【ウテナ】憧れの入れ子/冬芽と暁生

 小学生の冬芽は剣道の稽古の帰り道、空の棺に隠れた少女を幼馴染の莢一とともに見つける。「あたしがここにいること、誰にも言わないで」と訴える少女の頼みを、冬芽は「もちろん。俺はフェミニストだからね」と快く引き受ける。
 棺の中に横たわり、「生きてるのって、なんか気持ち悪いよね。どうせ死んじゃうのに、どうしてみんな生きてるんだろう。なんで今日までそのことに気づかなかったんだろう。永遠のものなんてあるわけないのにね」という少女の言葉に、冬芽はびくっと手を震わせて、指先で梳いていた彼女の髪を思わず取り落とす。
 あくまでも彼女を心配し「このままじゃあの子、馬鹿なことしちゃうんじゃないのか」と叫ぶ莢一に、冬芽は「だったら、おまえがあの子に『永遠のもの』を見せてやれよ」としか言えない。
 そうして翌日、「何かを感じさせる目」で少女は棺を出ていた。生の儚さと不自然さに絶望していた彼女、冬芽にはどんな言葉もかけることができなかったあの少女を蘇らせたのが暁生だったと、冬芽は後に知る。 


冬芽と暁生の出会い

 冬芽と暁生が、いつどこでどうして知り合ったのかはわからない。中等部一年生の七実が物語冒頭で既にアンシーと「顔見知り」だったということは、桐生兄妹と姫宮兄妹は相当早いうちからよく顔を合わせる関係だったのかもしれない。ただ、それにしては七実がアンシーに対して取る嫌がらせの手段が単純すぎるというか、鳳学園の幼等部や初等部で会う機会が(中等部の現在と同じ程度に)多かったならもっと早くからあの嫌がらせを始めていそうなもので、そんなに早くから始めていたにしてはアンシーのことをいまいちよくわかっていないように見える失敗が多い。このことから「七実は鳳学園の幼等部ないし初等部から在籍していたが、アンシーは中等部からの在籍(七実にとっては初等部六年生から学内で見かけるようになり評判をよく聞くようになった程度)で、それ以前に顔を合わせる機会はほとんどなかった」と考えてよいのではないだろうか。
 その一方で暁生はそれより前から恐らく度々鳳家に、そして桐生家に顔を出していた可能性がある。鳳学園は私立であり、理事長の「鳳」という姓を冠している以上やはり鳳家がその所有者に違いないが、それにしては鳳夫人はあまり学園に顔を出さない。逆に桐生家は全寮制の(門限中に寮に戻らなくてはならない)生徒を含めた学園関係者をちょくちょくパーティに呼べるわけだから立地としては鳳学園からそう離れていないだろうことが窺えるため、鳳邸は実は桐生邸よりも学園から遠いという可能性があるのではないだろうか。もちろん理事長本人は病気療養中なのでそもそも自宅におらず(入院中?)、夫人は夫の他の仕事を代行して(または夫は病院、娘は学園にいて自宅に一人でいてもやることがないので別荘地や外国を好きに回っている可能性もあるが)多忙なためにやはり屋敷にあまりいないだけで、鳳邸も鳳学園の敷地内または近い場所にある可能性もあるが、夫人が常に鳳学園近くにいるならばもっと頻繁に暁生のところに来ていてもおかしくないように見える。
「暁生」は根室記念館がまだ現役だった数十年前から「鳳学園」にいて、「『永遠』を手に入れる研究」の主催をしていた(少なくともそれを学園主導で行おうという意思決定に影響を及ぼせる地位にはいた)わけだから、鳳家の婿養子になるよりずっと前からあの場所の「実力者」である。そうするとその「地の利」を手放したくないわけだから、薔薇の花嫁が封じた「永遠」を手に入れたい限り「暁生」は「あの場所」から大きく動くことができないのではないか。動けない以上「あの場所」の近くにいる有力者を駒として使う必要があるわけで、桐生家との接触もその一環だったのかもしれない。
 鳳学園の関係者で、鳳家の信頼も厚い暁生は、学園にほど近い桐生家にも度々顔を出す。幼くして両親と死に別れ、生まれて間もない何も知らない妹を抱えて桐生家の養子となった冬芽に、暁生は恐らく兄のように接したのだろう。養親と妹の前では「手のかからない良い息子/兄」でいなくてはならなかっただろう冬芽が、年相応の少年でいられたのは暁生と、そして莢一の前だけだったのではないか。
 冬芽12歳の誕生日の時の七実への接し方を見るに、桐生夫妻は潔癖で厳しい人々である。その割にまだ小学校低学年と思しき七実がパーティ会場におらず一人で家を出、泥だらけになって子猫を連れてこようとしていることに気が付かないままパーティ会場にずっといたようであり、子どもに対する興味・関心があまり高いようには見えない。客の接待に忙しいにしても、そうして接待し続けた客の前で躊躇いなく幼い七実を叱咤するのだから、常に冷静であるとも言い難い。子に対する関心が乏しく感情的な叱咤を躊躇いなくする養親と、無邪気で物の善し悪しがまだ何もわかっていない妹の間で、冬芽だけが「その場を丸く収めるためにどうしたらいいか」を考えて行動する。これが桐生家の日常だとしたら、そりゃあ「いつでも落ち着いていて相手の欲しがるリアクションを与え、迷った時には(自分の都合のいい方に)導いてくれる」暁生に心酔するのはやむを得ない気がする。「棺の少女」に出会った時、まだ小学生だった冬芽が「フェミニスト」を名乗ってそのように振る舞ったのも、恐らくは暁生の影響なのだろう。 

棺の少女への共感

 棺の中の少女が「生きてるって気持ち悪い」と言った時、冬芽の指先がびくっと震え、それまでやさしく梳いていた彼女の髪を取り落としてしまう。「みんなが心配してる」「放っておいたらあの子、馬鹿なことやっちゃうんじゃないか?」と良識的な態度の莢一に対し、冬芽は振り向くこともなく「だったらお前があの子に『永遠のもの』を見せてやれよ」としか言えない。莢一の視点では「冬芽は全てを理解し達観した上で彼女に必要ななにがしかをしてあげたのだろう(故にこの態度にもきっと意味があったのだ)」と解釈されているが、実際には彼女を棺から出した(出ようという気にさせた)のは暁生である(と冬芽は理解している)。ではこの時、冬芽は何を考えていたのか?
 冬芽と七実は血のつながった兄妹だが、実親を早くに亡くして現在の桐生夫妻の養子となっている。恐らく七実が生まれて間もなくと考えられるので、当時冬芽は少なくとも5歳を迎えていたはずだ。5歳にもなれば「自分と血のつながっている実の親が死んだ、もう二度と会うことはできない」ということを記憶・理解できるわけで、それから数年が経つうちに当時の感情から立ち直ってこられたとしても、棺の中に横たわる女の子(ウテナ)は丁度当時の自分と同じくらいで同じく「両親と死別」しているわけだから、いやがおうにもかつての自分を想起させる存在だったのではないか。
 彼女と冬芽の最も大きな違いは、恐らく「守るべきもの」の有無だろう。両親が死に、何もわからず何もできない生まれて間もない妹を一人で放っていくわけにはいかない。たとえ「棺の少女」と同じく「生きているって気持ち悪い」「自分も両親とともに死ぬべきだった」と思っても、七実がいる限り冬芽にはそれを口にすることすら許されない。
 
そうやって自分が押し込めて見ないふりをしてきた気持ちを言葉にする少女を前にして、「無理だ」と冬芽は判断したのではないだろうか。彼女の気持ちがわかりすぎるから、自分だって同じ絶望からまだ救われていないのに、どうやって彼女に「そんなことない」と思ってもらえばいい? だってこの子には、自分にとっての七実のような「死んではいけない理由」がないのに。
 だから冬芽は、彼女の方を振り向くことなく立ち去った。「このままじゃあの子、馬鹿なことしちゃうんじゃないのか?」という莢一の当たり前のやさしさすら妬ましくて、「そんなことはわかっているけどどうしたらいいかなんてわからない」とも、「むしろ俺の方が教えてほしい」とも言えなくて、「だったら、おまえがあの子に『永遠のもの』を見せてやれよ」と言うのが精一杯だったのではないか。
 そうして翌日、彼女は棺を出て「何かを感じさせる目」で両親の葬儀に臨んでいた。冬芽は彼女に何をしてあげることもできなかったけれど、それでも自分と同じ気持ちだった彼女が救われたことは、冬芽にとっても救いだったのだろう。彼女が救われたということは、冬芽の苦しみもまた「救いのない絶望」ではないことの証明だったから。
 そして彼女を救ったのが暁生であるということを知って、冬芽は一層暁生への心酔を深めていったのだろう。自分と同じ絶望に浸されていた彼女を救った暁生なら、きっと自分のことも救ってくれる。暁生のようであれば、暁生の言葉に従っていれば。

暁生への疑念

 暁生の妹・姫宮アンシーが鳳学園中等部に編入して、暁生はいよいよ「世界の果て」として冬芽を通してデュエリストを集め始める。「城」の現れている決闘広場で決闘者たちを戦わせ、最も優秀な者がアンシーを通して「ディオスの剣」を取り出すことによって、かつて「薔薇の花嫁」によって封じられた「理想」を再び取り戻すことを期待していたのだ。
 恐らく暁生の計画としては、

  1. 「薔薇の刻印」を持たせた決闘者の中から一人のエンゲージ者を選び出す(意志の強い者同士をぶつけることで最も意志の強い者を探す)

  2. 黒薔薇会のメンバーの遺体から生まれた「黒薔薇の刻印」を学内の適当な(強く自我を抑圧している)者に与えて即席の決闘者を生み出してエンゲージ者にぶつけ、「砥石」とすることでエンゲージ者と「ディオスの剣」を鍛える(意志の強い者に強い悪意をぶつけ、それでも折れない心を確保する)

この二つで「後継者」を作り出そうとしていたのではないかと思うが、ここに

  • ウテナ(アンシーの解放を望む存在)の登場

  • ウテナにディオスの影が憑依(アンシーがウテナに『かつてのディオス』を見て心を開く)

  • ディオスの剣の消失(ディオスに対するアンシーの固執が薄れる、「ディオスでなくとも『人の心を救う者』は存在しうる」可能性にアンシーが期待をかけ始めたことの表れ)

 という「暁生」からするとやや予想外の存在と展開が割り込んできたことにより、当初の「自分(ディオス)の後継者を見つけて傀儡とする」という消極策よりも「アンシーがディオスの力を任せ(封印を緩め)、ディオスの剣が消失した後同じように生み出されたウテナの剣(=心、理想)ならば、薔薇の門(アンシーの封印)を完全に解いてかつての『力』を取り戻すこともできるのでは?」という仮説からの「今までは『剣』を取り出して終わらせていた『花嫁』を通して自分の力を直接注ぎ、より強くなった決闘者をウテナにぶつけてウテナの『剣』をさらに磨き、最後に自分に差し出させよう」という積極策に至ったと思われる。
 さてそれまでの冬芽は「最も心が強く気高い者によって世界を革命しよう(そのために決闘者同士は切磋琢磨し合ってくれ)」という「世界の果て(=暁生)」の「理想」に賛同して甲斐甲斐しく働いていたわけだが、暁生が「方向転換」を考えてウテナを篭絡しようと動き始めたあたりで、恐らく嫉妬込みの疑問を覚え始めたのではないだろうか。
 一度は自分が力ずくで「お姫様」の枠に押し込めたものの、結局自らの信念を貫いて「王子様」に戻ったウテナを、暁生は他の女性たちにするのと同じように接するだけで「お姫様」に戻し「女」にしてしまう。今まで甲斐甲斐しく従ってきた(そしてともすれば肉体関係もあっただろう)自分が暁生にとっては「特別に気を許した大切な右腕」ではなく「ただの駒」に過ぎなかったことも、「世界を革命する」ために選び出された「誰よりも強く気高い者」であるエンゲージ者(ウテナ)を決闘で負かしたわけでもないのに「お姫様」の枠に押し込めて無力化しようとする(当初聞かされていた「理想」との食い違いがある)のも、自分に決闘で負かされた後は抜け殻のように「お姫様」に甘んじていたウテナが暁生の「テクニック」でまんざらでもない様子で「お姫様」に戻りつつあるのも、冬芽にとっては妬ましく、また疎外感を覚えることだったのではないか。
 元々冬芽はそれほど「薔薇の花嫁」にも決闘での勝利にもあまり執着がなかった。莢一を理事長名義で退学処分にしたのも「薔薇の花嫁」に対して過剰に執着し、「世界の果て(=暁生)」が定めたルールを破り、人目を気にせず横暴を働いては醜聞を集めてしまう莢一が万が一にでも「世界を革命する力」を得てしまうと「世界の果て(=暁生)」にとって都合が悪い(それならいつでも天上ウテナを倒しうる自分が最終的にエンゲージ者になった方が暁生も嬉しいだろう)、という判断だったのではないだろうか。冬芽にとって「世界を革命する」のはあくまで暁生であって、自分はその手伝いで十分だったのかもしれない。「かつて『棺の少女』を救った暁生さんが『革命』した世界でなら、きっと自分も救われる」「エンゲージ者が暁生さん以上に『世界を革命する力』に相応しい者かどうかは自分が見極める」、冬芽はそう信じていたのではないだろうか。
「暁生は自分のことなんてなんとも思っていなかった、何なら都合よく動かすためにそれらしいことを吹聴していただけだったのではないか?」という疑念は、冬芽の中にある暁生への妄信を晴らしていった。「人任せにしても自分の望むような『世界の革命』は起こらない」「そもそも暁生さんが俺によく似た『棺の少女』をたった一晩で救ったとして、では彼女によく似た俺は10年以上彼と一緒にいてなぜまだ『救われて』いないのだ?」「『救われたい』とばかり考えていたけれど、俺は本当に今でも誰かに救ってもらわなければならないほど不幸なのか? それほど世界に対して俺は今でも絶望しているのか?」という自問が、冬芽の中には生まれてきたのかもしれない。
 暁生への妄信が晴れたことによって冬芽は判断基準を暁生から自分に戻し、一度は遠ざけた莢一と和解する。「世界の果て(=暁生)」の評価や「世界の革命」が不要であるなら、冬芽にとっての莢一もまたたった一人の友人だからだ。冬芽の復帰によって七実も「生徒会長代行」を降り、決闘者としての衣装を脱いで元の女子制服を身に着けた。何故なら桐生七実は「普通の女の子」だからだ。「世界を革命したい」なんて思わないのである。
「どうせ死んじゃうのに、どうしてみんな生きてるんだろう」という問いの答えは、もうずっと前に出ていた。冬芽には七実がいて、莢一がいた。「七実にはお兄様しかいません」と言ってくれる七実がいて、「放っておいたらあの子、馬鹿なことやっちゃうんじゃないのか」と言ってくれる莢一がいた。たとえいずれ死ぬのだとしても、「死なないでほしい、生きていてほしい、そばにいてほしい、愛している」と言ってくれる人がいて、「どんな理由があっても生者が死者の後を追うなんて良くないことだ、放っておいてはいけない」という良識をてらいなく掲げてくれる人がいた。それが自分にはあって棺の中のこの子にはないことが、冬芽の中で「俺だって自分で解決できたわけじゃない、たまたま七実がいたから『死んではいけない』と思えるだけで、たまたま莢一に出会えたから『生きていて楽しい』と思えているだけだ。彼女と同じ疑問を、俺はまだ解決できていない」という罪悪感となってしまって、自ら七実や莢一を突き放すようにしてしまっていたのかもしれない。
「世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく」という言葉通り、桐生冬芽は鳳暁生という「世界の果て」すなわち「卵の殻」を破って飛び立つ。

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