世界から猫が消えたなら を観ました
私の母はガンで病死している。
実体験からすると、病気の割に余裕あるなとか、字めっちゃ上手いなとか気になってしまった。
ツタヤのシーンはうるっと来た。
俺は家族愛より友情に弱いのかもしれない。友達少ないけど。
主人公は、考えすぎるとか、優しいとか、遠慮するとか第三者から評価されている。
そんなことないと思う。
何かが消えたら多くの人が犠牲になるも関わらず、すぐに自分の命を優先している。
映画なんて、視聴者としての視点でしか考えることができていない。
製作陣の生き様を消すことになるということ、自分と同じように映画や時計をきっかけとした出会いが他にもあるということに思い至らない。
まあ、自分の命を1日賭けて判断しているわけだから、視野が自分にしか向かないのは当然ではあるのだけれど。(こういう〇〇のだけれど、という言い方キショいよね。)
そういう雑念が浮かんだまま見ていたので、世界から食糧が消えてキャベツしか食えない世界線になったのかと思った。
猫の名前だった。
命とか、生きるということについて、僕はそんなに重く考えていない。
犬、猫、鳥、魚、虫、バクテリア、ウイルス、細胞
どこまでが命で、どこから命じゃないのか。
結局主観でしかないし、命の喪失は大きい視点から見ると物質の循環だろうし、誰かが死んでも2週間で元通りだ。
元に戻らなければ困る。
誰かがいなくても、世界はこれまで通りだし、これまで通りであるべきなのだ。
僕が消えたら、数人は気づき、その一部は悲しんでくれるだろう。
それも長くて2週間だし、僕の生きた証なんて336時間で消失する。
これ以上話を広げることもまとめることも難しいので「公開に進む」をクリックして時間を閉じよう。
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