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負の連鎖なのか?

昔のことわざに「人の振り見て我が振り直せ」と言う、人が生きて行く上で非常に為になり、教訓となる言葉があります。
他人の行いの善悪を見て、自分の行いを反省し、改めよ。と言う意味である事は大抵の人なら知っているでしょう。
実に理にかなったありがたい教訓だと思います。
この言葉は、良いことであっても悪いことであっても、他人の行動を見て自分の行いを見つめなおせ、自分はどうあるべきか?を説いているわけですが、最近はそれが変わってきているような気がしてならないのです・・・

今日のヤフーニュースで、女子サッカー選手のひき逃げ、と思われる記事が出ていました。つい先日は、自転車に乗ってながらスマホの男性が、駐車場から出てきた車のボンネット横にまともにぶつかり、猛ダッシュで逃げている様がドラレコに録画されていました。そして、その直前には俳優、伊藤健太郎氏のバイク事故のひき逃げ事件。

自分の行動のミスにより他人を傷付け、こともあろうにその場から逃げるなど、断じて許される行為ではありません。責任放棄も甚だしいと言わざるを得ません。
過失にしても何にしても、やっちまった行為は元に戻すことはできませんが、その場から逃げずにその時にできる最善の事をやるべきです。そうすることで被害者の被害は少なく、自分の罪も軽くなるケースが多いはずなのに、逃げることによって軽い罪を自らか重くし、場合によっては取り返しの付かない事態にまで発展する可能性もあります。
TVや新聞で、あれだけ逃げることの愚かさを報道しているにも関わらず、相変わらず逃げる人が後を絶たないのはどういう事が、理解に苦しみます。

今回の女サッカー選手の場合、「人間だとは思わなかった」と供述しているようですが、当たったときの衝撃を考えると、人間程度の衝撃のある生物ななんてそういませんよ。これは私の憶測ですが、人間だとわかっていながら、人間ではなかった、と都合の良いように思い込んだのではないでしょうか? あくまで私の憶測です。
たとえそれが人間でなかったとしても、一旦は停車し、事実確認をする、それが危険な車に乗る運転者のモラルだと思います。

私は1年ほど前、買い物に行った時、駐車場ですでに駐車している車を傷つけたことがあります。ほんのわずかにバンパーをこすっただけでしたが、相手のドライバーは買い物らしくいませんでした。
20分ほどそこで待ち、相手さんが帰ってくるのを待って、謝罪し、当然ですが、すべて私の費用で車を修理しました。
別段偉そうに話すことでもありません。当然のことをしただけです。しかし、誰もいない駐車場でしたから、逃げようと思えば簡単に逃げれる状況でした。でも、買い物を済ませた相手さんが、その傷に気づいたらどんな気持ちでしょう?たとえわずかな傷とは言え、ぶつけようの無い怒りは永遠に残るでしょう。そして、その店に行く度にその時の記憶が戻るでしょう。
誠意を持って対処したことは私にとってもプラスです。やったことをちゃんと謝罪し、その後をちゃんと対処することで、清清しい気持ちになり、その出来事を夕飯の食卓で家族に話すこともでき、それを聞いた家族も、教訓として受け入れてくれました。

あんなことしちゃダメよ。逃げてはダメよ。事態を悪くするだけよ。TVや新聞で再三聞いてるはずなのに、また同じことをする。やったらダメとわかっているはずにやってしまう、何か見えない力、負の連鎖が働いているのでしょうか?
自らの行いで事態を悪くする行為は、まことにもって愚かだ、としか言いようがありませんね。注意しましょう。

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