星野源の『不思議/創造』が唯一のワクチンだ。

星野源ソロデビュー11周年&12th single『不思議/創造』リリース記念           ーこのどうしようもない世界に生きる僕たちへの星野源からの処方箋ー

2021年6月23日(水)に、星野源の12枚目のCDシングル『不思議/創造』がリリースされる。このシングルには、今年1月に配信された任天堂スーパーマリオブラザーズ35周年テーマソング『創造』と5月23日に配信されたTBSドラマの主題歌『不思議』の表題曲2曲に加えて、昨年大晦日のNHK紅白歌合戦で披露された『うちで踊ろう(大晦日)』、TBSラジオ『金曜JUNKバナナマンのバナナムーンGOLD』で初披露された『そしたら』の2曲を併せた計4曲が収録される。

CDシングルの発売は2018年2月の『ドラえもん』以来の実に3年ぶりとなる星野源だが、この3年間は星野源にとっても、そして世界中の人々にとっても”激動の”という言葉で形容するほかない3年間であり、(主にそれは直近1年半のせいであるが)3年前の世界と現在の世界には大きな隔たりがある。我々にはもはや、2018年に世界がどんな様子であったか思い出すことすら難しい。あまりに多くことが起こりすぎた。

2020年3月に新型コロナウイルスの流行が始まり、次第に危機の全容が明らかになって、外出自粛が求められるようになった4月。星野源は自身のInstagram上で新曲『うちで踊ろう』を公開。すぐさまSNSで拡散され、自宅隔離の過ごし方を変えた。

星野源とウイルスといえば、どうしても連想せざるを得ないのが2018年12月リリースの5thアルバム『POP VIRUS』だ。大人気TVドラマの主題歌『恋』『アイデア』や『Family Song』『ドラえもん』を含む14曲を収録したこのアルバムは、ポップミュージックのど真ん中でソウルミュージックを導入し、間違いなく日本中を「ウイルス」に感染させた。

『うちで踊ろう』は外出自粛を呼びかける政治的な側面を持った活動であり、星野源の外向的な活動であった。しかし、自粛が長引くにつれて、自分と向き合う時間が増える。興味の対象も自ずと自分に向かう。1年を超える外出自粛期間を経て生まれた『不思議/創造』は、そんな星野源の自省録なのだ。

ただ地獄を進む者

2021年1月に公開された『創造』は、任天堂の人気ゲームスーパーマリオブラザーズ35周年テーマソングとして制作され、その随所にゲームへのオマージュが散りばめられたファン垂涎の出来で話題をさらった。

残念ながら任天堂のゲームはWiiしかプレイ経験のない筆者には、『創造』をスーパーマリオへのオマージュという観点から分析することはできなかった。その方面での考察はすでにたくさんのファンによって行われているようだし、ここでは特に触れることはしない。しかしその代わりに、『創造』をまっさらな気持ちで鑑賞することができた。

『創造』と『不思議』を深いレベルで理解するためには、星野の思想的な背景に目を向ける必要があるだろう。星野のつくる楽曲の特徴といえば、どれも「底抜けの暗さにも明るさがある」ことを感じているファンは多いだろう。ドラマ『逃げ恥』の主題歌になって一躍星野を有名にした『恋』の中でも印象的な一節、<<意味なんか/ないさ暮らしがあるだけ>>の中に、星野の哲学が体現されているように思う。意味なんかない、暮らしがあるだけだという主張は、まさしく実存主義の「実存は本質に先立つ」ことの確認であり、人生に意味を求め日々を生きる人間にとっては圧倒的な敗北宣言だ。

では、星野がこのような深い絶望を感じるきっかけとなった出来事はなんだろう。星野は2013年の暮れから2014年にかけて脳梗塞という大病を患い、芸能活動を休止している。この出来事は間違いなく星野の思想に大きな影響を与えているはずで、このことは先日の結婚発表の書面においてわざわざ"以前、こんな風に畏まった形でご報告をしたのは、病に倒れて活動を休止した時だったと思います。"と触れられていることからも明らかだ。

この時の闘病の記録をまとめたものが、エッセイ『蘇る変態』として出版されている。読んでみると、闘病体験が鮮明さを持って迫ってくる。

しかし、星野が闘病とそれに伴う臨死体験の結果人生や世界に絶望したのではなく、この出来事以前からニヒリズム的な世界観を持っていたことは、2013年以前に発表された楽曲を聴けば明らかだ。

星野のソロデビューアルバム『ばかのうた』の1曲目のトラック『ばらばら』で歌われる世界観はまさに、歌い出しから<<世界はひとつじゃない/ああそのままばらばらのまま/世界はひとつになれない/そのままどこかにいこう>>というニヒリズムを全面に押し出したものだ。

この世界観は、今回発売のCDに収録される『うちで踊ろう(大晦日)』で追加された歌詞<<僕らずっと独りだと/諦め進もう>>に至るまで一貫して描かれる星野の思想の根幹を成すものだ。

また、前出の『ばらばら』は『うちで踊ろう』を読み解く鍵となる。『ばらばら』における、僕たちは<<気が合うと見せかけて/重なりあっているだけ>>だという分析と、それでも<<そのままどこかにいこう>>とそんな”ばらばら”な世界を肯定する姿勢は、『うちで踊ろう』において<<生きて踊ろう/僕らそれぞれの場所で/重なりあうよ>>という提案につながる。

星野の思想における、2010年のデビュー時から2021年現在に至るまでの一貫性は理解できたが、それでは2013-14年の闘病体験を通じて変化した部分はどこだろうか。それは一言で言えば、"死の先には何もない"という新たな絶望の発見だろう。以前の星野は世界に絶望してこそいても、死後の世界に絶望することはなかった。しかし、病院のベッドで生死の狭間を漂った経験を通じて、死にすら意味がないことに気づく。

この時の体験は、2014年発売の6thシングル『地獄でなぜ悪い』に鮮明に描かれている。<<駄目だここは元から楽しい地獄だ/生まれ落ちた時から出口はないんだ>>病気という非日常、苦しみや死の恐怖に接し、日常やこれまでの生活を差異化する体験を通じて星野は、この世界は"元から"地獄であると結論する。正に意味を持たずに生まれ落ちたがために、”出口のない”この世界。<<嘘でなにが悪いか目の前を染めて広がる/ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ>> 地獄であるこの世界に生きている事実を受け入れ、それでも前に進む決意。星野の快進撃はここから始まった。

退院、そして活動再開後の2014年月にリリースした『Crazy Crazy』、続く2015年の『SUN』のヒットで紅白初出場を果たし、翌2016にはニッポン放送でオールナイトニッポンの放送が始まり、『逃げ恥』の大ヒットで国民的な人気を獲得してからの星野の活躍は、みなの知るところだ。

星野の活躍の歴史および思想的な背景を見てきたところで、いよいよ今回の『不思議/創造』について考えたい。

かく語りき埼玉のツァラトゥストラ

『創造』はスーパーマリオブラザーズのテーマソング、そして何よりゲーム開発の分野で世界をリードし続けてきた任天堂社のモノづくりの精神を歌にしたものだが、しかしこのモノづくりという営みを人生の壮大なメタファーと受け止めてしまうのは私だけだろうか。

<<Let's take / Something out of nothing>> <<何か創り出そうぜ/非常識の提案/誰もいない場所から/直接に/独を創り出そうぜ>> と高らかに歌う星野は、世界の無意味さを受け止めた上で、”ゼロからイチを創り出そうぜ”と提案する。この提案こそ正にニーチェの提唱する超人になろうと言う呼びかけであろう。ニーチェの超人という概念について簡単に説明しておくと、18世紀のドイツの哲学者フリードニヒ・ニーチェは著書『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、キリスト教がもはや目指すべき理想を示せない世界において(”神は死んだ”というのは有名な一節だ)、人間は自らの意思で行動する”超人”を目指すべきであると説いた。ニーチェの超人を志向する思想には、キリスト教なき世界において人生の意味ももはや存在せず、それゆえ永劫回帰(目標に向かって進むのではなく、同じことの繰り返し)の人生においては自らが意味を創造するしかないという、ニヒリズムからポジティビズムへの180度転回が存在する。これぞ<<誰もいない場所から直接に独を創り出>>す”創造”の本質であり、この<<色褪せぬ遊び>>を繰り返すことこそ、超人への第一歩だ。

そしてこの解釈は、あながち突飛な発想とも言えない。なぜならば星野は、2018年リリースの配信シングル『Same Thing』に収録されている『さらしもの(feat.PUNPEE)』において自身のことを<<語りき埼玉のツァラトゥストラ>>と呼んでいるからだ。星野は西洋哲学に通じているのではないか、という妄想が掻き立てられる。はたまた星野自身が哲学者であり、"埼玉のツァラトゥストラ”なのか。

そして余談ではあるが、このニーチェの超人・永劫回帰の思想は東洋思想との親和性の高さから(そもそもツァラトゥストラとはゾロアスター教の開祖ザラスシュトラをドイツ語読みしたものであり、またニーチェは古代インド思想に精通していた)、戦後日本の哲学者によってインド哲学や仏教哲学などとの融合が図られたという経緯があって、星野の標榜するイエローミュージックにも通ずるところがある。そこまで勘案して『創造』の<<そうさYELLOW MAGIC>>という歌詞が生まれたのだとしたら、脱帽である。

水から出て

5月に公開され、星野の結婚発表によって一層の注目をさらった最新シングル『不思議』では、そんな<<ばらばら>>で<<重なりあうこと>>しかできないふたりの間に、<<他人だけの不思議>>が存在することを歌う。この不思議とは恋愛の本質のことであり、これは実在論者であった星野の、本質を認めるという思想的転向ではないだろうか。6月13日にApple Musicでオンエアされた『Inner Visions Hour』において星野は、”不思議は(恋愛を)諦めてない歌ですね”と発言している。星野の結婚発表直後の5月日のオールナイトニッポンでは、”水から抜けた感覚があった”とも発言しており、闘病体験に次いで2回目の思想的転換があったと考えるのが自然ではないだろうか。一方で『不思議』の歌詞には<<希望あふれた/この檻の中で/理由もない/恋がそこにあるまま/ただ貴方だった>>とあり、また6月日のラジオで”という怒りがあった”とも発言していることから、世界の不条理については一貫して変わらず認めた上で、世界という大きな物語に愛という小さな物語で対抗するぞという、村上春樹の『1Q84』をも彷彿とさせる気概が感じられる。

<<“好き”を持ったことで/仮の笑みで/日々を踏みしめて/歩けるようにさ>>

『うちで踊ろう(大晦日)』から5ヶ月。2020年の終わりに<<愛が足りない/こんな馬鹿な世界>>と歌った星野源に、今愛は足りているのか。

Till we count to a hundred

星野源が結婚を決めて“水から出たような感覚”を覚えたと話すように、僕が同じような感覚を持った瞬間があった。そう、新型コロナウイルスのワクチンを打った時だ。4月の最後の日曜日に1回目の摂取を終えた時、接種解除からバスで最寄りの駅に戻り、自宅に向かう道を歩いていた時。マスクを外して街路樹の香りを嗅いで、ああ世界はこんな匂いだったなぁと思わず笑い出しそうになった。小雨がパラパラと降っていたけれど、それすら心地よかった。

そう。星野源の『不思議/創造』を聴いたあなたは、もう大丈夫。Fully Vaccinatedだ。

もう”うちで踊る”必要はない。外へ出よう。一歩外へ出て、見える景色はどんなものだろうか。もう星野製ワクチンにDNAレベルで組み替えられてしまったあなたの目には、世界は以前とまるっきり違ったものとして映るだろう。そう、それで良いのだ。『不思議/創造』を聴いて、ワクチン接種を済ませた読者のあなたには、もう恐れるものなど何もない。さあ深呼吸をひとつして、あたらしい世界をいま、歩き出そう。(終)

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