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物語の結末に寄せて (Leave - Stray Kids)

"Leave"という曲に出会ったあの瞬間、そのときからずっと、この曲はわたしの宝物です。

愛する幸せも、苦しみも、痛みも、きっとこの曲以上にそれらを教えてくれる曲は、この先一生現れないだろうと、

わたしはそう、確信しています。


終止符が打たれた、愛の物語へ。


わたしのあの気狂いが作ったようなリットリンクを見てもらった方にはわかると思いますが、わたしはLeaveという曲を、それはもう狂おしいほどに愛しています。朝もLeave、昼もLeave、夜もLeave、Leaveを聴かずに1日は始まらず、Leaveを聴かずに1日は終わりません。その癖して、Leaveを1回聴くのにも相当の勇気を要するわたしは、傍から見るとかなり気持ち悪いレベルの拗らせ女かと思います。

好きだからこそ勿論沢山語りたいし、好きだからこそ簡単に言葉に表したくはない。好きだからこそLeaveという曲を誰よりも理解しようとして、好きだからこそ何も消化しきれていない。こんな文章を書き始めておいて何ですが、わたしのLeaveへの感情は決して容易に書き表すことができるものではありません。

そこで、このnoteです。今回筆を執ったのは他でもなく、わたしのLeaveという曲へ抱く抱えきれないほどの想いをこうして書き起こすことで、読んで頂いた方に少しでもこの曲の魅力をお伝えしていくと共に、未だ飲み込めていないあれやこれやを僅かながらでも噛み砕いて、消化できたらと考えたからです。

初めてLeaveを聴いた日から早いものでもう半年ほどが経ってしまいました。月日というものは何と残酷で恐ろしいものなのでしょうか。
樂starカムバック期間もとうに過ぎ去り、今更?と思われるかもしれませんが、まあ、時間のある方だけでもどうか、見ていってほしいなと、そう思います。

1, Stage Video 20231022

原点にして頂点、終わりの始まり。2023年10月21日と22日に渡って開催された5starソウルコン、Leave初披露のステージ。

ソウルコン初日、ふとTwitterに流れてきたLeaveに一瞬で恋をしたわたしは、好きな人と目が合わせられない初心な何処かの女子高生のように、好きすぎて想うだけで苦しいと涙を流す何処かの平安貴族のように、たったの数日で素晴らしく拗らせ呪物と化してしまい、怖くて再生ボタンを押すことすらできませんでした。
そうこうしてる間にも時の流れは止まらず、迎えてしまった10月29日。わたしにとって初参戦となるStray Kidsのドームツアー、オーラス公演。Leaveが聴けるのではないか、あのとてつもない曲を生で聴けてしまうのではないか、殺されてしまう…どうしよう……どうしよう……と期待と恐怖に震えながら公演開始時刻となり…無事、セトリ落ちしました。清々しいほどに。
色々な感情渦巻く胸中に脳を破壊されかけながらLeaveのステージビデオを初めて開いた帰りの電車内、目を真っ赤に充血させて震えているわたしはさぞ滑稽だったことでしょう。

余談はここまでにして。

開く前から知っていましたが、やはりこの動画は爆弾でした。
この歌い方が好きやらこの歌詞が好きやらはあとで書かせて頂くので、取り敢えず割愛し、
この動画でしか得られない栄養分を紹介させて頂きます。

まず最初に目に留まったのは、そのステージ構成。
最初からラスサビ前までのあのメンバーの立ち位置が絶妙で、抑え目にした照明と微妙に空いたメンバー達の距離が、この曲の根底にある「孤独感」「寂寥感」をより一層引き立てているように思いました。
他メンバーと比べて少しいる場所の距離が近いように見えるリノさんとフィリックスさんの構図も、SKZFLIXを見たあとだと意味を持ってその輪郭が現れてくるような気がします。

そしてライブ映像であることの醍醐味、それは個人的にメンバーの表情を見られることだと思います。ひとりひとりの表情が本当に胸が苦しくなるほど切実さや、どこかに激情を孕んでいて見ているだけで泣きそうになります。
特にリノさんとアイエンさんの、いい意味で無感情にも見える表情…時々眉根を寄せた切なげな顔が見える度に苦しくなります。メンバーの表情を見ていると、ああ本当にこの人たちはこの曲を大切に思って、歌ってくれているんだと、幸せな気持ちになれました。

わたしがこのステージで1番好きな部分は、ラスサビの” Yeah, we done ”…「僕たちは終わったんだ」と歌ったバンチャンさんの表情です。別視点の動画を必死に探して見たところ、あの瞬間チャンビンさんと目が合っていた…みたいなのですが、歌詞の悲痛さとバンチャンさんの花が咲いたような笑顔のアンバランスさがあまりにも綺麗で、切なくて、あの瞬間にわたしは今でも心を置き去りにしたままです。貼り付けてある動画の3:10~から見られるので、そこだけでもいい、見てください。

ここまででもう2000字も書いてしまいました。最後にピリペンとして、ラスサビ前” I’m missing you… ”の部分の宗教画を下に貼らせて頂きまして、次のコーナーに進みたいと思います。

この世の美しさを掻き集めて完成した絵


2, UNVEIL : TRACK 2

本当はステージビデオよりもこちらが先に公開されたのですが、わたしが1番初めにこの曲との出会いを果たしたのがステージ映像を見たときだった為、このような順番にさせて頂いております。

さて、この動画の公開日は10月24日、ソウルコン2日間を終え1日が何事もなく過ぎ去った、その直後でした。
例によってこの時点でLeaveの虜だったわたしは、公開された0時丁度、公式から来た通知に飛び上がりました。サムネ、ヨンボクさんだし……。

震える手で再生ボタンを押したわたしの目に飛び込んできたのは、フィリックスさんの1人で廊下を歩く姿。
笑顔で目の前を走り去っていくもう1人の自分と7人の仲間たちの背中を、廊下の窓際に寄りかかって表情の読めない顔で見る彼の姿に言いようのない苦しさを覚えた次の瞬間、画面に映ったのは蝋燭の火と目を固く瞑って何かを願うフィリックスさんでした。
蝋燭の火がふっと消えたその瞬間、視界の端で애のMVの一場面が蘇って、…わたしは唐突にわかってしまったんです。これ、パボアラから続く物語の続き…SKZFLIXの曲なんだ、ということを。

On Trackで亀裂が入った大切なものはB Meでどうしようもないほど壊れてしまって、애でも結局取り戻せない。The Viewで見た幸せな夢は、ただ理想でしかなくて、8人で幸せになれる未来を現実の中に見出せず…それでも諦めきれずに幸せを追い求めた日々との決別を描いた曲なのかもしれない、その考えに至った時、わたしはこれがあの物語の結末なんだとはっきり理解しました。

何度も何度も蝋燭の火に祈りを捧げて、どうか8人で、皆で幸せになりたいと願って…애でもThe ViewでもLeaveでも画面に映った揺らめく火はフィリックスさんの願いで、それがふっと消える描写はきっと、現実に立ち帰らなければいけなくなった、その瞬間を表現しているのかなと、思います。

幸せそうに皆と戯れるフィリックスさんを、横からただ見つめるもう1人の彼。初め、幸せそうなフィリックスさんの方が「夢」「理想」で、縋りたかった過去、そしてもう1人のフィリックスさんの姿が、向き合わざるを得ない「現実」なのかなと思いました。しかしSKZFLIXのストーリーを踏まえてもう一度映像を見返してみると、違和感に気づいたんです。
楽しそうに笑うフィリックスさんは皆と目を合わせて触れ合っているように見えて、実は誰も彼と目を合わさず、触れ合うこともしていません。一見馴染んでいるように見えて、皆が肩を組み目を合わせて笑いあってお互いを称え合う中、フィリックスさんだけずっと、一方通行で。…まるでそこに、いないみたいに。
だからきっとこれは、過去でも理想でも無くて、この世界線に存在しようとした彼と、自分は結局この世界に存在し得ないと知っている、自分自身を客観的に見つめる、心の中のもう1人の彼なのではと、わたしの中で解釈が変わりました。

このたった数秒の映像を見ただけで、Leaveを語る上でSKZFLIXが外せないものだということがわかるでしょう。SKZFLIXの考察だったりを書くにはまずパボアラの話からしなければいけないので、それはまた今度の機会に書こうと思いますが…本当にずっと、素晴らしい映像です。
結局この世界線は何なのか、この時のこの表情の意味は、この言動の違和感は一体?見ていく中で沢山疑問が生まれると思います。わたしもそうで、未だにその多くに答えを出せないままです。
もちろん見たことがあるという方ももう一度、動画を開いて、そして思い思いに考察してみてください。

ちなみにLeaveとSKZFLIXのメイキング動画はこちらの動画になります。メンバーがわちゃわちゃしながらみんなで演技の撮影を楽しんでいる様子が本当に可愛くて幸せになれる動画なので、こちらも是非!見てみてください。

最後にまた宗教画と共に離婚危機狂として離婚危機のハイタッチ場面を貼らせて頂き、次に進みます。

離婚危機ペンって、この画像だけでご飯が食べれるんです


3, Intro

28:59~30:46 まで、LeaveとSKZFLIXの話をしてくれています。

チャンビンさんによるビバインドが聴けて本当に嬉しかったです……やっぱりわたしはチャンビンさんの、バラードに表れる感性が大好きだなと思いました。

「哀愁」という文字の2文字目、愁と言う漢字はその字自体がうれえる、思い悩む、という意味を持っています。秋の心、と書いて愁いと読むように、秋は何となく物さびしい季節だという感覚は、日本特有のものではなく世界中様々なところで感じられるものなのでしょう。

Leaveを初めて聴いたとき、ふと思い浮かんだ光景がありました。
11月中旬、冬めいてきた、秋と初冬の境目のある日。少し早くにほとんどの葉を落とした木の、最後の1枚の葉が、瞬間強く吹いた北風に連れ去られる。
チャンビンさんが「秋を連想した」と仰っているのを見て、わたしの感覚は間違ってなかったのだなあと嬉しくなったのを覚えています。

leaveという語には、旅立ちという意味があります。そしてsをつけると、落ち葉を表す名詞に変化します。チャンビンさんはそこに着目して、Leaveと名付けた楽曲の歌詞に、落ち葉の雰囲気を溶け込ませたそうです。

何となく、こんなことを思いました。

別れに、名詞につけるとその語を複数形の名詞に変化させるsをつけると、落ち葉になる。
わたしたちが冬の始まり、必ず目にする落ち葉の山は、つまり別れが沢山重なってできたものなのではないか、と。
この曲はどうしようも無い「別れ」、終わってしまった愛、…それを抱えたまま枯れていく、1枚の葉の物語なのではないか、と。

わたしのかなり本筋から逸れた考察が熱を帯びてきたところで、このままではこの章までで5000文字を超えてしまいそうなので、最後に本当はおもしれ〜男の演技をしたかったヨンボクさんを貼らせて頂き、次に進みます。

ヨンボクさんってナチュラルにおもしれ〜男で、大好き


4, Recording

はい、とうとうやってきました。
わたしの大好きな動画、レコーディング映像です。大切な、大好きな曲が、大好きなひとたちの手と歌声によって完成していく過程をこうして見ることができてわたしは本当に、本当に幸せ者だなと思いました。

レコーディング映像が好きな理由はいろいろありますが、そのひとつに「デモ音源が聴ける」というものがあります。
スキズは自主制作グループなので、デモ音源もメンバーが歌っているものになりますが、大好きな曲の経たもうひとつの側面を垣間見れたような気がして、毎回デモ音源が少し流れる度に何回も巻き戻して聴いてしまいます。
このLeaveという曲は聴いて頂ければわかる通りバラードなのですが、わたしはバラードを歌うスリラチャの声…特にチャンビンさんの少し掠れた甘い声が本当にすきで、例えばヒョンジンさんのレコーディング場面で流れたデモ音源のチャンビンさんの声に一瞬で胸を撃ち抜かれました。いつかデモ音源公開キャンペーン、やってくれないかなぁ…

もうひとつ、レコーディング映像がすきな理由。それは彼らのこの曲に対する解釈が1番よく表れる動画だからです。
先程も言った通り自主制作グループであるスキズは、レコーディングのディレクションもメンバーが担当します。そうすると彼らがこの部分のこの歌詞を、このメロディーをどう捉え、どう歌い、どう間を持たせるべきと考えているのか、そしてその解釈に対しどう向き合うのか、全てディレクションとレコーディングに表れるのです。

例えばこの部分、リノさんのパートの ”Oh, baby” から始まるサビの部分での、チャンビンさんの「繊細でありながら、力を持った感情で」というディレクションでは、チャンビンさんがこの曲の主人公の中に弱さと強さを同時に見ていることがわかりますし、

フィリックスさんの「空虚なこの心が もうバレてしまったみたい」の部分や、アイエンさんのlalalala…のパートでの、バンチャンさんの「感情が入ってない方が悲しく聞こえる、何となくわかるよね?だから無感情な感じで1回歌ってみて」というディレクションには、愛を失った、若しくは手放さなければならない主人公の、「心がぽっかりと空いてしまったような感覚」がこの曲でどれだけ重要なポイントとなっているかを強く感じさせられます。

そしてアイエンさんの ”Yeah, we’re done” の部分のチャンビンさんの「確実に終わらせて」というディレクションは、主人公の固い決意と、この愛が元に戻ることはもう絶対にないんだという事実を我々に突きつけてきます。

メンバーがそのディレクションに対しどう向き合って、どう表現したのかは、到底わたしの拙い語彙力で伝えられるものではないので、是非動画を見てみてください。

ところでレコーディング映像を見ていると、バンチャンさんとスンミンさんのストイックさが凄くよくわかります。真のカグァンズなんて言われる彼らですが、チョンダムズはこういう歌に対する真摯な態度、アプローチが似ている、素敵なケミだなと、いつも思います。この2人が ”I'm afraid…” から始まるあのパートの1番と2番をそれぞれ担当しているの、言葉では表せない良さがあると思いませんか?

そろそろ次に進みましょう。最後に、わたしの1番すきな青髪でLeaveのレコーディングをするヨンボクさんの画像を貼っておきます。

この場面を見たとき、本気で狂いました


5, About " Leave "

樂-STAR

Leave

Stray Kids (스트레이 키즈) 
作詞 : 창빈 (Stray Kids), 방찬 (Stray Kids)
作曲 : 창빈 (Stray Kids), 방찬 (Stray Kids), JUN2
編曲 : JUN2, 방찬 (Stray Kids)

Oh baby, please don't hurt me
お願い もう傷つけないで
날 울리지 마 
僕を泣かせないでよ
널 사랑했던 마음을 아직
君を愛している心をまだ
못 지웠지만
消せてないんだ

Oh baby, please stop for me
僕のためにもどうか
더는 울지 마
もう泣かないで
너를 위한 날 위한 결말
君のための 僕のための結末だから
Yeah, we're done
終わりにしようか

이런 미련은 여운으로 끝내야
こんな未練は 余韻で終わらせないと
아픔 이전의 슬픔 그 전의 감동
痛みの前の悲しみと その前の感動
너 없는 삶 자신 없어 이게 속내야
本音を言うと 君のいない人生なんてきっと耐えられない
드러내지 못해 더 차갑게 뱉은 말투
素直になれないまま 吐き出した言葉はひどく冷たかった

이해라는 노력으로 맞춰 온 퍼즐
パズルのように ひとつひとつ理解しようと努力したけど
사랑으로 포장하긴 너무 다른 것들
欠けたピースを愛で埋めるには手遅れだった
날카로운 조각에 베어서야
鋭い破片で切り裂いてこそ
알지 우린 아냐 나는 나고 너는 너야
わかったんだ 「僕たち」なんかじゃない  「僕は僕」で「君は君」だって

꽃 피우다만 네가
咲きかけだった君が
다음 계절을 만나
次の季節に出会って
더 따뜻한 온기를 안고서
もっと暖かい温もりを抱いて
지지 않는 꽃을 피우길 바라
散らない花を咲かせますように

허전한 이 마음을
空っぽなこの心が
벌써 들켰나 봐
もうバレてしまったのかな?

내가 앉은 벤치 그 옆에
僕が座ったベンチの その隣に
낙엽 하나가 내려와 앉아
落ち葉が一枚 そっと腰かけた

I'm afraid, I'm in pain, I'm okay
怖いよ 痛いよ でも大丈夫
허전한 마음이 벌써 들켰나 봐
心の空虚さも もうバレてしまったみたい
이 벤치에 앉아
このベンチに座って
A lonely leaf sits right next to me
孤独な落ち葉が一枚 僕の隣に舞い降りた

Oh baby, please don't hurt me
お願い もう傷つけないで
날 울리지 마 
僕を泣かせないでよ
널 사랑했던 마음을 아직
君を愛している心をまだ
못 지웠지만
消せてないんだ

Oh baby, please stop for me
僕のためにもどうか
더는 울지 마
もう泣かないで
너를 위한 날 위한 결말
君のための 僕のための結末だから
Yeah, we're done
そう 僕らは終わるんだ

달과 또 아침 인사
月にまたおはようと挨拶する
세상은 멈췄지만 계속 돌아가는 시간
止まった僕の世界と 関係なしに過ぎ去る時間

밤새 시들어 가는 내가 싫다
夜が更ける度落ち込む僕が嫌いだ
아무 생각 없이 너를 찾는 내가 싫다
無意識に君を探す僕が嫌いだ

서로를 위해서라고
これはお互いのためなんだって
내뱉은 내 말에 책임져야 한다고
吐き出した言葉に 責任を取らなければと
I'm sorry
ごめんね
불로 지진 둘의 상처
炎で焼けた二人の傷跡

떨어지는 별빛 사이에 나 홀로 걸어
落ちる星の光の間を一人歩いて
떨어지기 직전까지 눈물을 다 가둬
落ちる寸前まで涙を堪えて
떨어지는 내 심장을 겨우 붙잡아
落ちていく僕の心臓をかろうじて捕まえて
다 찢어진 마음을 붙여봤자
壊れてしまった心を取り繕おうとしたところで

I'm afraid, I'm in pain, I'm okay
怖くて 痛いけど 大丈夫だって言い聞かせる
허전한 마음이 벌써 들켰나 봐
心の空虚さも もうバレてしまったみたい
이 벤치에 앉아
このベンチに座って
A lonely leaf sits right next to me
孤独な落ち葉が一枚 僕の隣に舞い降りた

La-la-la-la-la-la-la-la-la
La-la-la-la-la-la-la-la-la
La-la-la-la-la-la-la-la-la

I'm missing you
ねえ 君が恋しいよ

Oh baby, please don't hurt me
お願い もう傷つけないで
날 울리지 마 
僕を泣かせないでよ
널 사랑했던 마음을 아직
君を愛している心をまだ
못 지웠지만
消せてないんだ

Oh baby, please stop for me
僕のためにもどうか
더는 울지 마
もう泣かないで
너를 위한 날 위한 결말
君のための 僕のための結末だから
Yeah, we're done
ああ 僕らは終わったんだ

La-la-la-la-la-la-la-la-la
La-la-la-la-la-la-la-la-la
La-la-la-la-la-la-la-la-la

I'm missing you
ねえ やっぱり君が恋しいよ


Leaveという曲を聴くとき、その裏にどこか故郷の空気を感じます。
過去となってしまった時の、懐かしいあの場所で、ひとつの愛を終わらせたあの日を、そっと振り返るような…「過ぎ去った何かを忘れられていなかったり、その時を思い浮かべながら聴くと、この雰囲気によく合うんです」そうスンミンさんがIntroで仰っていたように、この曲を耳にする度ノスタルジアに駆られるのは、きっとわたしだけではないでしょう。

こうして自分でこの曲の歌詞を意訳しようとしたとき、1番解釈に迷ったのは3回ある ”Yeah, we're done” の部分でした。
ただそのまま訳せば、「僕たちは終わった」…ただそれだけでは、何か足りないような気がして、わたしはこの3回を、愛を終わらせると決意してから完全に関係を絶つまでの過程だと捉えました。
最初は「終わりにしようか」2回目で「そう、僕らは終わるんだ」そうやって自分に言い聞かせて、3回目で「ああ、僕らは終わったんだ」それでも「やっぱり君が恋しいよ」、そう呟いて曲が終わる。…これが完全な意訳でしかないことはわたしが1番わかっていますが、そう考えたらより一層、この曲の歌詞が胸に迫ってくるように思うのです。

「咲きかけだった君が 次の季節に出会って もっと暖かい温もりを抱いて 散らない花を咲かせますように」…この曲に描かれた愛は、一見あまりに自己犠牲的に見えます。一心に相手のことだけを想う、深く、献身的な愛。でも「僕を泣かせないで」「僕を傷つけないで」そんなところに主人公の独りよがりなところが表現されていて、歌詞の端々から彼がその自分の利己的なところをわかっていながら受け止めきれない様子が読み取れます。わたしはこの曲に描かれた、そんな人間的なところが、大好きです。

「君のいない人生なんて耐えられない」「無意識に君を探してしまう」「やっぱり君が恋しいよ」…彼はきっと、大切なその人に一生未練を持っていると思いますし、一生忘れられないのだと思います。けれども二度と戻る気は無い。幾ら激しい未練を抱えていようとも、どれだけ昔に戻りたいと願おうとも、その決意は揺るがないのでしょう。それが「君のための」そして「僕のための」、結末だからです。

本当に心から愛していて、愛していたからこそ幸せになりたくて幸せを探すけれど、その渇望は愛するひとの、そして自分の傷をも抉り拡げるもので、だからもうこれ以上誰も傷つかないよう、自分はそっとその場から離れることを決意する。傷も、切なさも、諦めも、別れも、そして決意も、どうしようもなくただ愛していたから、ただそれだけで背負わなくてはいけなかったもので、だからこの歌はきっと、どこまでも愛の物語なのだと思います。

ピリペンとしてのお話をさせてください。

フィリックスさんの歌声が大好きです。
彼の地声は恐らく、透明感があるというより、掠れたハスキーボイスに寄ったものだと思うのですが、バラードで歌うフィリックスさんの声は、そのハスキーさ…ノイズがかった声をそのままに、不思議と透明感の出るものになるんです。
ブラウン管の画面に映る映像がノイズがかっているように、昔の新聞の端が擦り切れているように、数年ぶりに開いた本に少し黄ばみがあるように、「昔の雰囲気」に欠かせないノイズ感が、彼の声にはあります。それがこのLeaveという曲が持つ懐かしさとノスタルジーに、ぴったりと合っているなと、聴く度に思います。
そしてフィリックスさんの声は、喉を大きく開く発声方法によるものか息が多い声に感じるのですが、それが彼の歌声に切ない質感をプラスさせていて、この曲に本当によくマッチしています。良ければ次にLeaveを聴くとき、フィリックスさんの声に集中して聴いてみてくださると嬉しいです。

曲構造だったりメンバーの声の出し方だったりの「好きなポイント」はまだまだ沢山あって語りたいのですが、それを語るにはわたしの語彙力と知識が余りにも足りません。
わたしがよく見させていただいているボイストレーナーの方が動画でLeaveのライブ映像、そしてレコーディング映像の解説をしてくださっているので、ご覧になるときっとこの曲の良さがもっと伝わり、解釈がさらに深まると思います。

最後に、宝物のように思っている動画の紹介をします。

2023年11月23日、Leave初披露から丁度1ヶ月が経った日、デキラにスペシャルゲストとして離婚危機が出演しました。
「デキラに離婚危機が出演する」というのはそれだけで、飛び上がって宙を舞い、地上に降り立ったと同時に床に平伏し世の全ての神に感謝を捧げるほど、離婚危機狂にとって幸せな出来事です。
当日、ドキドキして今にも倒れそうな体を支えながらパソコンの前に座って配信を開き、韓国語が全くわからないながらも2人の絡みに頬を緩めていたわたしの耳にふと、「Leave」「デュエット」という単語が飛び込んできて、わたしは一瞬呼吸を忘れました。何も受け止められずに頭に大量のハテナ印を浮かべていた、その数秒後。

離婚危機が、わたしの最愛の推しケミが、Leaveのサビを2人で歌ったんです。

どうしたらこの事実に狂わないでいられるでしょうか。

この日2人にLeaveをリクエストした誰か、そしてそれを採用してくれたヨンケイさん、素敵なデュエットを聴かせてくれた離婚危機の2人、全てに心からお礼を言いたいです。

下にデキラ本編も貼っておきますので、まだ見ていない離婚危機ペンさんは是非。


終わりに

気づけば10000文字を超えていました。ここまで読んで下さった方、果たしているのかはわかりませんが、お付き合い頂き本当にありがとうございました。
長々と書いてしまいましたが、結局のところただわたしはこのLeaveという曲が、心から大好きなのだと、その一言で十分だったような気がします。
ソウルコンには参戦できず、オーラスではセトリ落ちし、MVは出ず、何とも報われない人生を送っておりますが、わたしはこれからも変わらずLeaveへの愛を叫び続ける覚悟です。

Leaveという曲は、幸せな曲ではないと思います。
そしてSKZFLIXのストーリーは、一見どこにも救いがありません。
Leaveは彼らの終着点で、文字通り「結末」です。

だけど、SKZFLIXのTeaserを見て、思うんです。

この物語の結末は、本当にハッピーエンドでは無いのでしょうか。
Leaveという曲に、SKZFLIXに、続きは存在しないのでしょうか。

SKZFLIXの最後の場面、走ってきたリノさんと、頬に傷を負ったフィリックスさんの出会い。

彼らは何も語りません。SKZFLIXはあの場面でそっと幕を閉じ、その意味が明かされることはありません。

だから我々は、あの物語の帰結する世界線がどこであるかも、わからないままです。

でも、きっと。

「いつどの時間にいても 僕たちはわかるはずだ
いつどこにいても 僕たちは暖かいはずだ
いつどの記憶の中にいても 僕たちは鮮明なはずだ
世の中のどこに存在しても 僕たちは出会えるはずだ

僕たちは 君に会いにいくよ

この言葉がSKZFLIXの全てなのではないかと、そんな希望を抱いてしまうんです。
 

打たれた終止符の、その先に音が続くとしたら。


いつかどこかに、8人が皆で幸せを掴んで、笑い合えている世界線がありますようにと、ただひたすらに願うばかりです。


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