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「Manner of Death」原作を読んだ感想

どうも、Anteaterです。
今回は私が大好きなタイドラマ「Manner of Death」の原作小説を本日やっと読み終えたので、その感想やドラマ版との比較等を書いていこうと思います!
ドラマ版「Manner of Death」についての記事も以前書いてますので、良かったらそちらもチェックしてみてください⇩

※この記事は少なからずネタバレを含んでいると思いますので、まだ未観賞・未読の方はご注意ください

それでは、良かったら最後までお付き合いください<(_ _)>


「Manner of Death」

あらすじ

タイ北部の小さな町「ウィアン・パー・モーク(霧の町)」で女性教師が首を吊った状態で発見される。
この事件の担当になった法医学者・バンは、自殺にしては不自然な点が多いことから第一発見者である塾講師・テーンを疑い始める。
しかし、何者かが事実を捻じ曲げ自殺として処理するようバンに圧力をかけてくる。
正義感が強く彼女の無念を晴らしたいバンは独自に調査を進めるも、何者かから命を狙われるようになる。
そんな時、なぜか一番疑わしいテーンが現れ、「調査に協力する」と言い出して…

主要キャラクター

・バン
法医学者であり臨床医。町の病院に勤める。正義感が強く真相究明のためなら自ら危険に飛び込んでいってしまう危なっかしさをもつ。

・テーン
亡くなった女性教師と共に塾を営んでいた塾講師。事情があり怪しげな家業も手伝っている。バンに危険が迫るとなぜか現れる。

・ソラウィット
テーンの塾へ通う高校生。突然現れたバン先生が気になりつつも…。

・タット
テーンの舎弟。ソラウィットのことがどうにも気になるようで…。

「Manner of Death」原作を読んだ率直な感想

ズバリ、めちゃくちゃ良かったです!!
読む前は良くない評価も耳にしてしまっていたため少なからず不安はあったんですが、実際に読んでみたらとっても面白かったです!
ドラマとはまた違うストーリーが展開されていたり、ドラマでは時間の関係上どうしても描けない詳細な部分をしっかり描いてくれていたりしたので、それぞれのキャラクターがより愛おしくなったし、これ(=原作)を踏まえてもう一度ドラマを見返したいと思いました。


原作とドラマ版の比較

ここからは原作もドラマもどちらも堪能した私目線でそれぞれの特徴や違いなどを比較していこうと思います。
かなり偏って見ていたり読んでいる自覚がありますので(笑)、そのところはご了承いただけますと幸いです<(_ _)>

①主導権を握っている側

原作でもドラマ版でも事件の真相を明らかにしようとするバン先生とテーンが危険な目に遭っていく展開は同じです。
ただ、どちらが主導権を握って敵から逃げたり立ち向かっていく策を講じたりするかが原作とドラマで反対になっているのが面白いな、と感じました。
原作では主にバン先生が計画を練りテーンが彼の指示を受けて動いていく構図なのに対し、ドラマではテーンがバン先生を守るために水面下で動いていきバン先生は彼について行く形になっています。
キャラクターの主導権を入れ替えても成り立つようなストーリーを作り上げたドラマ脚本の方の力量も窺えます✨✨

②事件の真相・物語の展開

物語の大筋は原作もドラマも同じなんですが、その事件が起きた背景や関わっている人がかなり大きく異なっているのも特徴かな、と思います。
どちらの展開が好みかは見たり読んだりした方によると思いますが、私個人的にはドラマ版の方がしっくりくる展開になっている気がします。
また、原作はバン先生とテーンの心情に重きを置いてるのに対し、ドラマではミステリー部分にフォーカスして作られているといった違いがあります。
こちらに関しては胸キュンシーンに滅法弱い私としては原作の方が好みでした(。・・。)(笑)
(是非これを読んでくださっている皆様もご自身の視点から比べてみてください!)

③呼び方・方言

セリフに出てくる方言や呼び方が原作とドラマでそれぞれ特徴があるのも面白い点だと思います。
舞台がタイ北部の町ということで、原作・ドラマどちらでも方言が出てきていたらしいですが、ドラマの方は字幕が標準語で統一されていた&タイ語の方言と標準語を聞き分けられるほど私の耳が成熟していないため、実感が湧きませんでした…
一方で原作の翻訳では主にソラウィット、時々テーンのセリフが東北地方の方言のように訳されていたので、地方が舞台なんだなーというのを実感することができました。
私個人的には東北の血が入っているので曽祖父母と話しているような懐かしさを感じたのも良かったです(。・・。)
(ただ、字幕のスピードで方言訳を出されてしまうと慣れていないと追うのが難しいのでドラマ版は標準語で良かったのかな、とも思っています。)

また、呼び方について、原作では主に「バン」「テーン」と名前で呼び合っていますが、ドラマではお互いに「khun(男性に向けた丁寧な2人称)」や「モゥ(=先生)」と呼んでいるところに違いがある気がします。
『親しき中にも礼儀あり』を大事にしている私としては、ドラマ版の2人の呼び方の方が好みだったりします。


原作とドラマ共通して好きな部分

ここまでは原作とドラマ版の特徴や違いについて書いてきましたが、ここではどちらにも共通して私が好きな部分を書いていこうと思います!

①大人な2人

以前の記事でも書きましたが、バン先生もテーンもそれぞれがちゃんと自立出来ている大人なところがとっても魅力的だと思います。
(今作含めタイドラマをまだ10作ほどしか観賞できてませんが、ここまで大人なやり取りをしているカップルに出会ったことがなく、とにかく大好きです。(笑))
もちろん情熱的に惹かれあうシーンもありますが、基本スタンスとして一人でも生きていけるけど一緒にいればより幸せになれる、という大人な姿勢なのが魅力です。

②何が何でもバン先生第一優先のテーン

原作でもドラマでもテーンが一貫してバン先生一筋なところがたまらなく愛おしいです(。・・。)
過去に色々あったバン先生は自分を隠すのが上手く、そう簡単に内側の脆い部分を見せてはくれません。
そんな中でも何度も何度も彼に真正面からぶつかっていき、遂には彼の心をゲットするテーンのひた向きさにノックアウトされてしまします…
一方のバン先生もひたすらに自分を思ってくれるテーンに対し少しずつ心を開いて信用できるようになっていき、最後は彼の心配を本気でするようになっている姿にもキュンとしています。(。・・。)

③可愛いが止まらないサブカプ

文字通り、可愛くて可愛くて2人の頭をわしゃわしゃ撫でまわしたくてたまらないのがソラウィット&タットのサブカプです!(笑)
純粋でキラキラした瞳で常に素直でまっすぐなソラウィットと、本当はとっても優しいけど立場上頑張って悪そうに振舞っているタットの2人がいつ見ても可愛すぎます…(。・・。)

また、ドラマ版だけに描かれていますが、M警部&オートも好きだったりします。
シーンとしては描かれていませんが、酔いつぶれたバン先生をオートに迎えに来させたり、報告書の催促をバン先生ではなくオートに間接的にしたり、仕事じゃないのにオートの顔を見に病院に寄ったり等、M警部のオートへのアプローチ具合が可愛いな~と思わずにやけてしまいます。(。・・。)
(オートはかなり鈍感なようなのでその思いに気づいているかは謎ですが…(笑))



以上、今回は「Manner of Death」の原作とドラマについて書いてきました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

次回はいつ・どんな話題を書くかは未定ですが、また皆様のお暇を潰しにかかれるような記事を書いていこうと思います。
もし「こんなことについて書いて欲しい!」「〇〇についてどう思う?」「好きな✕✕について語ってほしい!」等のリクエストがありましたら、以下のコメント欄よりお寄せください<(_ _)>
気が向いたら書かせていただきます。

それでは、以上Anteaterでした!(`・ω・´)ゞ

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