとんどすべて食べました。

当時はチョコレートなどは
見たくてもない時代でした。

おかげで虫歯にかかったこともありません。

戦争は絶対にいけませんが、
生きるために真剣に食糧をさがして、
何でも食べましたから、
今でも人間の食べるものでしたら
何でも食べられます。

このことだけは幸わせなことだと思っています。

人間というものは、
自分でものを生み出し、
それによって自分が生活するということ、
これが原則です。

それを一人だけではできないから、
二人寄ってやる、
また三人集まって考えながらやる。

そういうことはあったとしても、
原則は自分のものは自分たちの力で
つくり出さなければならないということです。

生きるということは、
本当はきびしいものだと思うのです。

そうしたことからいえば、今の世の中は、
それが非常に安易に考えられてしまっている。

また、そういうことを社会やおとなが許している。

いや、むしろ楽な生き方を
すすめている状況さえあります。

これは大問題だと思うのです。

私は小学生の諸君に出来るだけ
辛い苦しい生活の経験をさせるように
先生方にお願いしてきました。

でも、まだまだ諸君の苦しさに耐える経験は
足りないと思います。

中学校でも辛い経験を求める勇気がある、
根性のある人に育ってくださいと熱望して
卒業のお祝いとします。
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今の学校教育の問題点ともリンクするお話ではないでしょうか!?

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