五郎太が黄鮒を釣った話

宇都宮に伝わる「黄鮒」の伝説から、話を書いてみました。

 まあそうだな。五郎太は確かにちょっと変わってる。世間様の言うとおりさ。
 五郎太は言いつけられた仕事はきちんとこなすし、気も回る。女子供と年寄りには親切だ。飯を食うのも早い。こう書くとなんだかいっぱしのようだが、でも五郎太の知り合いはみんな「あいつは、変わってるよ」と言う。お店の大番頭から幼馴染の幸吉まで、みんながみんな変わっていると言い切る。それはそれで、偉い奴かも知らねえな。
 だけどな、ちゃんとしているようで、どこか変なんだ、五郎太は。
 どう変なのかって? それがちょっと、話すのは難しいんだ。そうだな、どのあたりをどう話せばいいかな——
 ——うん。そうだな。
 先だって疱瘡が大流行りした時のことを、話すとしようかね。

 あの時は宇都宮の宿中が大騒ぎになり、武家も商人も年寄りも子供も関係なく大勢の人が疱瘡にかかり、寝込んで、命を落としていった。
 日野町の枡屋の隠居は日頃は神社の石段を一段飛ばしに駆け上がり息も切らさないほどの元気っぷりだったのに、ある日突然熱を出して倒れ、呻きながらころっとあの世に行ってしまった。
 新町の棟梁も、朝は元気に出かけたのに、帰ってくるなり「頭が痛え腰が痛え」と寝込んで、それきりとうとう起きられなかった。可哀想なのは看病したかみさんだ、看取って葬式を出す間も無く自分も倒れちまったのだが、その頃にはもう町中に流行っていたから看病してくれる人もなく、一人閉じ込められて危うくそのまま亭主の後を追うところだった。幸いどうにか生き延びたんだが、新町小町と言われた——シンマチコマチなんてどうにも語呂が悪いんだが、しゃあねぇやな——面影はすっかりなくなり、ごっそり髪も抜けて、二十は老けこんでしまった。まあそれでも生き延びたからよかったろうって? ところが子供らは五人いて三人が助からなかったので、病み上がりでもあり錯乱しちまったのだねえ、田川に飛び込んで死んでしまった。残った二人の子供なんだがね、そっちはなんと——
 ——いや、五郎太の話だった。

 そういう大騒ぎの中で五郎太は何をしていたかというと、まあ当たり前だが、奉公先で働いていた。米問屋の山城屋さ。
 あそこの主人は五代目でね。目端の効く商売人と評判の人だよ。なにしろ疱瘡禍の噂を聞いた次の日には家族に番頭をつけて鬼怒川へ湯治に出し、他の奉公人も最低限だけ残してあとは実家に返したくらいだ。疱瘡禍が過ぎたら戻ってきておくれと言い含め、念の入ったことにはそれぞれに何がしかの金子も渡したんだから、上出来じゃないか。そうやってまあ商売は守っていたんだが、疫病は相手を選ばずだからね。まず手代が倒れ、次に大番頭がやられた。主人が、
「これはいかん」
と思ったかどうかは、分からない。なぜって、その次に倒れたのが当の主人だったんだから。まだそれほど流行していない時期に、それだけ準備をしたにも関わらず——そうだな、まあ疫病ってのは、来るときにはどうしたって来るのさ。それでも話を聞いた親戚友人が見舞いに来るのを、まだ元気な奉公人に言いつけて全部上げずにお帰りいただいたんだから、立派なもんだ。立派だが、そんな気配りをしているうちに重篤になっちまった。

 五郎太は医者に薬をもらいに行かされた。で、てくてくと田川沿いを歩いて医者のところへ行く途中、ふと川を見ると、
「なんだべ」
首をかしげた。
 水の中に、なんだか大きくて黄色い魚が見えた。
「鯉だべか」
 鯉にしちゃ、でかいんだ。普通のやつの三、四倍は、ある。
 五郎太がもっとよく見ようと土手から身を乗り出した途端、その黄色いやつはいきなりぴしゃっと尾を振って潜り、それきり見えなくなった。五郎太はさらに首をかしげていたが、まずは医者に行こうということで、またてくてく歩き出した。

 薬を受け取りながら、せっかくなので応対してくれた若い弟子に、黄色い魚について聞いてみた。
「見間違いじゃあ、ないのかね」
「そうかも知んねぇきっとよ」五郎太は間延びした口調で——いつだってそういう喋り方をするから、余計に変わり者扱いされているのだ——言葉を継いだ。「でもおれは目は良いですんでなあ。土手から川面くらいだったら、まず見間違えなんか、しねぇですよ」
 そんな声を聞きつけて、医者も奥から出てきた。この医者って人がまたそういう「不思議な話」が大好きでね。実は俺のこの話も、その医者から聞いたもんなのさ。ほら、あんたも知ってるだろう、道祐さんだよ。興禅寺の近くの。
 道祐さん曰く「そりゃ黄鮒だな。わしも何度か、見かけたことがある。滅多にみられない魚だぞ」
「ありゃ、いいもん見たんだな」と嬉しそうに答えた五郎太だ。弟子は面目を潰されて、ちょっと悔しそうだったが、
「先生、私も土地の生まれですが、見たことがありません」
「うむ、それが不思議でなあ。数十年に一度しか見られんらしい」
 道祐さん、実はまだ四十台だから「何度か見かけ」られるほどの歳ではない。さっそく弟子がそれを指摘したが、そんなことで動じていては医者などできはしないさ。何たって見立てひとつで患者をだまくらかすんだから。
「そうだな、わしは幸せもんということだな」と澄ましていた(と思う)。
 それはともかく、道祐さんがこの時面白いことを言った。
「黄鮒は、疫病にきくと言われておる。なんでも、釣り上げてその肉を食べればどんな病もたちどころに治り、その後も無病息災という話が伝わっておる」
「本当ですか?」
「どうかねえ」としれっと答えた。「本当ならばわしがまず釣竿をかついでおるよ」
 そう言って道祐さんは笑ったので、つられて二人も笑い、それでお開きになった。

 五郎太がまたもてくてく田川のふちを歩いて行くと、ぴしゃんと大きな音が聞こえた。おやっとそちらを見ると、黄色い大きな魚が水の上に顔をのぞかせたところだった。
 なるほど鮒だ、と五郎太は思った。黄色い鮒なんてものは、見たことも聞いたこともなかったが、道祐先生がああ言ったのだからまんざらデタラメでもあるまいし、デタラメでもどうせ今お店はてんやわんやで俺は手持ち無沙汰だ、釣ってみてもいいんじゃないかなと——本当はもっとごちゃごちゃしていたが、まあ簡単に言うとそう考えたのだ。
 そこで薬を届けると、仕切っていた番頭を探して、半日出かけてもいいか、と聞いた。
「なんだ、こんな時に。どこ行く気だ」
 ちょっと強い口調で聞かれたのは、無理もないところだ。しかし五郎太はそのくらいでおどおどする男ではない。肝が座っている——のではなく、単にそういうことに気が回らないのだ。
「道祐先生が——」と医者に聞いた話を伝えて「旦那様のために、釣って食わせてんべと思ったべ」
 番頭は呆れかえって、叱りつけようとしたが、まあ待てと言葉を飲み込んだ。鮒は旦那様も好物だ。黄色というのは気になるが、生きのいい鮒を釣ってきてもらえるなら、それにこしたことはない。旦那様もお喜びなさるだろう。それは俺の手柄にできるんじゃないか。
「よし、では一刻くらいで戻るんだぞ。うまく釣れたら、まずは私に見せるんだ。いいな」
 というわけで五郎太はさっそく田川に戻りかけたのだが、半ばまで行って、釣竿を持っていないことに気がついた。そりゃあ奉公人の身分で釣竿など持っているはずがない。それなのにすっかり釣る気でいたのだから、
「だから五郎太は」
と後で聞いた幸吉に腹を抱えて笑われたのも、当然だろう。
 誰かいないものかと、立ち止まり首を傾げて考えていると、そこに通りかかったのが酒蔵の隠居だ。見れば釣竿や魚籠、玉網などを手代に持たせている。
「ご隠居さん」
「山城屋の五郎太じゃないか。主人はどうだ、少しは良くなったか」
 五郎太は呑気な上に正直者だから、主人がまだ重篤であることや、黄色い鮒を釣りたいということをご隠居に話した。
「そりゃ殊勝な心がけだな」ご隠居が手を叩いた。「では、わしの一式を貸してやろう。茂作、それを五郎太に渡してやんなさい」

 なんだか長くなったのでいろいろはしょると——眠そうだぜ、おい——五郎太は釣竿を借りて田川に行き、そこいらの石ころをひっくり返してミミズを針につけ、ぽんと水面に放った。そして、やれやれと土手に腰を下ろし、かかりを待った。まだガキの時分、幸吉と二人で木の枝で作った釣竿を持ち、新川で魚釣りをしていた日々が思い出されて、なんだか少し嬉しくなった。天気はいいし、街は静かだ。疫病が流行っているので、滅多に外出をする人もいなくなった。棒手振りが時折通るだけだ。それだって、いつもより声が弱い気がする。
「そりゃ、そうだんべ」
 呟いてみる。声は川面に吸い込まれる。
「釣りやってる場合かよ」
 また呟いてみる。また川面に吸い込まれる。
 さっきはいた魚たちも、なんだかみんな見えなくなった。さやさやと吹く南風が土手の草々を撫で回しては消える。いい日和だ。いい心持ちだ。五郎太は釣竿を持ったまま、その場で仰向けになった。黄色い鮒のことなんか忘れそうになった。それどころか、熱で苦しそうにしている主人や手代などのことさえ、忘れそうになっていた。自分のことさえ、どうでもよくなりかけていた。このまま鮒にでもなったら、気持ちよかんべや。

 さやさやさや。
 とろとろとろ。
 さやさやさや、さやや。
 とろとろとろ、とろん。

 ぐいっと、手が引かれた。
 いくら呑気な五郎太でも、さすがに跳ね起きたほど、強い引きだった。
「あっ」
 思わず声が出た。
 竿が撓み糸が引かれたその先に、黄色い魚が暴れていた。
 こういう時に無理に引くと、糸が切れる。五郎太は魚の動きに合わせて土手から川に入っていった。深みにはまらぬよう注意しながら(「五郎太にしては上出来だっぺ」と後で幸吉が珍しく褒めた)竿を持っていかれぬようにいかれぬようにと魚を追った。
 四半刻も。じゃぶじゃぶと動いていただろうか。
 不意に、黄色い魚が動きを止めた。
 五郎太がそちらを見ると、魚もこちらを見ていた。いや、そう思った。見ていると思った。
「釣ってくれ、と言ってるべ」
 五郎太は勝手にそう思った。本当のところはわからない。だけどな、五郎太が竿を動かすと、黄色い魚はもう抵抗しなかったんだって、五郎太が言っていた。そんなことがあるものかと道祐さんの弟子が後で反対したが、道祐さんはにこにこしながら頷いたそうだ。そういうものなのだよと頷いたそうだ。弟子は先生それでは理屈に合いませんとさらに言い募った。医師がそんな理屈に合わないことを認めてはいかんのではありませんか。道祐さんは弟子の肩を叩いた。そうだその通りだ。お前が正しい。それでも、世の中にはそういうことがあるのだよ。

 もう話はわずかだ。
 五郎太が黄色い鮒を釣り上げると、土手の上で歓声があがった。見上げればいつの間にか通行人が何人も立ち止まって、五郎太の奮戦を見物していたのだった。
 五郎太がお店に持ち帰った時、暇な見物人も何人もついてきた。だから番頭に渡す時もしっかり見ていたのだった。
 番頭は、
「本当に黄色いなあ」
 そう言ったきり、しばらくしげしげと見ていたが、
「五郎太、お手柄だっぺ」とふだんは封印している訛りを出して褒めた。
 本当は鮒を釣った手柄を自分のものにしたかったが、これだけ見物がいてはそうもいかない。その上五郎太から、誰に釣竿を借りたのかも聞いてしまった。酒蔵のご隠居は山城屋の先代の時代から親しくしてくれているので、たとえここで番頭が五郎太の手柄を横取りしても、あとできっと真実が伝わるだろう。まあ本当は誤魔化しようなどいくらでもあるのだが、この番頭もそんなに悪いやつではないので、すぐさま鮒を料理する手配をし、いくぶんか切り身にして急いで主人のところへ持って言った。
「旦那様、鮒をお持ちしました」
 主人は好物が来たと聞いても何しろ食欲がないのだが、せっかく奉公人が心づくしをしてくれたのだからと体を起こして箸を手にした。
「どうしたんだい、これは」
「はい、五郎太が」
 妙な顔をした主人に、番頭が簡単に説明すると、
「そうかい、五郎太がねえ」と涙ぐんだ。雇ったものの呑気でのんびりで、どうにも役立たずな五郎太なだけに、そんなあれでもここまで自分を思ってくれるのかと嬉しくなったのだろう。本当は先に倒れた手代が心配だったんじゃないかと、俺は思ってるんだがね。まあ、いいさ。
 刺身を一口頬張った主人が驚いたことに、それまでの苦しさがさあっと消えて、体の底から元気が漲って来たんだということだ。それで——いや、それだけだ。それですっかり治ってしまったんだから、驚くじゃないか。
 主人は倒れている他の奉公人にも、一切れずつ与えた。彼らもまた、たちまち治ってしまった。
 知らせを聞いて駆けつけた道祐さんが目を見張った。
「先生が教えてくださったことでは」
 主人が聞くと、道祐さんは頭をかいた。
「いやあ、本気にするとは思わなんだわ。しかし世の中は不思議であるなあ」
 主人は、残った鮒を病人たちに振る舞った。大きな鮒だったが、たちまちなくなってしまった。
 その話を聞いた町の人々が、こぞって釣竿を担ぎ田川の土手にすずなりになり、押すな押すなの大騒動になったのだが、それきり黄鮒は現れなかった。それでみんながっかりしたのだが、不思議なことにその日を境に流行病は治っていき、重篤な患者を除けば助かるものも増えて、十日もしないうちに疱瘡禍はすっかり治ったのだった。
 どうだい、変わったやつだろう五郎太は。そう思わないか?
 思わない?
 笑ってるね。そうか思わないか。まあ、いいやね。そうかも知らんね。
 ところで、こうした顛末をすっかり聞いたご隠居が、張子の黄鮒を作って、軒下に飾ったのは、半月も後だったかな。
「まあ、気休めじゃがね。流行病除けのおまじないには、なるじゃろう」
 最近は、新年に軒下に飾って、その後で神棚にそなえる家も多くなったな。そのうち、この町の名物になるかもしれないな。

**宇都宮市には「昔天然痘が流行った時に、黄色いフナが市中心部の田川で釣れ、病人がその身を食べたところ治癒した」という伝説がある。そのフナを模した縁起物である。長さ約30センチメートルの細い竹竿に吊り下げられた張り子。頭部は赤色、ひれは黒色、胴体が黄色、尻尾が緑色と色鮮やか。きぶなを食べた人は病気にならなかったが、きぶなを釣るのは難しかったため張り子を作って正月に軒下に吊るしたり神棚に供えたりしたのが始まり。

wikipediaより **https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%81%B6%E3%81%AA

(3月26日投稿、3月31日修正)

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