素直なだけじゃダメですか?

note運営の加藤さんが今朝方このようなnoteをあげられていました。

今日のnote #23 | 加藤貞顕 | note(ノート) 

"たぶん、すごく素直に好きって言うからなんだろうな。キモイと言われることを恐れずに、言える強さがあるんだと思う。いいなあ。"

(上記""は引用。引用のスタイルのあてかたわからない……)

このお話の半分はいいな、と思いました。でも半分はなにか足りないな、と思いました。もう少し考えると、焦点がわたしとは違うんだなー、と思いました。というわけでそんなことをつらっと書きます。

「素直に好き」といえることがかっこいいというのはすごい同意できるんです。ただ、そのかっこよさを多く占めているのは、「好き」ではなく「素直」なんじゃないかなと思います。

「好き」と言えることがかっこいいのならば、素直でなくほんとうはあまり「好き」ではないものに「好き」と言うのはかっこいいでしょうか? 空気を読んで、まわりに合わせて、苦笑いを浮かべながら……。わたしはあまりそういったことが好きではありません。しますけどね、そんなに強くもないので。

だからやっぱりわたしは、「素直」が重要なのではと思います。「素直に好き」ということもかっこいいですし、「素直に嫌い」というのも時としてかっこいいと感じます。

わたしの「大好き」な森博嗣先生の『ダウン・ツ・ヘブン』の中で主人公が「ちくしょう!」と汚い言葉を吐きます。それを文字だけ見れば汚い言葉です。でも、小説を読んで、そのシーンを見たわたしには、とても美しい言葉として刻まれています。よんだ瞬間「かっけー!」と思いました。それは本当に心の底から「素直」な「ちくしょう!」だったからだとわたしは思います。(さあ、みんなわたしの「大好き」な森先生の本を読むんだ)

素直に好きって言うのにも強さがいりますが、素直に嫌いというのもなかなか強さがいると思うんですよね。人生ノーガード戦法とかな人でなければ。

「よーしnoteにキライボタンをつけてくれー!」とはまったく思いません(さすがにそれはいりませんw)。ただ、世の中のポジティブ振興はやっぱりちょっと嫌いなわたしです。「ニュートラル」や「中庸」なんていう言葉が好きです。なので世の調和を保つためにも、せっせと「キライ」も「ネガティブ」も発信していこうかなと思います。

素直な好きもたくさんまじえて、素直な嫌いもたくさんいれて。

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