20200120 刺激を与える

しばしの間、noteから離れていた。

Netflixで『ROMA』を見たり(カメラワークが斬新だという世間の評価に反して、映画を見るという経験が不足している自分ではそれが斬新なのかを判断する術もなかった)、『日本思想全史』なる分厚い新書を読み進めてみたり(いまやっと万葉集の時代までやってきたが、いつ読み終わるかは未知数)、いろいろ生活に刺激を取り入れるべく奮闘中。

年始働いてから1週間ほどの休みをいただいて東北へ旅行に行っていたこともあり、自分の中での仕事始めは14日からだったという印象。そのためか、まだ年始気分が抜けず、久しぶりに会った人には「あけましておめでとう」などと言ってしまう始末。正月ボケからの脱却を早急に進めねばならない。

読書でいえば、ホリエモンの『時間革命』も今月の頭くらいに読んだ。
(ビジネス書は読書にはカウントしない派なのだけど、読んだことには変わりない)


印象的だったのは、彼が日々膨大な情報に触れることで自分の関心分野を探っているということだった。
人は川の流れにぷかぷかと漂っていて、その大きな流れに逆らうことは決してできないと前置きしたうえで、自分の手の届く範囲に流れ着いてきたものに手を伸ばしてみよと主張する:

そうやってリラックスしていると、ときどき川のどこからか「果物」がこちらに流れてくる。手を伸ばしてかじってみると、とてつもなくうまい。そうやって次々に視界に入ってきた「果物」に夢中になっているのが、ぼくの人生だ。(p. 122)
「やりたいことがない」と言う人は、じつは気になっている「果物」があるくせに、いろいろと言い訳をつけて、それを意識の外に追いやっているにすぎない。(p. 122)

そんでもって、とにかく経験が足りてない人は果実をかじって味を覚えろという論が展開される。うまいかまずいかを判断できるようになるためには、とびきりうまい果物ととびきりまずい果物を舌で感じてみる経験が必要だからだ。
そして、流れてくる果実の絶対数を増やすために必要な作業が、触れる情報の量を増やすこと。本の中ではニュース系のポータルサイトなんかが実例として挙げられている。

うーん、実に言い得て妙たり。
巷では極端な理想論だとか普遍性のない持論だとかいろいろ言われているが、個人的にはうんうんと頷きながら読んだ。

で、冒頭のように映画を観たり未体験のジャンルの本を読んだりしているわけだ。
いつまで続くのかわからないけれど、今のところ、なかなか楽しい。

冒頭で触れた『ROMA』に関して言えば、1970年のメキシコシティの時代背景に興味が向く。中流階級に家政婦として雇われている女性が主人公。だが、物語の終盤で、雇い主の家庭は離婚をし、4人の子供がいるにもかかわらず一家の大黒柱を失う。それでも前向きにと映画は終わるのだけれど、はたしてその後、家政婦を雇い続けるだけの財力がこの家庭にはあるのだろうか、とか勘ぐってしまう。

そんなふうな興味の飛び火が生まれてきたことは、大いに歓迎すべきだな、と思う。
大学時代に図書館のじめっとした地下書庫で本の背表紙を次から次へと眺めていたころのじんわりとした気持ちがよみがえってきた。

この調子で、しばし活字と映像の世界を楽しむ所存。相変わらず、友達は、いない。

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