朝食というもの

アマゾンプライムで聖おにいさんの劇場版を見ていたら、ふと思い出した。

こんな話をするには、私はまだ若すぎるのかもしれない。リモートワークで鬱々とした日は、たまに朝食を食べに外へ行く。行った先でパンとコーヒーをいただきながら仕事をするのだが、人の行き交う様を見ていると、自分が世界の一部である事を認識できる。無駄に憤ることもなく、胸の支えが取れる感じがして楽に仕事に取り掛かることができる。特に月曜などは一番気が滅入るので、何度か近くのカフェでお世話になっている。

10年以上昔の話になるが、休日の朝になると、親父がよく朝食を食べに連れて行ってくれた。私はまだ地方民で、部活がないと他にやる事もなくただ寝ていた。小学生から忙しい部活に入って休日がなかったので、たまの休みにこういう時間が取れるというのが貴重だった。親父とのこういう時間がなければ、家庭内や学校、会社でのアレコレを話す時間がなく、それが今の関係を保つベースになったと感じている。元々オタク気質が濃い家系なので、各々で自分の領域がはっきりしていた。一方で歩み寄り方が極端なのでよく失敗する。「ただ飯を食べて一服する」という別の目的ありきで時間や場所を作るのが大事だったのでは、と思う。

自分が実家に帰ることがあったら、今度は自分から誘ってアレコレ話してみようと思う。星野源が歌っていたテーマ曲を聴いていて思った。

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