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「僕は熊本地震に遭っていない(終)」

妻は早かった。



早い早いと思ってはいたが、それよりずっと早かった。


揺れが一旦収まると、そこいら辺にある私物をひっつかみ、子供を二人小脇に抱え、猛然と立ち上がる。


寝起きとは言え、さすがにまずいと思ったから、サイズの小さい次男を妻から受け取る。


『車に乗って!すぐ!』


上司の家の車停めは、細い通路を入った母屋の裏手にあって、しかも通りを1本挟んだ向かいは海だった。


妻の頭の中ではこの通路が塞がれ車が出せず、そこに津波が・・という絵が、いやにリアルに浮かんだらしい。


そっから車をどう走らせたかは覚えていない。


いや違う。


僕は助手席に乗って「そこ右」「真っ直ぐ行って。川沿いだから気を付けて」


とフガフガ言ってただけだ。



到着した物産館の前の道は、歩道にぎっしり避難してきた車が停まり、既に数名のスタッフが来ていた。



幸いな事に、館内の被害は思ったほどではなかったけれど、狙いすましたかの様に「具が多いドレッシング」の瓶だけが落ちて割れ、入った事は無いけど『サラダに入ったらこんな感じだろうなあ』と、どうでもいい事をぼーっと考えていた。



それからは、何と言うか月並みだけどあっという間で、妻子を親戚のいる福岡に逃がし(※この時点で福岡の方が安全と言う保障なんかどこにも無かったんだけど、日奈久断層のある南部よりは良いだろうと言う感じだった)車中泊が続く方たちの為にパンを焼こうと思いつくも、市内のスーパーと言うスーパーから強力粉が消えてるのを発見したり、いかに広さがウリのダイハツウェイクとは言え、183センチの僕と母親が二人で寝るのは無理だと言う、いやそもそも40超えておかあさんとくっついて寝るのはどうもちょっとと言う事に気付いたりしてる間に2週間が過ぎた。




その間の心温まる出来事のトップと言えば、幌付き軽トラの荷台に寝ていた社長の発言


『これはもう、なんちゅうか、外やね。』



だろうか。



と言うわけで、前震も本震も僕は熊本市内にいなかった。


じゃあ地震はそれほど怖くなかったのかと言われると、勿論そう言うわけではない。


経験して無い事と比べるのは無理だからだ。


でも

『あの地震の話』になった時、家族や近所の人たちの思い出と、僕のそれが全く違うのもまた事実だ。


【僕は熊本地震に遭ってない】と言うのは、まあそう言う意味だ。







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