ひいおじいさんの子育て日記 番外編 ~潜水艦の人
おじいさんの日記の中に度々、名前が登場する方がいます。仮の名前を「山田さん」としますね。
広島県の呉の方で、おじいさんと山田さんは、手紙やはがき、時には「わかめ」や、「お茶」を送ったり、こまめにやり取りをしている様子が、日記に記されていました。
5月の日記には、「潜水学校の教員を命じられ、引っ越しをする。」という手紙が山田さんから届いたことが記されています。
私の父に聞くと、「潜水艦に乗ってはったらしい。おばあさんが、一度、潜水艦に乗せてもらったって言ってた。」って話していました。
「この世界の片隅に」という映画をテレビで見た時に、戦時中の「呉の港」の様子が映っていて、「もしかして、山田さんの潜水艦もあそこに浮かんでいるのかも・・もしかして、ひいおばあさんが乗ったという潜水艦もいたのかも・・」とドキドキしながら見ていました。
ある日ふと思って、その方の名前をスマホで検索してみました。
すると、彼が乗っていた潜水艦の話が動画と共に出てきました。
潜水艦は、今でも西太平洋の水深42メートルの海底に静かに眠っていると。
1944年4月4日に空襲を受け、沈没。乗員103名が殉職されたとのことでした。山田さんもその中の一人でした。
彼のズボンには、遺書が結わえ付けられていたそうで、その遺書の一言目が、(スマホに載っていた文章では)
「陛下の御艦を沈めて申し訳がない。」 でした。
今、おじいさんの日記にまさに悪戦苦闘で向き合っていますが、私が最初に「やってみよう」と思えたきっかけは、この時感じた、「どうして?」が最初の第一歩だったように思います。
3月4日(木)
呉から写真が来る。 山田さんの叱られたような顔。奥さんの威張った顔。その手紙がまたオモシロイ。 byシゲオさん