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第4次革命の時代に生き残る方法です

質問者「これから来る未来社会に対して恐れがあります。 僧侶はこれから来る未来社会についてどう考えているのか、そして私が未来にどのように対処すればいいのか気になります。

 
「私が幼い頃は小学校で暗算をどれほど早くするかを基準に暗算王も選び、珠算がどれほど上手かを基準に周産王も選びました。 以前は計算を早く正確にするのが数学の基本でしたが、最近は計算機を押すだけです。 頭でやっていた計算を計算機が代わりにするように、時間が経つほど単純な知的活動は機械が代わりになります。

今までとは全く違う未来です。

 
今までは「ブルーカラーの技術労働」と「ホワイトカラーの事務労働」が中産層を成す最大の職業群でした。 生産が重要な産業社会で最も必要な労働者は技術を持った人と知識を持った人だったからです。 しかし、次第に産業社会が下向きになり、その次に社会である情報化社会と第4次産業革命以降の社会では単純な技術と知識は人工知能が代わりになるので、それほど重要な比重を占めることはできません。
 
例えば人工知能が今よりもう少し発達すればタクシー運転手もいなくなる。すべて無人タクシーに代替される可能性があります。 無人タクシーは道路上でいつも運行されているので、駐車場も不要になります。 サービスが普遍化するほど自家用車の概念がなくなり、現在の交通量の3分の1だけでも通行が可能になります。 また、薬を製造する薬剤師もいなくなる職業の一つです。 病気の種類によって処方する薬を人工知能に保存しておけば、人よりミスの少ない機械の方がよくできるからです。
 
このように社会の姿が急激に変わっています。 第4次産業革命が進めば、現在私たちが持っている職業のうち少なくとも半分以上が消え、今は思いもよらない多くの職業が新たに生まれるでしょう。 新しい社会では創造的なごく少数の人がアイデアを出し、単純な仕事は機械が代替するようになります。 このような変化によって大部分の人々は職を失うことになるでしょう。

 

未来社会で重要なことは何でしょうか?

 
それは「問題解決能力」です。 これは「どのような課題が与えられた時、それをどのように解決するのか」という部分です。 この問題の解決能力は探求によってのみ培えます。 この問題の解決能力を言い換えると、創意力といいます。
 
今のように知識だけを積む勉強では創意力が生じません。 創造力、つまり創造は、まず考え方が自由でなければなりません。 それで、常に探求する姿勢が支えられなければなりません。 これは正解のない教育であってこそ可能です。
 
先生がある問題を教える時も学生に「あなたはこの問題についてどう思う?」と尋ね、学生が「私はこう思います」と答えたら「それは本当に一理ある考えだね。 そう思うかもしれないと思って、受け入れることが必要です。 足りない点があれば「一理ある言葉だが、後でこのような問題が発生するのではないか?」と学生の考えを認めながら補完していく訓練をしなければなりません。 このように教育してこそ、現実で直面する問題を解決していくことができます。
 
皆さんが一生懸命勉強するのはいいですが、知識を積んで高い点数を取って良い大学に入るのは過去制度がなくなる朝鮮末期に過去試験を準備するのと同じかもしれません。 知識を暗記する教育を通じて培われた人材を必要とするところは、もはやあまり多くありません。
 
無理にする勉強では創造力が生まれません。 「こうすればいい、ああすればいい」というアイデアと創意力は集中力から出てきます。 その集中力はどうすれば大きくなるでしょうか。
 
皆さんがゲームをする時は、お母さんが歌っても聞こえません。 そういう時、皆さんが「一生懸命」ゲームをするんでしょうか?そのままやるんでしょうか? はい、ただやるんです。 「(熱心にする)」はしたくないことを無理やりする時に使う言葉です。 両親や先生が皆さんに熱心に勉強しろという言葉はしたくないが無理にでもしろということです。 (みんな笑)
 
自分の好きなことは自然にするので、頑張る必要はありません。 この「一生懸命」が消えるとストレスを受けることがありません。 好きなことをすると集中し、集中すると創造的なアイデアが出てきます。 未来には、このような創意力と多様なアイデアで問題を解決する能力が何よりも求められる時代になります。 ストレスを受けながら無理に勉強しては創意力が養えません。
 
もちろん、基本的には食べて生きないといけないので、いくらやりたくなくても食べていく基本はしておかないといけませんね。 でも無理矢理勉強しては新しい世界に進むことはできません。 そうすると人の尻尾についていくのも忙しいです。 でも無理にでもしないと、尻尾もついていけないので、それも必要ではあります。 (みんな笑)

 

人生が遊びであり、労働者時代です。

 
このような側面から労働の解放も考えられます。 労働の解放を賃金は多く受け、労働時間は減ると思いますが、そうではありません。 真の労働の解放は、「労働の遊び化」です。 労働が遊びになれば、労働時間を制限する必要もなく、賃金もそれほど重要ではなくなります。 各自が好きな遊びをするんですから。
 
したくないことをお金のために無理にすることを労働と言います。 仕事で溜まったストレスを解消するために働いて稼いだお金をお酒を飲むのに使うことは、過去の社会生活といえます。 未来の時代は、自分の人生が遊びであり労働になる時代です。
 
そのためには、まず面白くないといけません。 たとえば数学を勉強しても「あ! 「虚数という概念が本当に面白い」このように面白くなければなりません。 地球科学の勉強をしても、地球儀を見ながら一番外側には地殻があり、その下にはマントルがあり、またその中には核があるのを見ながら「あ、だから地震が起きて、だから火山爆発が起きるんだ」と面白くなければなりません。 気になることがずっとあって、授業を終えて教室を出る先生をつかまえて「これはどうしたんですか?」。 「あれはどうしたんだ?」と気になることをずっと聞くくらいにならなければなりません。
 
お金をもらうため、あるいは地位を得るために生きることは人生の浪費です。 お金や地位、名誉ではなく、好きで関心のある仕事をしてこそ、個人の力量が最高潮に発揮されます」 未来をあまり怖がらずに「未来は今よりずっと良い時代だ、私が本当に関心を持って好きな分野をしてもご飯を食べずに暮らせる時代だ」という肯定的な観点を持ってください。
 

失敗は当然です。

 
もちろん、これから皆さんが生きていく未来がよく見えなくて不安で怖いかもしれません。 質問者がアマゾンにあるジャングルに行くと思うと楽しいですか? 怖いですか?」
 
 質問者「恐れがたくさん生じます。」
 
「恐れさえ生じれば、未来社会に生きるのが大変です。 (いずれも笑い)アマゾン川流域に行くと、2つの感情が生じます。 今まで行ったことのない場所なので、恐怖を感じるかもしれません。 同時にまだ行ったことがない所なので気になって不思議に思うかもしれません。
 
皆さんは「アマゾン川に行ってみましょう。 「今まで行ったことのないところに行って、やったことのないことをやってみよう」と、まだ分からない未来社会について冒険し探求する姿勢を持たなければなりません。 すると、未来社会に対しても恐れる理由はありません。
 
創造においては失敗が日常茶飯事です。 科学者たちも一度成功を収める前に多くの失敗を繰り返すじゃないですか。
 

創造の道を進もうとすると、失敗を恐れてはいけません。 失敗がまさに成功への近道です。 この時の失敗は勝ち負けの勝敗の概念ではありません。 新しいものを発見していく一つの実験過程です。 そのような観点を持つと、未来社会に対して恐れる理由はありません。

出所:https://pomnyun.tistory.com/838?category=684103[法輪僧侶即問即説]

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