天皇杯鹿島戦~終わった今シーズン

2016/12/24 天皇杯準々決勝 鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島 鹿島スタジアム

 佐藤寿人の名古屋移籍が決まった。サンフレッチェのエース、そしてチームの顔であった寿人の移籍は衝撃であった。寿人はもうサンフレッチェで引退する、誰もがそう思ったものだった。

 しかし、考えてみればサンフレッチェのエースとして君臨したストライカーは皆移籍していたのだった。高木琢也、久保竜彦、いずれも日本を代表するストライカーでありチームの誇りであったのだが他クラブへ取られてしまった。それはそれで当時の状況を考えると致し方ないと思う。が、寿人の場合は少々事情が違った。すでにチームにおいてスタメンの座も奪われてるのだった。もしかしたらもう引退、そんなことも考えられた。そこにJ2に降格した名古屋からのオファーはまだ活躍の場があったことへの安堵感さえ覚えたのだった。

 ただ、そんな寿人とのシーズンをこのまま終わらせるのはあまりにも勿体ない。だからこそ天皇杯は何がなんでも勝ち上がる。相手はJリーグ王者の鹿島。ここは完全なる天皇杯の大一番だった。

 そんな想いからか、アウェイゴール裏は溢れんばかりの人がいた。都心から高速バスで来るようなロケーションの鹿島スタジアムでここまでサンフレッチェサポーターが集まったのは2013年の優勝決定戦ぐらいのものだった。

 勝ちたい、勝たなければいけない。そんな試合をサンフレッチェは有利に進めていった。パスでつなぎ、左サイドで柏がドリブル突破し、アンデルソン・ロペスが個人技でのキープから展開する。その局面局面においてサンフレッチェのプレーには驚きと喝采があった。でもこうして攻めていても点が入らない。いくら槍でつついても壁は抜けない。最後を打破できないものは一体何だろう。結局今シーズン悩み続けた課題がそのまま続いてしまったのだった。

 そしてこういう攻めているのに点の入らない展開に悪い予感がどうしても沸いてくる。それでも鹿島の攻撃を何とかくい止めていた。塩谷など身体を張りボールを奪うとそこからまた攻撃へのつなぎをやって凌いでいた。その様子に次なる攻撃へと意識が進むのだった。

 ところが鹿島小笠原の一本のパスが戦況を変えた。ゴール脇へポンと放り込まれると完全に裏を取られ角度のないとこからシュート。さすがにこれは無理のなるシュートだろうと思ったらGK林の身体をすり抜け入ってしまった。ああ、あんなシュートが入るのか。攻めても攻めても入らなかったシュート、それを鹿島がこんなに簡単に決めてしまったというのに徒労感を感じるのだった。

 もはやこれまで。漠然と諦めの心境が沸いてきた。ところが柏のドリブルはさえ渡りペナルティエリアでえぐると引っかけられた。もんどりうって倒れる柏。これは明らかなファール。そして主審はPKを宣告じたのだった。

 早速訪れた同点のチャンス。キッカーはアンデルソン・ロペス。さすがにこれは決めるだろ。それでいて一抹の不安があったのはロペスのPKを見たことがないからだった。そしてもう一人の外国人FW、ウタカが今シーズンPKを外した場面を思い出した。それらを重ね合わせたもののロペスの放ったキックは強い弾道で蹴られた。が、取られた。コースを読まれた。だがそれ以上にシュートのコースが甘かったのだった。

 怒濤のように沸き上がる鹿島スタジアム。ぼくらはそれを傍目にもう一度気を取り直そうと必死になった。が、崩せない。最後が崩せない。鹿島があれだけ簡単に点を入れたのをサンフレッチェはどこをどうやってもやりこなせないのだった。

 何本も続くCK。キックを上げる度に跳ね返される。シュートを打っても枠の外。遠い、あまりにも遠い1点。そんな状況の打破の為に寿人がピッチに送り出された。

 点を取らなければいけない状態。ここで取れればそれはもう寿人へこれ以上ない餞になっただろう。終盤には宮吉も入りスクランブル状態。それでも結局ゴールを割ることはできなかった。いや、むしろそこからシュートすら打てなくなったという印象さえあるのだった。

 通用しなかった。

 Jリーグチャンピオンにあらゆる面で負けてしまったような気がした。相手は攻め急がず粘り強く守りここぞという場面できっちり点を取る。対してサンフレッチェはがんばってがんばってがんばって結果が出ない残念な戦いのように見えた。

 そして終わった2016年シーズン。この試合でサンフレッチェの寿人は終わる。そこで改めて突きつけられたFWの人材不足。一体来シーズンはどうなるんだろうという不安を抱えるのだった。

 それでも最後の最後にサンフレッチェのサッカーが観れたことが幸せだった。世界的にも希なサンフレッチェでしかなしえないサッカー、それを貫き通すことへの誇りは感じた。勝っても負けてもそれを感じることができる、それこそが大きな財産のような気がするのだった。

 

 最後に今年も1年おつき合いいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?