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【雑記#3】時間があれば読みたかった本

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら

初版は2009年、100万部を突破し、書店の店頭で連続ベストセラーNo.1のビジネス書として君臨していたこの本。

コンセプトは、野球チームにみたてた組織の人的資本管理です。この基礎となるのが、経営学者として有名なピーター・ドラッカーが60歳を過ぎて執筆した「マネジメント」です。世界中で大絶賛され、経営者の指南書として長年にわたりベストセラーを記録した「マネジメント」を高校野球のマネジメントに紐図けるという、素朴ながらも意外な組み合わせが多くのビジネスマンにうけたのではないかと思います。

著者である岩崎夏海氏は、東京芸術大学を卒業後に秋元康氏に師事したとプロフィールにあります。著者は、放送作家としてテレビ番組を制作する傍ら、AKB48のプロデュースにも携わるという異例の経歴の持ち主というところが面白いと思いました。

著者の背景からすると、この本が100万部超えのベストセラーになったのは、単なる偶然ではなく、巧みな仕掛けがあるように思えてきます。さすが、数々のヒット仕掛人である秋元康氏に師事しただけのことはありますね。

さて、肝心な本の内容はというと、本のタイトル通り、まったく期待を裏切らないストーリー展開です。無名の高校野球チームが女子マネージャーのおかげで翌年には甲子園出場を果たす、という青春物語の裏にドラッカーのマネジメントの隠し味が仕込んであります。

ただ、ビジネス界のセオリーを非営利組織のマネジメントに当てはめるためには力技が必要であるため、そこは漫画を読む感覚で、夢を膨らませることが求められます。

実は、時間があったら読もうとこの本を置いてあった最大の理由に、ドラッカーの「マネジメント」の神髄を女子高生が理解できるのか?という素朴な疑問があったからです。高校野球のマネジメントに置き換える設定に無理があるような気がしてならなかったのです。

しかし、初版からずいぶん時間が経過し、ようやく私はこの本を読んでみようという気持ちになりました。本に出会うタイミングも非常に大切です。

さて、ドラッカーを語るうえで重要なのがマーケティングの定義です。私がとても痺れたドラッカーのマーケティングの定義は、こちらです。

マーケティングの目的は、販売を不必要にすることだ。マーケティングの目的は、顧客について十分に理解し、顧客に合った製品やサービスが自然に売れるようにすることなのだ。

つまり、完全なるマーケティングの下では、営業が不要になることなんですね。営業が売らなくても、どんどん勝手に売れていく販売の仕組みを作ることがマーケティングなんだと私は理解しました。

そのためには、まず顧客を十分に理解すること、そうすれば製品やサービスが自然に売れるようになるという、むしろ当然の理屈です。

「でも、売れない。それは、なぜか。」という問いを、売り手側は永遠と繰り返しています。結局のところ、買い手によって千差万別ある価値を売り手がどのように提供するかを煮詰めていけば、その買い手の感情を揺さぶる点まで到達できるかどうかが決め手となります。

この本の主人公である高校野球部女子マネージャーが発見した売り手となる野球部の提供価値とは、『感動を与えること』という形のないものでした。そして買い手となる顧客を、野球チームの関係者のみならず、高校野球というジャンルで捉えなおした全ての人を対象にしました。
この顧客のセグメンテーションと高校野球というポジショニングは非常にうまいですね。さすが、エンタメ業界でヒットを作ってきた著者ならではの視点だと思います。

この発想の元となったドラッカーのマネジメントは、こちらです。

企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり、目的である。したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。

したがって、「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。
やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。しかるに、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかがほぼ決まってくる。(ピーター・ドラッカー)

かくして、この本では顧客に感動を与えるために野球部の組織作りが展開されていきます。

もちろん、野球部の女子マネージャーは、組織やチームを運営した経験はありません。よりどころは、ドラッカーのマネジメントの本のみです。彼女は、自分がマネージャーに値する人物なのかどうか不安になります。

ドラッカーは、マネージャーの資質について、次のように記しています。

人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報酬制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。(ピーター・ドラッカー)

女子マネージャーはこの言葉に従い「真摯さを持つこと」を最後まで見失わなかったため、野球部を結束させることに成功します。そこに至る過程では、メンバー同士の誤解を解き、監督の想いを代弁し、チームに成果をあげさせるために必要なことは何でも実行していきます。

例えば、練習にさえ参加しなかったメンバーを自主的に毎日練習に参加させ、メンバーと監督との信頼関係も修復させます。また、メンバーとの個別面談により、本音を聞き出しながら成果に向かって動機づけしていきます。

このように、一見して泥臭いところが人間をマネジメントすることなんだということを彼女は体現しています。人を動かすには、まずはその人の感情を動かすことにつきますね。

人は最大の資産である。
人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結び付け、人の弱みを中和することにある。
(ピーター・ドラッカー)

人が人を束ねていくためには面倒なことが多いですが、付加価値を生み出していくのは、やはり人なのかもしれません。なぜなら、もしこの文章を書いたのがAIだったとしたら、読者の方はどう思うでしょうか。ちょっと白けてしまうのではないかと思うのです。

でも、安心してください。私は生身の不完全な人間で、欠陥も多いと自覚しています。だからこそ、人に寄り添えるし、共感もできます。そういう人間らしい感覚は今のところAIには代替できません。

少なくとも将来的にも、AIのマネージャーに人間が奴隷のように働かされることはないでしょう。組織として成果を上げることができるのは、人間だからこそです。次の一説からも証明できそうです。

成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手を付けない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くの間違いをおかす。優れているほど新しいことを試みる。(ピーター・ドラッカー)

また、組織の肥大化による弊害を避けるため、女子マネージャーは入部希望者の人選を真摯に行っていきます。規模は組織の戦略に影響を及ぼし、逆に戦略も規模に影響を及ぼすからです。

これは、チャンドラー説の「組織は戦略に従う」と対照的なアンゾフ説の「戦略は組織に従う」にも通じる真理ですね。つまり、人的資源の豊富な組織であれば戦略に合わせて人選できますが、そうでない組織は人的資源の制約を受けるということです。

もう一つマネージャーの大切な仕事が目標管理です。目標がなければ、組織を形成する意味がありません。それぞれの役割に応じて目標を設定し、貢献を明らかにしていくことが求められます。

野球部の組織とビジネスの組織に共通項があるとすれば、それは「体育会系であること」なのかもしれません。少なくともアーティスト系の集まりでは一体感の醸成は難しいといえます。個人の才能よりもチームとして助け合う精神が尊重されるからでしょう。厳しい上下関係やプレッシャーの中でも成果を出せる訓練を学生時代に部活動を通して培う意義はあると思われます。

そして最後に必要なものは、集中力です。奇跡を引き寄せるほどの集中力がチームの力を増幅させ、チャンスの瞬間をとらえます。この集中力ゆえ、通常ではありえないことを現実にします。その場にいる人々の期待を大きく超えていくことで心が揺さぶられ、感動するのです。

このようにして、女子マネージャーはどうしようもない無名の野球部を甲子園出場させるという成果を上げることができました。
過去に前例がなく、奇跡でも起こらない限り達成が難しいと思われる目標を掲げるとき、それは自分のためではなく、他の誰かのためなのかもしれません。実は、この物語の主人公である女子マネージャーは、親友に感動を与えたい一心で野球部を先導していったという伏線がありました。

しかし悲しいことに物語の最後、女子マネージャーの親友は、野球部の勝利を見届ける直前に命の灯が消えてしまいます。身近な人間の死というショック状態のなか、亡き女子マネージャーの親友に勝利を捧げるため、チームの心がひとつにまとまります。そして、ありえない奇跡が起こるのです。

確かに、日常的にこの本のような奇跡を再現することは難しいと思われます。それでも物語の過程から学ぶことは多くありそうです。少なくとも私はこの本を読み、所属する家庭や会社やサークルにおいて自分の役割とは何かを考えるきっかけとなりました。ドラッカーのマネジメントは、立場により解釈を変えればあらゆるケースにも応用が可能です。人間関係に行き詰ったときには、また読んでみたい一冊となりました。



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