【ウテナ】アポロンの幹、カサンドラの梢

薫幹の特殊能力

 薫幹には「都合よく現実を否認する」という特殊能力がある。
 そういう人、そりゃ現実世界にもいるはいるけど、もはや「能力」と呼べるほど強烈に所有している人間は滅多にいない。彼ら彼女らの多くは「この現実を認めたくない自分」をどこかしらで感じていて、それを振り切るために過剰に声を張り上げたり感情的になったり何度も何度も自分と周囲に言い聞かせるように「自分の現実」を繰り返すが、薫幹にはそれがない。そんなヒステリックに必死にならなくたって、彼にとっては「自分の記憶している、それこそが揺るがないただ一つの事実にして現実」であることが当たり前だからである。
 他の人と主張が食い違うことがあっても「自分の記憶違いや勘違いだったのかも」と疑うことすらない。ここまで固く迷いもためらいもなく自分と自分の記憶を信じ切れる人間そういないので、ほとんどの人は「自分の記憶とはなんか違う気がするけど、幹が言うならそう……なのかな……?」となんとなく流されてしまうのかもしれない。
 加えて幹は数学とピアノの天才であり、フェンシングも得意な文武両道の美少年である。成績優秀、眉目秀麗、生活態度良好、穏健穏便で礼儀正しい天才少年は、当然老若男女を問わず厚く信頼される。この上情緒が常に安定していて誰にでも分け隔てなく接するとなったら、そりゃあいつも不安を覆い隠すためにヒステリックに高飛車に振る舞わずにいられない七実だって「幹だけは信用できる」と思うのは当然である。
「自分に都合の悪い現実を認めない」、そして「自分の記憶を一切全く疑わない」人間は、つまり「思い通りにならない現実」「あてにならない自分」に動揺して不安になることがないので、常に情緒が安定している。そのうえ知的レベルが高く何をやらせても上手にできるため好成績の記録ばかりがどんどん積み重なっていくとなれば社会的信用も厚くなる。よって誰も薫幹の言うことを疑わないし、何なら薫幹が言うことなら間違いあるまいと、彼の望むことなら周りがどんどん受け入れて叶えてしまうことすらある。

幹≠梢

 このアオリを直で食らったのが幹の双子の妹・梢だ。
 恐らく本当に幼い頃、二人の世界が本当に狭くて、視界に映るのはほとんど互いだけ、両親や周りの大人は視界の端の方に少し映っているかいないかみたいな頃は、梢もそれほど苦しくも悲しくもなかっただろう。幹は梢で梢は幹で、幹への褒め言葉はすなわち梢を褒める言葉であり、幹への愛情はすなわち梢への愛情だった。恐らく、幹が梢にそう言い聞かせるから、梢もそれを信じていた。そういうものなのだと思っていたのだろう。そして、幼い頃から「天才少年」だった幹が「梢には才能がある、僕にできることは梢にもできる」と言ったなら、まだ何もわかっていなかった幼い梢はおろか、その言葉を聞いた周りの大人ですら「そうなのか」と無条件に信じてしまったのだろう。
 だから、幹が倒れたコンサートに、梢は一人引っ張り出された。周りの大人の誰一人も「幹くんが倒れたならコンサートはやめにしましょう」とは言わなかった。「他に楽器の出来る大人を連れてきて、代わりに演奏してもらいましょう」とも誰も言わなかった。梢が泣いて嫌がるのは、きっといつも一緒の幹がいないと心細いだけなのだ、やらせてみればきっと何とかなるだろう。幹はもちろん、周囲の大人も恐らくほとんど全員がそう信じて、そしてコンサートは梢が逃げ出して大失敗に終わったのだった。
 この時既に梢が「幹が天才なだけで自分は普通の子どもだった」と知っていたけれど言い出せないでいた(あるいはいくら言っても、幹を含めた誰一人信じてくれなかった)のか、その時は本当に心細くて泣いただけで実際に一人で弾かされた時に初めて「下手くそ」と罵倒を受けて「あたしは幹じゃない、幹と同じようにはできない、褒められていたのは幹だけだったんだ」と知って以来「あたしは何もできない」と自己暗示をかけて本当にできなくなっていったのかは微妙なところである。人間の記憶は本来誰でも、決して強固でも正確でもないから、「思い出している今の自分」に都合のいいように無意識に改変していることだってないわけではない。いかんせん、作中で視聴者が聞けるのは「中学1年生の梢の演奏」だけで、しかも既に述べたように「幹が倒れたコンサートで誰も中止を言い出さなかった」ために、幹の演奏で梢のでたらめが誤魔化されていて周りの誰も気が付かなかったのか、当時の梢は実はかなりできてはいたけれどやはり幹がいない心細さのために本番で崩れてしまい、その辻褄合わせのために「あたしは最初からピアノなんか全然できなかった」と梢が自分に対して思い込むようになってしまったのかがわからないのだ。
 とは言え「偽りの自分でいる必要がなくなる」黒薔薇会編では問題なく(何ならアンシーよりも上手く)弾けている辺り、やはり自己暗示か自己演出のためにあのたどたどしい弾き方になっていただけという可能性の方が高いのかもしれない。
 ただ一つはっきりしていることとしては、「幹の言葉には誰もが耳を傾けるが、梢の言葉を聞いてくれる人はただの一人もいなかった」という過去が、たしかにこの兄妹の間にはあったということである。

幹と梢の失楽園

 こうして「光さす庭」は二人から失われてしまうが、元々本当に才能のあった幹はより一層大人たちの寵愛をわかりやすく受けるようになり、才能を発揮できなかった梢は、恐らく家庭の中で透明化してしまったのだろう。幹と同じだけの愛情を受けるには、幹と同じかそれ以上の何かを発揮しなくてはいけない。同年代の子と同じくらいやちょっと上手くらいでは全然足りない。
 そうして梢は絶望し、学習性無気力に陥ったのだろう。「何をやっても天才の幹より上手くなることはあり得ない、あたしが幹より愛される日は絶対に来ない」という諦めに囚われながら、しかし梢は幹から離れられない。何故なら「梢には才能があるよ、無二の価値があるよ、愛しているよ」と心から梢に言ってくれるのが、生まれてから今に至るまで幹一人だからだ。
 幹からしか愛情が得られないので、梢は幹から離れられない。しかし「そもそも幹からしか愛情が得られないのは、あたしにも向けられるべき愛情を幹が一人占めにしているからだ」という逆恨みのようなものがあるので、幹に完全に追従して庇護してもらうという選択はできない。世界に幹と自分しかいないのであればそれでもいいかもしれないが、口さがない外野は「どうしようもない妹を献身的に愛して支える立派な兄」という棘のある美談を語るだろう。自ら「兄に劣る惨めな妹」の物語を再生産する選択だけはしたくない。だから「あたしは幹を傷つけることができるだけ幹にとって重要な存在なんだ」ということを確認し続けるために、自傷のような異性交遊をやめることができないのである。
「優れた兄ばかりが愛され、その傍らで透明化してしまった妹」の組み合わせとしては桐生冬芽・七実兄妹もそうだと思われるが、薫兄妹のように歪な関係にならなかったのは冬芽の距離感が良くも悪くも兄として普通だったからだろう。冬芽は七実に対して基本的に塩対応である。めちゃくちゃにタチの悪いからかいもやるし、他の女の子には絶対しないような意地悪だってするが、七実のやらかしの尻拭いくらいはまあやってくれる。危ない時も助けてくれる。5歳くらい離れてるんだからむしろもっと甘やかしたりや……と傍目には思うくらいだが、「優秀な兄が特別に可愛がってくれるたった一人の妹」という特等席が(いくら七実が渇望し、実際そうであるかのように振る舞って見せたところで)ご用意されなかったからこそ、七実の内側では「兄が戻るまで生徒会長の仕事を代行して支える」などかなり健全な自立心が育っていたともいえる。まあ実務面において幹と樹璃が優秀だったということもあるんだろうけど、副会長の莢一は戻ってないし高等部3年生の冬芽の代わりを中等部1年生の七実がやっていて目立ったトラブルやクーデターの類が起きていないようなのだから七実たぶんかなり頑張ったよコレ。
 むしろ薫兄妹の歪さに近いのは樹璃と枝織の関係かもしれない。「美人で賢くて強くて優しい樹璃」がそばにいることによって「自分が受けるべき愛情」が常に奪われ続けていると感じた枝織は、樹璃に注がれかけていた「愛情」を横から奪い取り、樹璃に近づいてきた瑠果を嘘で丸め込んで(少なくとも本人はそのつもりで)「恋人」の座を確保し、樹璃が自分を愛していると知った途端それを面と向かって「気持ち悪い」と笑いながら切り捨てることによって、樹璃の傷ついた表情に自分の優位を確信する。薫兄妹同様、「誰からも愛される優秀な相手を、なんの能力もないと思われている自分が傷つけられる」ことを実感し、それが許されるのは世界でただ一人、自分だけの特権であると感じることで自分に価値を見出している。
 ではなぜ、幹と樹璃はその横暴を許すのか。それは梢/枝織こそが、幹/樹璃にとって「光さす庭(=無邪気に相手を信じられて幸せだった頃の記憶)」の共有者だからだ。幹も樹璃も、本当はただその「光さす庭」に帰りたいだけで、その手段として「梢や枝織との関係を修復したい」のである。

アポロンの幹、カサンドラの梢

 樹璃は「なぜ枝織との関係にそこまで執着してしまうのか」についてあんまり自覚をしていなかった(故に「枝織との関係を修復できるならどうなっても構わない」的に自分を粗末に扱うような振舞いもあった)けれど、幹はたぶんそうでもなくて、ウテナとの決闘に初めて負けた時に「どうして誰も『輝くもの』になってくれないんだ」と吐露している。ほぼ常に情緒が安定していて理知的で常識的な薫幹から、まさかこんな邪悪なワードが飛び出してくると思わなくて初見の時はSANチェックが入った。どうして……どうして誰も「輝くもの(=自分にとって都合のいい存在)」になってくれないんだ……だと……!?
 そしてその後お出しされる「幹は天才だったから、子どものあたしがデタラメ弾いても上手いこと合わせちゃうのよ」という梢との間の事実認識の食い違い。恐怖以外の何でもないんだけどこの流れ。私はいつからサイコホラーを見てたのよ!
 以来私にとって「ウテナ」で最も恐ろしい人間は暁生より幹である。暁生のアレなところは割とキッパリ指摘されるけど幹はずっと「頼れる穏やかな常識人」として扱われて誰も気に留めてないからさ……いや莢一や冬芽も大概と言えば大概ではあるんだ……けども……。
 幹が「梢じゃない人に『かつての梢の役』をしてもらうこと(によって「光さす庭」を取り戻すこと)ができるかもしれない」と思ったきっかけが「自我・自己主張が極端に乏しく、相手の望む返答をほとんど機械的に返せる」姫宮アンシーの存在にあった、というのはなくもないとは思う。なくもない……とは思うんだけどさ……それでも「光さす庭」を一人で綺麗に弾けてるアンシーの演奏を、素人が聞いても「いやあこれは……ダメでしょ……」ってなる梢の演奏と「似てる」どころか「あの頃の妹の演奏と同じ音」とまで断言する薫幹、どう考えてもやっぱり現実否認をしてるんですよ……アンシーがピアノを好きだと信じ込んでいたり、「ウテナ(エンゲージ相手)にピアノをやめるように言われたらやめる」という返事を「エンゲージ相手に縛られているので本当は好きなのに無理やりやめさせられるのだ」と解釈するなど、現実を自分の都合のいい形に歪めて、それを「正しい事実」として認識している。
 薫幹は恐らく一生、「自分に問題がある(あった)」ことに気が付かない。「梢と過ごしたあの幸せな時間をもう一度」ということ以外に実質的な関心がなく、自分に関心のないことについては事実認識が歪まないようなので多くの人とはぶつかることもなく、たまにぶつかったとしても大体相手の方が社会的信用度が低いために幹の方が勝訴してしまい、本人の情緒も常に安定していて大きな失敗もしないからトラブルも発生せず、結局本人を含めて誰も「問題」の存在に気が付かないで終わってしまうのだ。
 トロイアの王女カサンドラ(ヘクトールとパリスの妹)は太陽神アポロンによって正確無比の予言の力を授けられるも、その力によって「アポロンの愛が冷めて自分が捨てられる未来」が見えたためにその寵愛を拒絶してしまう。これに怒ったアポロンが「誰もカサンドラの予言を信じない」という呪いをかけたために、パリスがヘレネをさらってきた時やトロイの木馬が運び込まれた時に「良くないことが起こる、直ちにやめるように」と必死に訴えても誰にも信じてもらえずトロイアは滅んでしまう。さらにこの後もうなんか……どうして……? って気持になる、薄幸の美人とかそういう言葉ではとても片付けられない最期を迎えるこのカサンドラの名前は、現在「カサンドラ症候群」という言葉でよく知られている。
 家族やパートナーなど身近にいる人にASD(自閉スペクトラム症。興味を持つ領域が定型発達者に比べて極めて限定的で、変化に対する抵抗が強く、日常的な習慣を阻害されると強い不安を感じパニックを起こすこともある)があってプライベートにおけるコミュニケーションがうまくいかず、しかし周囲にそれを訴えても「だってあの人、そんな変な人に見えないよ? 普段ちゃんとしてるし」「よくあることだよ、そんな怒ることないんじゃない? もっと余裕を持ちなさいよ」など問題を矮小化されて理解されず、孤独感に陥って心身症状が現れるのがカサンドラ症候群だ。ASDの中でも論理思考と言語能力に問題がほぼないアスペルガー症候群の場合、前述の「興味範囲が極端に狭く、変化に対応できずパニックになりやすい」性質に加えて「非言語コミュニケーション(視線、表情、ちょっと捻った迂遠な言葉遣い)の理解が苦手(→相手が嫌な顔をしていても気が付かない、主題と関係ないようなちょっとした言葉も漏らさず拾って相手が「それはどうでも」などと言うと却って「誤魔化された」と感じてムキになるなど)」「他人に『違う』と言われると理由やその後の説明があっても受け入れられない」「感覚過敏」などがあるが、情緒的なやりとりや私的な情報が必要ない(何なら論理的で意味明瞭な表現が好まれる)ビジネスシーンではむしろ「わかりやすい指示をして余計なことをしない有能な人」とみなされがちなので、パートナーが「あの人私のことを心配したりしないし、私が『こうじゃないの?』って言っても『そんなわけない』って取り付くしまもない」と訴えてみても「仕事人間だからでしょ、あなたがしっかり支えないと」と言われて終わらされがちで、言われた側は「あれ……やっぱり私がおかしいのかな? 私が過剰にヒステリックだったり傷ついたりしてるだけ……? 私がもっと譲るべきなの……?」と段々自信を失っていき、相手の判断や言動にものすごく傷つけられても「相手が正しいから間違っている私が直さなくてはいけない」という形を(周囲ぐるみで)強要されるのが日常になっていくのだ。
 幹がアスペルガー気味かどうかはとりあえず、あの、さておき、梢にも恐らく「幹の言うことはみんな信じるのに、どうしてあたしの話は誰も聞いてくれないの」という記憶が根深くある。あのコンサートの時だって、泣いて嫌がる梢の姿を見て誰かが「こんなに嫌がってるんだからやめましょう」と言っていたなら、梢だってここまでこじらさなくて良かったのかもしれない。むしろ「本当に怖いの、本当に嫌なの、幹ならわかってくれるよね?」というつもりでギリギリまで幹にしがみついて泣いていた(そして幹はその梢の無言の訴えに全く一切欠片も気づいていなかった)のかもしれないと思うと……もう……あの……うん……。

幹と梢の関係正常化

 この場合の「正常化」というのは「本人同士が納得・満足していればそれで良い」という意味ではなく「二人ともが社会的・精神的に自立して、対等な存在となること」を意味する。
 よって「梢が自分の人生や生活能力向上の一切を諦め、幹に対して『素直になって』庇護を受ける」という共依存ルートは「関係の正常化」とは呼べない。幹の才能があれば現実の生活(経済的問題)が難なくクリアできてしまい、幹に飼い殺された「薫梢」が社会的には死人同然となって一生自立できないとしても、本人たちを含めた誰ひとり困らないのである。特にこのルートでは梢が幹に反発したり、幹を傷つけるために自傷レベルの問題行動を起こさなければ本当に何のトラブルも発生しない。自分の人生を諦めて人型の飼い猫になった妹と、愛する妹がずっとそばにいてくれるおかげで毎日幸せな天才の兄の歪んで閉じた世界が完成するだけだ。何が困るって最終回の後でも幹は梢に「素直に」頼られたら喜んで梢を養いそうだから困る。このルート、まだ全然一切消えてないんである。
 もちろん現状の「妹の狂ってしまった人生の責任を兄に取らせ続ける」という当てこすり復讐ルートは完全にアウトだ。むしろ中学1年生で既にあの状態で、よく今まで拉致監禁とか刃傷沙汰とか人身売買とか望まぬ妊娠に至らなかったな……とおばちゃんはヒヤヒヤしてしまう。「天才少年薫幹」の人生への影響よりも、梢の人生がずっとそんな危うい状態であることの方がよっぽど大問題だ。幹が傷つくとか傷つかないとかそういう問題じゃあないんだよ梢ちゃん。いやまあなんていうか、自分の肉体(=生命活動)に対する肯定感が薄い(から他人に粗雑に扱われてもなんとも感じない)ゆえの自傷でもあるんだろうけども。
 もうなんていうか、ベタベタで耳タコで陳腐ですらあるだろうけども、薫梢には「自尊心・自己肯定感の回復」が不可欠なのは間違いないだろう。「何でもできて当たり前」ではないし「人並み以上のずば抜けた才能がなければ誰からも愛されない」わけでもなく、まして「誰かから愛され求められないものに存在価値がない」などということは決してありえない。自分の人生の責任を自分で取れて、自分は生きていて良くてそれが当たり前だと思えるような状態が「完璧に健全な状態」であるとして、そこに至るには……うん……やっぱ梢ちゃん一度物理的に幹くんから離れた方がいいんじゃないか……。
 
知ってる人が誰もいない場所でさ、信頼できる大人といっしょにさ、一人っ子の転校生ってことにしてしばらく生活してみた方がいいんじゃないかな……幹とは有事以外連絡を取らないようにしてさ……「薫幹の妹」から一度解放されて、本当に自分の好きなことを見つけて、自分のペースでそれを身につけて、大人になったら「自分が生活していくのに足りる程度の収入」を得てさ、自分で自分の生活を営んでいく、自分にはそれができる、幹がいなくてもあたしだって自分で自分を養えるんだ、ということを体感してみるのが一番いいんじゃないかな……。
 薫兄妹の両親は離婚してるそうだけど、両親とも子どもに(少なくとも梢には)興味がなさそうだから本当に……アテにならない……どうしたらいいの……おばちゃんが途方に暮れちまったよ……。

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