すべてを投げ出して原稿合宿に挑んだ話【前置き】

【はじめに】こちらは自粛の騒音にキレたオタクが、ぼっちの原稿合宿に挑んだ話となります。リアルタイム更新中です。不定期でアップしていきます。よろしくどうぞ。

世は大自粛時代である。

かつてマスクをしていた時、私は散々からかわれた。化粧を忘れたんだろうとあざ笑う者もいた。シーズンによってはインフル疑惑をふっかけられ、花粉症に嘆き、えんやこらと生きてきた。

それがいまやマスクをしない者は白い目で見られ、嫌みを投げられる始末である。満員電車の出勤は悪。可能な限り自宅にいて、買い物は最小限に抑え、不要不急の外出を控えましょうとアナウンスがされまくる。家にひきこもりつづけられるニートは才能です。価値観の反転。人間はこうして進化の道を歩むのだー!

という話はさておき。

自粛の本格化で発生したのが、常に家にいる人たち、の問題である。

自粛が本格化した4月5月は、人の気配はすれども物音ひとつせず、子供が公園で遊べば、ストレスのたまったご老人が憂さ晴らしに注意をしにいったりという局所的な地獄絵図が発生していた。大変そうだなぁと窓から親子を不憫そうに眺めたこともある。

時は巡る。

活動停止により経済が死にはじめ、こりゃいかんと企業は再始動を始めた。公道から車両が消えた時期と違って、6月7月と人々は少しずつ町に出始めた。お家でできることはやりつくした人も多いだろう。日頃、娯楽を求めたことのない人たちに自粛は拷問のような日々だったに違いない。反動が大きいのは頷ける。

気持ちはわかる。

しかし完全に元通りになることは難しい。封じ込めに失敗したコロナウイルスの拡散はとまらない。感染者は急激に数を伸ばし、この四連休の二週間後は確実に大発生は免れない。

などという今後の不安な話もどうでもいい。

私が家を飛び出し、ホテルに引きこもろうと決意した理由、それすなわち

騒音

である。自粛期間中、子供のはしゃぐ声は気にならなかった。世界は静かで、鳥の鳴き声や車のエンジン音を耳が拾い、やあ今日もご近所さんは元気だね……という心の余裕があった。自宅待機で毎日ぐっすり眠れた心の余裕もあっただろう。

しかし7月になって事態は変わった。

近所の人々も中途半端に元の生活を始めた。出勤によって町内の犬がワンワン吠え始める。犬は好きだが、扉の開閉と町内車両の出入りのたびに鳴いてるのは勘弁してほしい、多くは望まないがしつけをしてくれ、扉を閉めてクーラーでもつけたらどうかね、オイイねこちゃーん、うちの車庫で吐かないでー、うんこはお家でしてくれ、こらこら丁寧に庭の土を蹴って隠さない、ひっそり地雷うめないで、首輪してるけど、どこの猫だい君わ……やだわぁおばぁちゃまたち立ち話の声がでかいぞ井戸端会議はよそでやれ、おぉーっと隣家のおじいちゃんお庭の手入れをするのは結構だがウチの貴重な苗木まで切りはじめるのはやめなさい、高枝切りばさみという名のおもちゃはしまって警察呼ぶわy……アイエぇ工事?家の工事?トンカントンカンせめて断りくらいしてくれなぃかぁぁぁ勝手に車庫を使うんじゃnうちに車をぶつけといて慌てて逃げてるんじゃないんですよ業者ぁぁぁぁぁぁぁぁ(この件は文句つけた。解決済)

あの家も工事、この家も工事、ここはストレス地獄の一丁目……

家にいることで判明したのは、ものすごい騒音とストレスの嵐だったのだ。こんなところにいられるか!実家に帰らせていただきます!という手段が使えない私は、考えた。今は引っ越しができる時期ではないし、そんな金があったら仕事の機材を新調している。しかしこんなところに居続けても神経がすり減り、想像力は死ぬ。作品作りは全くできない。

そうだホテルに籠ろう。

車で30分から1時間範囲がいい。地元の経済を多少なりとも回すことができるし、私も騒音とストレスから解放される。

ここにいてはいけない、すぐに発て、って心のハク様も言ってる。

かくして私は二泊三日のホテルで原稿合宿の道を選んだ。

すべては萌えと作品のために。

本編へつづく

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