VRChatで化粧を覚えたおじさんたち 〜キモいおじさんの正体について〜

現実世界では、怖くて若い女の子に声をかけられない。
そんなおじさんたちがVRChatで女の子に可愛いということは果たして気持ち悪いことなのか?
この気持ち悪さは、一体どこから来ているのか?

この記事は個人の感想です
共感できない可能性が高いのでご了承ください

きっかけは自分キモいなって思ったこと

ある日、私はマックで朝食を食べながらTwitterをチェックしていた。
VRChatのフレンドが今日もとても可愛いVRChatの写真をアップしていたので、早速いいねRTしたあとに、感想をリプライするために「可愛い!」と打っていた。

「お待たせいたしました」

昨今は便利なもので、長蛇の列に並ばず入店から直接席に座り、モバイルオーダーアプリから注文をしておけば、できた料理を席まで持ってきてくれるサービスが有るのだ。

「ありがとうございます」

Twitterに夢中になり、完全に「居眠りメイ」ちゃんになっていたはずの私は、声を発した瞬間36歳のおじさんに戻っていた。
ハッシュポテトを頬張りながら、私はTwitterに戻った。頭の中の「居眠りメイ」スイッチを入れるのをこの時少し忘れていた。

「(うわぁ、このおじさん。女の子に「リプ」してる。キッモ)」

それは自分が今ナウで書き込んでいるツイートに対する、率直な感想だった。
そしてその時に生まれた感情は、その後私を数日間悩ませることになったのだった。

バ美肉ボイチェンおじさんの自分はキモいのだろうか

「(私はいま、キモくないだろうか)」

ツイートするたび、リプするたび、自問自答してしまう日々が始まった。
人のリプを見ては(クソリプじゃん)と思ったり、可愛い女の子が可愛い女の子とリプをしあって楽しそうにしているのを羨ましく思ったりした。

ちなみに、本稿で「女の子」と呼称しているすべての人が基本的には「バ美肉ボイチェンおじさん」であり、私こと「居眠りメイ」も同じく「バ美肉ボイチェンおじさん」なのだ。

おじさんが可愛いアバターを使って撮った自撮り写真に、可愛いとリプしているおじさんが、同じく可愛いとリプしあっているおじさんとおじさんの仲睦まじさに嫉妬しているのである。

これを地獄と見るか天国と見るかは、読者の完成次第ではあるが、少なくとも本人たちは「自分たちのことを可愛い女の子」だと思って生きている。なので本稿では引き続き「女の子」と呼称していくし、そのように扱っていくことが礼儀だと思っている。

自分はおじさんなのか、可愛い女の子なのか

では、自分はおじさんなのか、あるいは可愛い女の子なのか。
それは何が線引になるのか、どうすれば可愛い女の子の資格を得られるのだろうか。何をしていたらキモくないのか、何をしていたら嫌われずに済むのか。その答えが出るまでに少しの時間を要した。

「おじさん」っていうのはキモいものだという無意識の認識

我々おじさんは、2,30年の人生の中で、自分たちがおじさんであるが為に負う現在のようなものを無意識に植え付けられているのである。
それは例えば以下のようなものだ。

・おじさんはキモい
・おじさんは臭い
・おじさんはめんどくさい
・おじさんは面白くない
・おじさんに話しかけられるのは不快だ
・おじさんは小さい子供に話しかけてはいけない
・おじさんは可愛い女の子に話しかけてはいけない
・おじさんは存在価値がデフォルトでマイナスである
・おじさんは居ない方がいい
・おじさんは嫌われている

なんということだろう。おじさんは、ただおじさんというだけで嫌われているのだ。存在価値自体を否定されて生きていかなければいけないのだ。
あまりにもひどすぎる仕打ちであるが「おじさん」相手なら誰も文句を言わない。「おじさん」はどんなに貶してもいい。「おじさん」はどんなコンテンツでキモく描写されても、可哀想な目にあっても、醜い様が描かれていても、誰も文句を言わない。

「おじさんはキモい、そして嫌われている」

これは割と全世代、全性別、全人類に共通の認識なのではないかと思う。

見た目では自分もたしかに立派なキモいおじさん

残念ながら私も、鏡を見て思う。キモいなと。
自分の容姿は今や褒められるところは一つもない。
昔は一握りの自信があり、それを大事に握りしめて生きてきた。
しかし、結婚し、子供が生まれ、自分よりも大切なものを守り、背負い、必死で生きてきたら、いつのまにか自分の容姿のメンテナンスをする時間は殆どなくなっていた。

とはいえこれでも、人当たりの良さ、優しさには自信があった。
糖尿病で死の淵に立ちながらも何とか生還した我が愛する父も、ハゲデブ加齢臭と人間のすべての罪咎を背負ったような身体をしているが、その優しさや気前の良さや経済力から、入院中に毎日人が訪れるほど、愛されていた。

だが。人は見た目が9割。人間の中身というのは外見にも現れる。外見に中身が引きずられるパターンも有る。いずれにしても、外見と人間の本質は切り離すことができないものである。それが例い、ヴァーチャルな世界であっても。

キモさの本質は受け手の危険信号

ただし、ヴァーチャルな世界では、身体は変更することができるのである。その事が果たしていいことなのか、それによって人間の本質は変えられるのか、考えていきたい。

キモさとは、翌々考えてみれば「気持ちが悪い」ことであり、もっとちゃんと表現するのであれば「気持ちが悪くなる」ことである。
現代の文脈ではどうしても「存在の絶対的評価」に使われることがあるが、元々は「受け手側が受ける影響の評価」である。どんなにみんながキモいと思うものでも、ある人にとって「可愛い」と思えるものだった場合、それはその人にとって「キモくはない」のだ。

では、このキモさというのはどこから生まれているのだろうか。

人間は、その人間から今後受けるであろう影響や、話すことによって得られるメリットデメリットをある程度予測し、それが好ましいものであれば「気持ちがいい」、あるいは好まざるものであれば「気持ち悪い」という感情を生成し、脳から「危険信号」を発しているのである。

それはまさに、今食べようと思っていた賞味期限が切れた卵から「嫌な匂いがするかどうか」を確かめているのに近い。人は「嫌な匂いがすること」事態を嫌悪しているのではなく、「嫌な匂いがするということはこの玉子はすでに腐っていて、食べるとお腹をこわすに違いない」という身体の防衛本能によって、嫌悪を感じているのだ。

だとしたら、視覚情報から分析された「おじさんのキモさ」というのは、一体どんな悪影響を想定した「危険信号」なのだろうか。

おじさんがキモいのは女性にとって危険な存在だから

女性というのは、常に男性に対して警戒をしているものである。その理由は一般的に、男性の力や性欲は強く、また性交渉や妊娠にあたっては女性の負うリスクのほうが圧倒的に高いからだと思われる。
乱暴なことを言えば、女性が伝染病を持った男性に殴られ強引に人のいないところに連れ込まれ、暴行されて妊娠するようなことがあったところで、社会的なものはおいておくとして、男性にはほとんどリスクはなく、女性は多大な被害を被ることになる。この非対称性から、自然と女性は男性に対して警戒し、またその防衛本能から「男性を嫌悪する」ようになっているのだ。

といっても、日本の現代社会に追いて突然そのようなことが発生することは殆どない。いくつかの要素によって「この人は大丈夫だ」と思えるものである。その要素をあげてみよう。

・社会的地位が高い。(だから、それをみすみす手放すような愚かな真似はしないだろう)
・優しく思いやりがある。(だから、私が嫌がることはしないだろう)
・清潔感がある。(だから、自分を律し、性欲をコントロールできるだろう)

そう、そしてこれが「無い」のがいわゆる「キモいおじさん」なのである。
これらの安心材料がなければ、その人と関わることによって、性的な、あるいはそれ以外の様々な被害を被る可能性が高いから、脳からの危険信号により「この人と関わっては駄目だ」と思わされ、それが「キモイ」に繋がるのだ。

ヴァーチャルな世界だとキモさの定義は変わる

本題に入ろう。

VRChatの世界で女の子に話しかけたり、TwitterでFFにリプライを送ることは、果たして自分に許されることなのだろうか。自分はキモいのだろうか、キモくないのだろうか。

そもそもVRChatやTwitterの世界というのはオンラインの世界であり、現実の肉体に依存するような悪影響は殆どない。
あるのは精神的な悪影響、そしてほんの一握りの肉体的な悪影響だ。

・嫌がることをしてくる
・言動を晒して社会的評価を下げようとしてくる
・どうしても付きまとう「現実で同じことをされたら嫌だな」という脳の誤作動に触れる行動をしてくる
・認知によってのみ生存しているヴァーチャルな自分を「殺そう」としてくる
・現実でも会って肉体的な悪影響を及ぼしてくる可能性を感じさせる(オフ会したがる、特定して会いに来るなど)

一部のキモさは現実から継承している

ヴァーチャルであれば心配する必要がないこと(例えば、くっついて腰を振られる、などの本来身体的悪影響が皆無な行動)についても、脳が「これは現実だったら嫌だ」という判定をして嫌悪感に繋がることがある。
ただ同時に「現実でやったら嫌がるようなことをヴァーチャルでもしてくるということは、この人は思いやりがない人なんだ」という考え方もできるため、ある程度現実の感覚を継承している部分はあると思う。

ヴァーチャルの世界でも自分はキモいのか?

さて、これら踏まえて、先に上げた「安心材料」に照らし合わせて自分のキモさを評価していくことにする。

・社会的地位が高い。(だから、それをみすみす手放すような愚かな真似はしないだろう)

これは、VRChatのトラストランクや、TwitterのFF数、交友関係の広さやアカウントを作成してからの経過年数などから図ることができるだろう。
私は一時期Vtuberとしてデビューするために準備活動を行ってきたが、それに加えて同時期にデビューしたVtuberさんや、推しているVtuberさん、またその友人、ファンとTwitterで繋がっている。VRChatのトラストランクはTrusted User。

これらから判定するに、可もなく不可もなくというところだ。
数年活動していて、Youtubeチャンネル登録者が数百人以上であれば、炎上を避ける言動を行っていると見て問題がなく、自分を傷つけるようなことをしてこないだろう。

ちなみに、ツイッターのフォロワーの数が多すぎることは逆に「晒しの効果が高い」にも繋がり、逆に驚異になることも多い。お気持ち合戦になれば、フォロワーが多いほうが勝つに決まっている。時折、気の合わない人間にフォロワーが多いと知ったときの謎の「嫌悪感」はここから来るのだろう。

・優しく思いやりがある。(だから、私が嫌がることはしないだろう)

これを判定するのは難しい。ただ一つの指標として「可愛いアバターを使っている」というのは、自分が使いたいからというだけ以外にも「このアバターを見た人が、可愛いという気持ちになって欲しいから」という利他的な面も考慮すると「アバターが可愛い人は思いやりがある」と捉えることも可能だと思う。

またもちろん、言動が優しいだとか、いきなり近寄ってこないだとか、初対面で礼儀正しいみたいな、コミュニケーション上の優しさや思いありを感じるポイントも、ちゃんと抑えておく必要がある。

この点については、まぁまぁ高いのではないかと自負している。

(執筆より3ヶ月後の2021年9月末現在、キャラ変してエッチなことを平気で呟いたり話すムーブをしているため、このへんは怪しい)

・清潔感がある。(だから、自分を律し、性欲をコントロールできるだろう)

この辺りは、自信がない。
利己的な感情に振り回されて、その場の雰囲気を無視して自分のしたい話をしたり、ときより恋愛や性的な話題を展開してしまうフシはある。それを、聞きたくないと思っている人がいるところでするのであれば、それは嫌がらせ的な行為であり、TPOを考えない言動は清潔感のない行為だと言えると思う。

ヴァーチャルな世界でキモさを消す方法

さて、VRChatやTwitter上で「キモくない自分」になるために必要なことは何なのか、考えていきたいと思う。

SNS上の経歴や財産を増やす

まずは社会的地位を上げること。
捨てても良さそうだと思われるような、アカウントを所持しているのなら悪影響だ。友人がおり、長年使ってきた大切なアカウントがあり、社会的な活動をしていたり、あるいは生活を支えるような経済活動を紐付けているなどすると「きっとこの人は大丈夫だろう」と思われやすい。

VRChatで言うなら、例えばフレプラに知らない人が来た時に、その人に声をかける人が一人もいなかったら「この人大丈夫かな?」と思うだろう。もし、入ってきた知らない人にすぐフレンドが声をかけ、楽しそうに話を始めたら「あ、あの人は交友関係も良好ないい人なんだろうな」と好印象を受けるに違いない。一見見えない用に見えるVRChat内の社会的地位も、その人が作成したワールドの数やトラストレベル、フレンドの対応から垣間見ることができる。

長年築き上げてきた物がその人の信頼を上げるのは当たり前のことである。
なので、常に自分を証明したり自分の社会的価値を上げる活動をしつつ、友人関係を良好に保つことが、「キモい一般人のおじさん」を脱する堅実なやり方だと思う。

アバターを改変する

実のところ今日の記事の主題はこれである。

外見の残念なおじさんというのはなぜ生まれるのかというと、実のところ男性には女性ほど「見た目を磨くノウハウ」が無いからである。

男性は女性に比べて外見を磨くノウハウが少ない

髪の結び方、メイクの仕方、可愛い服の選び方、色使い、TPOに合わせた服の選び方、人に気に入られる言動や仕草、これらのことというのは、女性の場合幼少期から鍛えられるように社会ができていたりする。女児を育てていると、驚く。

雑誌、Youtubeのメイク動画、CM、ネットの記事、何にしても、女性の見た目に関する情報というのは非常に多い。これらは女性の美意識を長い人生の中で少しずつ少しずつ積み上げていく。そしてそれが当たり前になる。

一方で男性はどうか。読者の男性、おじさんは、自分がかっこよくなったりするために社会的に鍛えられたことや、参考になったメディアなど、どのくらいあるだろうか。
私は殆どない。能動的に探せばもちろん、男性向けの美容情報や雑誌はあるだろうが、男性はそもそも見た目よりも中身のほうが大切だというような方向性で教育されるのが、今だなお一般的だ。当然、現在の年齢が上がれば上がるほど、男女の性差についての感覚は大きくなっており、より年齢の高いおじさんになればなるほど「男はこうだ」という感覚が強く、総じて「見た目に気を使う必要がない」と教育された男性の割合は多くなる。

おじさんたちがヴァーチャルで初めて出会った「外見を磨く方法」がアバター改変なのだ

そう、おじさんたちは「イケメンになる方法」を学ばずに生きてきたのだ。
だって仕方ない、世の中にはそういう情報が殆どなかったのだから。

「かっこよくなるために自分を磨く」方法を知らずにずっと生きてきたのだ。

ところが、私達はVRChatで出会ってしまった。
Kawaiiになるための方法に、そしてその快感に。

私がバ美肉にハマり、日夜アバターをいじり続けているのは
「今までの人生になかった、見た目を向上させる楽しみ」
にハマっているからだと思われる。

会った人を不快にさせない、それどころか「可愛い」と嬉しい気持ちにさせるための努力を、日々楽しんでいるのだ。
もちろん自分で自分の可愛さに満足したい、自分が可愛いと思うものを再現したい、というのもある。

女性が痴漢問題や、あるいは服装の問題の時に「そんな服着てるからだろ」と言われて憤るのがわかったような気がした。
「男ウケのために服を着てるんじゃない、自分が着たい服を着てるだけ」と抗議するその気持がわかるような気がした。
「好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ」の歌詞の意味を知った気がした。

男性の美容はマイナスをゼロにするばかり、楽しさはない

初対面の印象を良くするために男性ができることはもちろんたくさんあった。髪を整え、髭を剃り、キレイにアイロンがけされたシャツを着て、センスのあるネクタイを付け、高いけれども主張の激しくない立派なスーツを着る。私服だってそうだ。乳首や下着の透けない服を着て、脇毛や汗が目立たないサイズの合った服を着る。

ただ、考えてみればそれらは「マイナスをゼロにする」タイプの努力でしか無かったように思える。「清潔感を出す」とは言ったものの、結局行っていることは「見にくい部分をちゃんと隠す」だけのことだ。初対面の人が「清潔感があって素敵です!」と言ってくれることなんて殆どないのだ。「嫌悪感」を抑制する効果しか、ないのだから。

男性にとって、初対面で「かっこいい」と褒めてもらえるのは、本当に生まれ持った骨格や顔のパーツの形によるもの、手術するか生まれ変わらないと手に入らないもの、という認識が強いのだ。(若い子にはもしかしたらそこまでの劣等感はないかもしれないが)

おじさんは禁じられていた力を手にしてしまったのだ

その我々が、人生で初めてkawaiiを生み出せる側に立ったのである。
可愛い服を買って着て、好みの色に瞳を改変し、髪型を自由に変え、それを可愛く揺らす。アクセサリーを付けるもよし、淫紋をつけるもよし、タトゥーを光らせるもよし、片腕を義手にするのもよし、大きくするのも、小さくなるのもよし。

この喜びを初めてヴァーチャルで体験し、ハマるのは、現実で同じ経験をしてこなかった男性に多いのだと思う。

(これはVtuberにも通じることであり、それ故に一般的にVtuberには現実では美男美女ではない人が圧倒的に多いだろうという、個人的な予想を立てていることをここに書き記しておこう)

おじさんたちは化粧を手に入れ、女の子になった

男性は、ヴァーチャルの世界でようやく、化粧を身に着けたのである。

この化粧によって、おじさんは「関わるとマイナスの影響が多そうなキモいおじさん」を卒業し、晴れて「可愛い女の子」になることができる、と思っている。
この感覚はもしかしたら、現実の女性も持っているかもしれない。化粧をせずに外出することは罪であるとか、人権を失う行為だと思っている人は少なからずいそうだ。ある意味では、化粧をしていなければ現実の女性も「おじさん」なのかもしれない。(おばさんについては今回は言及しない)

かくして、我々はバ美肉を通して、身も心も、そして社会的認識としても「キモいおじさん」から「可愛い女の子」になれるのであった。めでたしめでたし。

お礼

という、長文に付き合ってくれてありがとうございました。


余談:未改変アバターを使う人について個人的に発生した感情について

余談ではあるが、実は私は売っているアバターをそのまま改変せずに使っている人たちに対して、若干の嫌悪感がある。(若干だけ!!)
というと、それらを使っている人たちからお気持ちが飛んできそうであるが、かんたんにその気持の分析もしておこうと思う。

そもそも、色んな人がいるからいろんなアバターの使い方があって当然。悪いことではない

アバターを自分自身と見るか、服と見るかみたいな話はTwitter上でも少し盛り上がっていて、いろんな感覚の持ち主がいる事もわかっている。

そもそもバ美肉自体、いろんな目的やいろんな認識の人がいることも、自分のツイートへの反響でわかっている。

私は、今まで肉体を持っていなかったもうひとりの自分(勝手にインナーガールと呼んでいる)にようやくヴァーチャルの世界で肉体をもたせてあげることができた、という感じのバ美肉だ。

私にとって未改変アバターの人の印象とは

そして、この記事の主題でもあるように「バ美肉にとって化粧とはアバター改変であり、キモいおじさんが女の子になるために必要不可欠なこと」から考えると、このアバターを改変せずに使う人達というのは、

「可愛い服を買って着ているだけで化粧していない人」だったり

「可愛い顔しているのに美容に興味がなく何もしていない喪女」だったり

「自分に似合ってないのにただ服が可愛いというだけで着ている似合わないゴスロリ女」だったりするのだ。

改変が少なめのアバターは、その人の印象と元のアバターの印象がひも付き安く、「〇〇ちゃんアバターといえば〇〇さん」という認識を人に与えやすい。これは、未改変の同じアバターの人と出会った時に、外見での人の判別をつきにくくし、著しく他人の認知機能への負担をかけてしまう。乱暴に言うとかなり迷惑な行為だ。

これは全く印象の違うアバターにコロコロ変更するタイプの人にも同じことが言える。パッと見たときに、アバターだけで人が分からないというのは、一種の罪だと思うのだ。(これ炎上しそう)

アバター改変はアイデンティティの創造でもあるし、人と被らないようにすることは思いやりであり、それができない人はヴァーチャルな世界でのアイデンティティの確立や、現実とは全く違う人間としてヴァーチャルで存在している自分たちに対して不理解な言動を行ってくる可能性があるため、関わるのはリスクが高いという危険信号を発し、結果それが「この人キモい」という嫌悪感を生んでいるのだと思う。

結局は、私と相性が悪いだけって話

とはいえ、ただのゲームであるし、遊び方もそれぞれ。デスクトップモードで綺麗なところに行きたい人、素の自分を偽らず色んな人と話してみたい人、ゲーム性の高いワールドを楽しむ人、ヴァーチャルでしかできないことをしてみたい人など、様々なプレイヤーが居るVRChatというゲームなので、一概に「〇〇をしているプレイヤーは駄目」と言うつもりはまったくないのだ。

ただ、自分の中に生まれた嫌悪感というのは、否定するのは非常に不健康であり、その嫌悪感の正体について分析し、同じものを感じているかもしれない人のために書き残しておくというのは、同じことで悩み、時にトラブルを抱える人達にとって有益かもしれないなと思った次第である。

アバター未改変の人とも、もちろん今後仲良くしていきたいと思っているので、そのへんは誤解しないで欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?