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今日も生きている

   朝目が覚める。眠いから、二度寝して、それでも起きるのが怠いから、暫く動画を見ていた。そんなんだけど、生きていた。  
   僕は最低な人間だと思う。今日も世界は頑張っている人、それから苦しんでいる人が大勢いるというのに、僕は精一杯の怠惰を享受している。そうしながら、死にたいなんて、思う日もある。死ぬべきだとも思う。
  
   そんな僕にも夢がある。  小説家、作曲家、配信者。どれも非現実的。その上僕は、夢があることを、すべきことをしない言い訳にしている。救いようがないと思う。
   やりたいことがあるからと怠惰な生活を送り、冒頭でも述べた通り、夢に向かって努力することも少ない。ただ布団とルームシェアする日々。本当に嫌気がさす。そんなことを続けてしまっては、夢に必要な感性を失ってしまう。外に出ず、画一化されたインターネットの情報に甘んじていては、僕の魂が錆び付いてしまう。そんな焦燥が僕を襲う。けれど、起き上がることは出来なかった。
    せめて小説を読もう。そう思い立っても、十頁ほどめくると妙に苦しくなる。自分の作品にしか興味がないように感じて、己が傲慢を呪いたくなる。
   なら書いてみようとしても、直ぐに手が止まる。納得のいく表現が、展開が出てこない。ほれみたことか、錆び付いてきただろう!   そう叫びたくなった。けれどやはり、動けなかった。

   生きている。それでも僕は、生きている。
   なんだかその事自体が、怠惰な僕への最大の罰であるような気がしてきた。何もせず。何も出来ずに一人ただ、部屋の隅にうずくまり、勝手に絶望へ堕ちていく。滑稽だと、当然の報いだと、そう思った。
   苦しい。生きる価値も意味もないような気がして虚しい。紛らわしたくて、布団に抱きついてみた。少し安心すると同時に、心に穴が空いているのが感じられた。
   ああそうだ。僕はこの穴を埋めたくて、頑張ろうとしてきたんだった。結局、埋まる宛は無いけれど。
   しばらくそうしてふと、この穴が埋まることは無いような気がしてきた。それでは出来すぎな気がしてきた。
   こんな僕にだって、楽しい瞬間も、充実した瞬間もあった。けれど常に、この穴はあった。ただ、楽しい瞬間は、充実した瞬間は、穴の存在を忘れられるだけだったんだ。そんな気がした。

   なら。どうせ一生共にするなら。こうして逃げずに、この穴と向き合うことも、大切なことである気がしてきた。
   布団をより強く抱きしめ、目を閉じる。確かに君は、そこに居る。散々苦しめられてきたけれど、ずっと共に居てくれる存在はきっと、他に居ない。だからこうしていると、やはり少し安心した。
   そうしている内にまた、今日が終わる。明日もきっと、生きている

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