好きと嫌いと無関心

部屋とワイシャツと私、みたいな語感のタイトル。
別にそうでもないか。

最近すげー思うわけよ。野球界隈に限った話じゃないだろうけど、俺が普段どっぷりいるのは野球界隈だから話をそのまま進めるよ。
みんな、アンチあってすごいなあ、と。
皮肉でも煽りでもなく本当にすごいなと思うのだ。何がすごいってね、アンチやるには体力と知識がいるわけで。

俺的な考えでは何かを好きになるのにそんなにエネルギーはいらん。寝転がって天井のシミを数えるような生活してても、例えばなんとなくつけたテレビきっかけで何かに惚れるかもしれない。何かを好きになるのに知識もそういらない。この人の顔が好きだな、声が好きだな、あるいはそれこそ野球ならなんか強そうだなとかそんなんでいい。
だけど何かを嫌いになるには、それなりに深掘りして得た知識とエネルギーがいる。俺はもともと無気力な人間ゆえ、興味がないと思うことはあれど何かを嫌いにすらなれない。
ちょっとこれは、と思うものがあってもぼんやりしてたら忘れてる。こんなことを書いていると全然生きる気力がないやつみたいになってくるけどもともとこんなんなので特に心配はいらない。

しかし人間というのはなぜか好きなものが同じよりも嫌いなものが同じ方が盛り上がるという特徴がある。なんでなのかはわからない。でも、よく結婚相手も嫌いなものが一致する方がいいとかいうし、普段距離が遠く感じていた人とでも嫌いなものや人が一緒だと仲良くなるという話も聞く。だからそうなんだろう。
その点で行くと俺は誰とも盛り上がらないのではないかと。だって嫌いなものがほとんどないから。そりゃ、食べ物とかくらいならあるけど、そうじゃなくて嫌いな芸能人だとか嫌いな野球チームだとか嫌いな人の行動とかないんだよ、本当に。
テレビの向こうの存在って(芸能人も野球選手も総じてそう思ってる)嫌いになるほど自分に近しい存在じゃないし、他人の行動とか言動とか見ちゃいない。そんなに他人のことを観察できない。自分が人の形を保つので精一杯だからそこまで及ばない。

なので俺には好きか無関心しかないのだ。