見出し画像

思わぬ承認欲求の発露を止められない

2024/02/21
「ハチ」「ではない」という会話で一日がはじまった。
私のパソコンのスクリーンセーバーは日替わりで写真が表示される設定になっていて、今日のスクリーンセーバーはハチドリ。ハチドリ、もしくは鳥と呼ばれることには何の違和感もないけど、ハチではない。

ハチドリといえば先日、この鳥をある種の象徴として扱っている『ベンジャミン・バトン』がNetflixで配信終了間近だったので久しぶりに観た。記憶ではリアルワールドで謎の奇病にかかった男の話だったんだけど、作中で一度も「病気」や「症状」という表現が使われてなくて、あ、これは世界が違うんだと今さら気づいた。

ファンタジーをそのままに受け入れていた純粋さを失ったのか、はたまた洞察眼が培われたのか。
「あー面白かった」という小1レベルの感想は相変わらずで、まぁ本質は何も変わっていない。

今日も今日とて仕事。同僚となにがどうして歌舞伎揚の話になり、カスが落ちないように一口で食べると言っていてびっくりした。あれが一口で入るのか。一方の私は袋から出す前に四等分くらいに割って食べる派閥に属しており、同僚はそんな食べ方聞いたことないと言う。それならと実際にオンラインミーティングの画面越しに「ほら!こうして、こう!」と実演してみせていると「いいんです私は一口で食べられますから。やり方を強要しないでください」と宣うではありませんか。

おや? 私は強要したつもりは全然ない。

仕事が終わり夕ご飯の準備。私はぶりの照り焼き、同居人はいぶりがっこのポテサラを担当。ふと横を見るとスマホでレシピを調べながらせっせといぶりがっこを3cm角に切っていたので「もっと細かくてもいいかもね」と言ったら「任せるって言いながらこれだから〜」と宣うではありませんか。

おや? 私は強要したつもりは断じてない。

しかし自分のことは自分じゃ見えない。きっと言い方とか表情とかが「こっちが正しい」感を醸し出してるんだろうな。え! なんかそれ嫌なんですけど! がーん!

いつだったかほぼ日刊イトイ新聞で糸井重里さんが書く「今日のダーリン」にこんなことが書いてあった。

南伸坊という人としゃべっていて気持ちがいいのは、人の話を聞きながら「あははは」とうれしそうに笑う。なんなら笑いながら「いいなぁ」とかの一言も漏らす。そんなことがされたら、しゃべっているほうもうれしくなる。それがぼくだった場合には、「いいだろ?」と言って、いっしょになって笑うことになる。

ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」より

いいなぁ。

私の場合、歌舞伎揚にしろいぶりがっこにしろその豪快さがすごく素敵でいいなぁと思った後に、私もいいなぁと言ってもらいたいっていう欲が出ちゃった気がする。思わぬ承認欲求の発露を止められない私はまだまだ未熟者。

それはそうといぶりがっこのポテサラはめちゃくちゃに美味しくできてびっくりした。たまたまマヨネーズが切れかけていてマヨ少なめで、そのお陰かいぶりがっことクリームチーズの味が際立っていてなんだこれ最高じゃないかと言い合いながらもりもり食べた。

敢えては言わなかったけど、いぶりがっこを小さく切り直したのも一役買ったんじゃ……ない……かな……。