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ひとつの台詞、神々しさの高み

「人は何故、まぶたを閉じるか
知ってますか。
ときには人の過ちを
許してあげるためですよ。」

もうすぐ20年以上前に、
野島伸司さんの脚本のドラマ
「世紀末の詩」があった。

結婚式場で婚約者に逃げられた青年、
ワタル(竹野内豊さん)と、
学長選挙で破れた元大学教授、
百瀬(山崎努さん)が、
「愛」について考え、語り合う物語。

見知らぬ同士のこの二人が
たまたま同じ屋上で同時に
自殺を図ろうと、たまたま出会う。
そして猫のような少女を含めた
3人の奇妙な共同生活が始まる。

そこから繰り広げられる人間ドラマ。
1話完結の筋立てで、毎回、
生きるのに不器用な人たちが集う。
愛する事をうまく成就出来ない人たち。
まるで哲学書のようなドラマ。

冒頭の、「人は、何故まぶたを閉じるか」は、
山崎さん演じた百瀬の名言。

山崎さんは実に円熟した、深みのある
初老の男を演じた。僕はこのドラマで、
冒頭に記した台詞で、
たちまち山崎さんのファンになった。

山崎さんは、どんな映画やドラマでも、
大仰な芝居ではなく、
僅かな言葉とその存在感で
迫力のリアリティを提示できるプロ。
僕は演技論や芝居のことは明るくないが
真の役者の持つ余裕の佇まいがある。

まあ、そんな理屈より、
僕はただ山崎さんの演技を
観ていたいのだ。
その時間、山崎さんの動静に
包まれている気がする。

どこか神がかった、
そう、神々しい世界観に浸れるのだ。

僕は、何かしんどいとき、
山崎さんが微笑む姿を思い出す。

あの笑顔はいつも穏やか。心しずか。
自分の欠点との戦いに勝利している。

どんな屈辱も戯言も、どんな苦悩も
にやりと微笑み、包み込んでしまう。

腹を立てたり、短慮や浅慮で
不機嫌にいじけたりせず、
小さなわだかまりやこだわりを
大きな懐でその刹那に飲み込んでしまう。

飄々と坦々と、
柔らかく受け止めていく。

器が違う、度量が違う、人格が違う。
あらゆる悲哀、艱難辛苦をも
飲みんだ境地の微笑み。
孤高の域の微笑み。真の大人。

山崎さんの著書は、
読書感想文を綴った「柔らかな犀の角」、
演技と生き方を編んだ「俳優ノート」がある。
どちらも我が書架の愛蔵本。

「人は何故、まぶたを閉じるか
知ってますか。
ときには人の過ちを
許してあげるためですよ。」

何年経ても忘れ得ぬ響きの、台詞である。

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