まず書くことから

 アウェイゴール裏で紫のユニフォームを着ているのはわずか10人程度だった。初めて行ったサンフレッチェ広島の試合は川崎の等々力陸上競技場。いくら関東のクラブじゃないといってもさすがにこの人数の少なさには愕然とした。こんなにも人気なかったというのはぼくにある種の使命感をもたらせたのだった。

 1998年、日本が初出場するフランスワールドカップをTVで観た。今までサッカーなんか観たこともなかった。それはただ単に日本を応援したいというだけだったもののあえなく3戦全敗。散々な結果であった。サッカーって難しいな、90分という時間の中で点を取る、取られないというだけの要素がここまで凝縮されてるんだなというのに気付き、以来Jリーグの観戦にも訪れるようになる。関東に住んでたので近場にはどこかしら試合をやってるスタジアムがあった。

 ピッチの上での攻防、それを眺めているのも楽しいがその内にゴール裏で熱心に声を出してるサポーターの存在が気になりだした。彼らは応援してるチームが本気で勝ってもらいたいと願いその為に声を出している。あんなに熱狂的に応援してたら面白いだろうな、そう感じた。自分にもそんなチームがあればなと思うようになった。

 果たしてどこのチームを応援しようか。そう考えたものの思いつかなかった。どこもそれなりに魅力がありながらどこかそこまでのめり込む要素がなかったのである。愛情を持つ条件、そんなことを考える内に行き着いたのが生まれ育った広島だった。そう、サンフレッチェ広島を応援してみよう。そして1999年、初めて等々力競技場で観戦したのだった。

 地方クラブでしかないサンフレッチェ。関東で応援している人は少ないのだろう。初めての観戦でそれを知らされたもののJリーグ発祥のオリジナル10の一つでありながらまさかここまで人気がないとは。だから関東で応援してる人なんていないのかもしれない。だからせめてぼく一人だけでも応援してあげようと思った。

人が注目しないものに肩入れする。マイナーなものに興味を示す。ぼくはいつだってそうだった。流行歌などには一切目を向けず誰も知らないような海外のパンクバンドなどを物色した。ある時CD屋で推薦されてたCDを買い以来そのバンドの大ファンとなったことがある。あらゆるとこでこのバンドは凄いと豪語して廻ったものの誰も笑って相手にしてくれなかった。

「そのバンド、全米1位になった?」などと揶揄されたりした。だがしばらくしてそのバンドは本当に全米1位になりいつの間にかその揶揄してた者もCDを買っていた。そこでぼくの見立ては間違ってなかったことが証明されたもののその頃になって急速にそのバンドへの熱は冷めていった。どうもぼくのマイナー思考は本物のようである。ちなみにそのバンドはニルヴァーナというバンドだった。

だからもしサンフレッチェが最初から人気のあるクラブだったらそれ程興味を抱いたかどうかはわからない。人気がないから何とか盛り上げてあげたいと思った。せめて関東で試合のある時ぐらいは応援に行ってあげようとした。

だがいつ行ってもサンフレッチェの応援席は人が数える程しかいない。そこに寂しさを感じながら逆にそれが為にいつも来てる人は顔がわかるようになった。誰かとサンフレッチェの話をしたいという欲求もありそういう人に一人ずつ声を掛けていった。そして関東でコミュニティをつくろうと提案すると皆それに賛同してくれた。そして一人、また一人と増えていったのである。実はそういう人はぼく一人ではなかったのだった。

そして更にサンフレッチェを世に広めようという試みとしてぼくはブログを始めた。こんな名もない人間のブログなんて誰が読むだろうかという危惧もあったものの何もやらないよりはマシのような気がした。まず書くことから。始めた当初はそんな感じだった。

以来ブログは何年か続けてきた。最初はサポーターの活動やその動向を扱ったものが多かった。だが段々と関東に住む一人のサポーターの視点としての観戦記のようになっていった。でもそれでいいと思っている。まず書くことから、そんな想いから始めサンフレッチェもいつの間にか人気が出てきたもののサンフレッチェだけは未だに興味をなくさずに応援しているのだった。

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