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全女の真実

前々回でしたか、私がプロレスファンであることをお伝えしました。
その中でも私が子供の頃見ていた全日本女子プロレス。
最近、その元全女でヒールだったブル中野さんが引退して、「ブルチャンネル」というYouTubeチャンネルを始めていることを知り、どはまりしています。
そこでは私達ファンが知らなかった全女の実態も語られています。

作られた悪役

前回もプロレスにはベビフェースとヒールがいると説明しました。
入門してくる女の子たちはほとんどが全女のトップレスラーたちにあこがれて入ってきます。
よって、ヒールを志願してくる子はほとんどいないと思います。
こうして全女に入門し、入門テストに合格して練習生になります。
練習生には赤のジャージが支給されます。
これが2年目になると赤のジャージを支給される子と紺または紫のジャージの支給をされる子とに分かれます。
この時、赤以外のジャージの子は有無を言わさず、ヒールが決定します。
例えば、宝塚歌劇団では身長が高いと男役、低いと女役と決められているそうですが、この場合、大体自分で男か女かは想像がつくと思うのですが、全女は会社が決めるそうです。
しかも、会社の決定は絶対。
そうそう、ビューティーペアーしかり、クラッシュギャルズしかり歌を歌うようになったのも会社の命令。
本人たちは歌なんかやりたくなかったらしいです。

ヒールもヒールでつらい

当時(私がオンタイムで見ていた頃)はヒールのトップにはデビル雅美さんがいました。
その後にダンプ松本さんが入ったわけですが、ダンプ松本さんが極悪同盟を作ったときはもうレスラーとしては土壇場でこれが成功しないと引退勧告になっていたようです。
ですから、当時のダンプさんはデビルさんを超えない(デビル雅美とは違う色をださない)と存続の問題になっていたわけです。
YouTubeではブルさんとの対談で「極悪同盟を作る前に両親に手紙を出した。これから大変なことのなるから、ごめんね」と。
会社からもヒールはファンと接してはいけないとか、試合以外でも優しい面を見せてはいけないとかヒールとしての掟があったとか。
またさらにブルさんはそのダンプさんを超えないとならなくなるのだから、本当にしんどかったと思います。
ねえ、誰も好きこのんで嫌われ役をしたくないですから…。
こうしてみると今では考えられない全女(パワハラ際なりないですよね)。

そもそも全女って

以下、ウィキペディアの抜粋です。
日本女子プロレスの経営陣との対立から退社した松永高司と松永氏の退団についてきた女子レスラーとで結成された団体です。
1973年には後楽園ホールに進出し、1975年にはマッハ文朱さんが誕生します。
この当時から歌とレスリングをメインとしてきたわけですね。
マッハ文朱さんが引退すると同時に次なるアイドル、ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティーペアーが誕生します。
つまり、全女は次々にアイドル的レスラーを作り上げて、当時としては女子プロレスを認知させていくわけです。
私から言えばショービジネス的でいかがなものかと思いますが…。
その後も引退しては新しいアイドルが次々に現れて、全女は繁栄するのですが、陰りが見えてきます。

全女倒産

全女の経営陣は松永ファミリーがしていました。
さて、2005年神奈川県の産業振興センター体育館での試合を最後に全女の工業はなくなります。
YouTubeによると後楽園ホールでったでしょうか、松永社長がリング上で土下座をしレスラーたちに誤ったそうです。
倒産の原因は借金と不動産。
倒産する前はバブルで景気が良かった。
バブルが弾けて、広げすぎた様々なものが借金となって全女を圧し潰しました。
全女はこうして解散したのでした。

ブル中野さんの引退について


YouTubeでは引退についても語られていました。
当時、ブル中野はヒールでも全女の頂点にいて、
女性でおそらく初めてでしょう、マジソンスクエアガーデンで試合し、
初代チャンピオンになっています。(間違っていたらごめんなさい)
それから世界のあちこちからオファーが来て日本にいないこともありました。
ブルさんがこの試合を最後に…と思った試合の前に靱帯を負傷します。
私は靱帯を損傷まではしませんでしたが、靱帯を痛めるととても痛いです。
医者に「一生治らない人もいます。」と言われたので…。
だから大谷選手のようにどうしても直したい人は手術に踏み切るわけです。
また、靱帯は治るのに時間がかかるようです。
会社に怪我がわかると例え、メインを張っていた選手でも外されてしまうのが全女でした。
だから、負傷したことも会社には言わず、テーピングをして試合をしていたらしいんですが、それまでの動きがどうしてもできない。
「こんな状態では観客に失礼だ」と思って、引退試合をすることもなく自然にフェードアウトしたそうです。

入団してから一度も実家には行っていなかった(ヒールだから実家に迷惑かけると思ったんでしょうね)ようですが、ようやく実家に帰ることができた時、お母さんは「もう、何もしなくていい」とおっしゃったようです。
YouTubeのブルさんは泣いていましたが、私ももらい泣きしてしまいました。
ブルさんは引退後、プロゴルファーを目指して減量し、プロテストを受けますが、残念ながら合格できず、今はご結婚されて幸せな家庭を築かれています。

最後になりますが、ブルさんがYouTubeで元全女のみなさんの近況を教えてくれているのはとてもうれしかったです。
また、見てしまうかも…。


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